No.0357
(酬恩庵一休寺)

今日のテーマは


『五風十雨』


7月に入って3日から「新紙幣」が導入されました。

前回からもう20年も経つんですね:;(∩´﹏`∩);:

次はまた二十年後ですかね?

20年後電子決済が進んで、どうなるか……。

最後の紙幣になるかもしれません(笑)


しばらくは両方使うことになるでしょうか?。

新紙幣対応の券売機等の整備が追いついてないようです💦


新しい一万円札の肖像画は「渋沢栄一」。

変更が発表になってから随分注目されて、皆さんも彼の功績はよくご存知だと思います。

私も二冊ほど本を読みました(笑)。


今日は御役御免となった「福沢諭吉」さんを、お疲れ様の意味も込めて紹介したいと思います。( ᴖ ·̫ ᴖ )


福沢諭吉と言えばやっぱり『学問のすゝめ』でしょう。

天は人の上に人を造らず

人の下に人を造らず


あとは慶應義塾大学の創始者だということが知られてます。


今日は意外な功績について紹介します😳

それは

「天気予報」

です。


今から135年前の1883(明治16)年4月4日、日本で初めて「天気報告」が新聞に掲載されました。載せたのは……。

福沢諭吉が発行した

『時事新報』

なぜ「天気報告」で「天気予報」ではなかったのでしょうか?


1883(明治16)年4月4日の『時事新報』が初めて掲載した「天気報告」には、

「天氣ハ一般ニ陰天ニシテ日温暖ナリ北方二三ノ測候所ニ於テハ雨雪ヲ降ラシ南東部ハ快晴ナリ」

と載っています。

「天気予報」ではなく「天気報告」とあるのは、4月1日午後2時の天気だからです。

三日遅れの情報だったんですね!( ᴖ ·̫ ᴖ )


当時、東京気象台(後の気象庁)は天気予報を発表していなかったため、3日前の天気を掲載したのです。


その理由を『時事新報』の主宰者である福沢諭吉は次のように述べています。 


 「この天気実況の掲載により米相場の抜け駆けはなくなるし、航海にも役立つ。

だいいち日本国を縮小してこれを一呑みにする天気実況の掲載により、日本人の小胆近視という悪い癖がなくなるだろう」 


 「天気報告」には、全国22ヵ所の測候所の気圧、風向、風力、雨量、気温、天気も掲載されています。


これらの天気実況が、度量が狭く先を見ようとしない(小胆近視)日本人の国民性を変えるだろうとは、いかにも諭吉らしい発想ですね。

(´-ω-`)ナルホドナ‪ー


時事新報では、明治26年1月より、予報文の他に、予報に適したイラストを付しています。


(イラストの右から説明してます)

このイラストは、5種類あり、それに付記されている文章は、時事新報に謝意を表したいとして、中央気象台の粋な人(笑)が書き入れたものです٩(๑>∀<๑)۶。


面白いですよね〜🤣

説明文に出てくる「先生」は諭吉のことです。


 曇りの時が

「晴耕雨読で福澤諭吉先生が一番考えるとき」


雨のときは

「予報を信じて用意した雨具を使う」

などの記述。

ものすごい雨みたいな絵ですね(笑)


大雪のときは

「寒さを凌ぐために濁酒を呑む」という記述があります。

「濁酒一合」で防寒対策って🍶´-(笑)

確かに温まるけど冷めやすい(笑)


また、雨が止んで晴れた場合、単に晴れている場合と違うということから、難しい「齊れる(はれる)」の字を使っています。

この時は

「東に虹がでたときは傘は不要品、だが、西に虹がでたときは傘を手放してはいけない」

という天気の諺を書いてます。

「齊」に「雨」を組み合わせた「」は、「雨が降り終わる(雨が済む)」ところから「はれる」ことを表すようになったようです( ᴖ ·̫ ᴖ )


さらに、晴れの日は

「晴れているときに傘を持つのは日焼けを嫌う美人」

という記述があります。

大きなお世話です(笑)👧🏿☀️



あまり知られてない「福沢諭吉」の功績でした。( ᴖ ·̫ ᴖ )

長い間お役目ご苦労さまでした(*^^*)


(☆写真は一部お借りしてます)

ではまた次のブログでお会いします🐝))