夏が近くなると

気持ちが落ちてくる


あれから毎年のことだ


そして今年はオリンピックの年


あの時は息子の写真をテレビに向け


同じ年代のアスリート達の活躍を


ただただ朝までぼーっと

眺めていたなぁ〜




もしも子供が自分より先に逝く事があったら


私はきっと気がおかしくなるだろう?

そして

後を追うかもしれない


そう思っていたが、


私は今も生きてる


後を追うのは、そこに自制できたのは

自分の親が居て

娘たちがいたから


踏ん張る理由になった


が、


私はあの日あの時


気がおかしくなるどころが、

しっかりと息子の母親をしていた


参列してくれた息子の友達には

「決して親より先に逝ってはいけないよ」

などと話したり


弔問していただいた方一人一人にご挨拶ができたし、


私の働く会社の上司にも

「しばらくお休みさせていただきますが

申し訳ありません」


などと話せて、


私の友人達には


「気丈に振る舞っていたね」と言われた


もしかしたら

私は冷たい母親なのか?!


子供を失ったのに、なぜ人様の前に立ち

会話ができていたのか?!


気がおかしくならないのはなぜか?


ずーーっと考えていた



ただあの時私は


なぜ?今回の通夜葬儀はこんなにも

知り合いばかりなんだろう?


義祖父母など通夜葬儀を主人ととりしきった時も


親戚と言われても主人の関係者など知らない方も必ずいたのに、、、


今回の式は


知らない人が誰もいないのは初めてかも?


なぜ??


あれ?いったい誰の葬儀なの??


と、不思議な感覚だった





ということは、


やはり私は気がおかしかったのだ


泣きわめく、などの行為もなく


茫然自失、ただ目の前の事をやるのみ



あの日からの数日間は

あまり泣く事もなく、


ご飯も食べていた


本当にショックな事が起こった時は


人は自己防衛で現実逃避するようにできているのか、、



最大の台風のような悲しみの波が襲ってきたのは


あの日から1ヶ月くらいした頃だったろうか?





あれから8年


今でも現実を認めて過ごしているわけではない


私は認めていない


息子はいつも一緒にいる


気がおかしいのだから



仕方がないと割り切った


あらためて今日


大切な大切なお友達からもエールと癒しをいただき


勇気の鈴がリンリンリーン音符と鳴った


今年も午前中息子の友人が仕事をお休みして

別荘に来てくれた


家に手を合わせに来てくれたご近所さん


夕方仕事帰りに、私の友人が別荘に来てくれた


今日も無事に過ごせました


ありがとうございます照れ


この場所がなかったら出会えなかった方たち


気がおかしくてもいいよ

と言ってくれる出会い


この場所をお借りしてお礼を伝えさせていただきましたウインク


久しぶりのブログ、長々とすみません


暑い日が続きますが、

皆さまご自愛ください