母親の認知症は
とてもわかりやすく、お手本のように
どんどん進んでいます。

数日前から、
自分の家ではないと思い込んで
「どこに帰ればいい❓」と
しきりに聞いてきたり

10年前に亡くなった叔母が
うちに来ていたと思い込んで
「いつ帰った❓黙って帰ってしまって。
連れて帰ってもらおうと思ったのに。」

と言うことが増えました。

叔母は、母にとっては母親代わりだったので
探すのも仕方ないと思います。

今日も、
自分はこの家には邪魔者だけど行くところがない。
ここがどこかわからない。
自分は厄介な存在で困ったものだ、
生きていても邪魔になるだけだ。
と言っていました。

それを聞いた私は、母に対して
邪魔ではないし、自分をなんだと思っているか
と言いました。

私の親だと、そして私が子供の頃
どれほど母親が恋しかったか
それがわかるか と言うと

母は泣いていました。

私の子供の頃、母はさんざん嫁いびりされて
いつも病んでいました。
私達の事など、
考える余裕はなかったと
以前言っていました。

二人の姑には罵倒され、
夫には引きずり回された上殴られて

実家は継母で帰る事を許さない

逃げ場のなかった母です。

親のないお前を
もらってやった と

母に向かって怒鳴るのを

私も何度も聞きました。

そんな情けは かけていらない

と、我慢できず 私が言い返した事も
ありました。

おそらく、つらかったあの頃を
覚えているはずです。

片方の目が
知らないうちに失明していて
見えていた方の目も白内障で
手術すると 一定期間目が見えないのと

知り合いの人が
白内障の手術をした結果
その後の自身の管理が悪かったのが原因で
失明してしまいました。

そのため手術を拒み
今は見えづらくなっています。
失明は決定的です。

足も小さな頃から悪いので
今は歩行も助けが必要です。

そしてボケているので
不自由な事 なかなかのものです。

一人しかいない親です。
子供の頃恋しくても 抱かれた事もなく、

このままでは母が殺されると
本気で思っていた私は、
毎晩布団に入ったあと 
声を殺して泣いていました。

今になって一緒にいられるんだと
思います。