★1980年 4月★


松葉杖は安全を考えて持ったままでしたが、トータルで半年の入院終了!!


病名 「脊髄脂肪腫」


脊髄を囲むように腰椎から頚椎までビッシリ腫瘍が巻き付いているらしい・・・


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


かなり経ってしまいましたが前回(3)は上記の書き込みまで。


そのつづきとなります。



★1980年 4月★


退院して1週間後に松葉杖をついて自力でバスと電車を乗り継いで病院へ。


特に変化は無いようですが、先生曰く


「若いから筋力の戻るのが速い!」


と言われたのを良く覚えています。


当時、その大学病院には“すがきや”ってラーメン屋さんがバス停の後にありまして

来院日そこへ行くのが楽しみでした。何故かすぐに無くなりましたけど・・・・


入院中の終盤はリハビリオンリーでしたが、退院後は実生活がリハビリだからと

一切、リハビリ通院もなく1週間が2週間、1ヵ月と通院の間隔が延びる。



★1980年 6月★


この時期を最後に通院は終わり。半年ごとの診察と検査で良いと言われる。


一応、中学浪人生なので週に1度、卒業した中学へ顔を出す・・・


卒業時の先生が熱心でプリントなど宿題を出してくれました。


マジで要らなかった・・・。



★1980年 7月★


自分でも驚くほどの回復!杖は退院して1ヵ月で片松葉になり、その半月後には

自力で歩行が可能に!!


ただし、この時は病名こそ知るも本当の事は何も知らず・・・


この時ぐらいからグ~タラ生活が始まり、余りにヒドイので親から大目玉をくらい

アルバイトをする事になりました。


スーパー内の“うどん屋さん”から始まって“ガソリンスタンド”の店員さん。


うどん屋さんは大将と折り合いが悪く2ヶ月ほどしかつづかず・・・情けないですね。


スタンドでバイトを始める事になるのですが地元なので知り合いが多く最初は

恥ずかしい事もしばしば。



★1980 11月★


スタンドでバイトしながら誕生日が来たので“原チャリ”の免許取得。


後に取り上げられる事に・・・


原チャリを買うお金もないからバイト先の原チャリを自分の物の様に乗り回し、

それで通勤する。


当時はメット必要ナシ!あぶねぇ~~です。


本来、受験生である事に全く自覚なし。度々、学校へ呼ばれました。


この状態で年越しになります。


つづきは(5)へ


※本当にながくなってすんません (__)