32年前の今日


お昼の12時ごろ陣痛室から分娩室に入ると、

たぶんリラックスできるようにと

分娩台の上の方に設置されたテレビでは

「笑っていいとも」がやっていた


こちらは笑っていられる状態ではなかったが😅



12時40分、男の子は

無事に元気な産声をあげてくれた


泣きながら開いた小さなお手手に、


私の人差し指をそっと乗せると


ギュッと握ってくれた




それまで私は

両親や主人や、周りの人に頼ってばかりの生き方をしていた


だが、この小さな生き物は


私が責任を持って育てなくてはいけない


私が守るべき命なんだ!と


強く決意をし、この子とともに生きる未来を描いた





あれから32年


息子は今、私の知らない場所で


穏やかに、時には忙しく?暮らしているのだろう



私や妹たち、姪っ子甥っ子、時には主人にもくっついて


見ていることだろう


いつだってそばにいるビックリマーク



だから[辛い]とかはの感情は抱かなくはなったものの、


今は[虚しい]や、時に[さびしい]が顔を出す




今日のような息子の生まれた日は


特に虚しかった





今年もバースデー仕様のアレンジを自分なりに作って、

別荘に置いてきた


コーラと

ロウソクの代わりのお線香32本


ハッピバースデートウユー

ハッピバースデートウユー

ハッピバースデーディアN、、、



ふと、

あれ?私、こんな所で何やってんだろ?




息子の喜びそうな物を買って、


家のお仏壇にもお供えし、、



また、減らないそれらを片付けて、、、




行ったり来たりの感情を


誰にも家族にも、


理解されないだろうと、胸の中に押し込めた



でも、ここで出会えた心友さんたち


同じ気持ちだと、支えてくれる





それだけで、今日は久しぶりに声を上げて泣いた


わんわん泣いたえーん


息子の名前を呼びながら




気の済むまで泣いたら、


スッキリした自分になっていた




戻れるものなら、時間を戻してほしい


何度願ったことだろう



でも今が


決して戻らない現実だとしても


息子が私から居なくなったわけではない




私が初めて母親になった日は


無くならない




私は3人の子供をこの世に送り出せた


幸せな母親なんだ