No.0326
(酬恩庵一休寺)

今日のテーマは


『言葉と心の扉』

〜最後のお弁当〜


私の誕生日が近いことから、大阪で内科医をしている友人が祝ってくれると言うので、日曜日に久しぶりに食事(飲み)に行くことに💦。


彼は某病院の押しも押されもせぬ立派なお医者さんです。

学生時代からの腐れ縁で、彼が私の主治医のようなもので、持ちつ持たれつのような関係です。(笑)


今日の話は重い話(生死について)ですので、ここで引き返して下さっても結構です💦。

癌を患った女性の話です。


。。。。。。


昨年、彼が担当の癌を罹った余命3ヵ月と判断された43歳の女性の方がいたそうです。

ある日……。


「先生、助からないのは仕方がないです、だけど少しだけ長生きをさせてください」


「娘がいます。子どもの卒業式まで生きたい。卒業式を母親として見てあげたい」


と言ったそうです。


それは去年の6月のことでした。


彼女はあと3ヵ月……、9月くらいまでしか生きられない。

でも私は春まで生きて子どもの卒業式を見てあげたい、と。子どものためにという思いが何かを変えたんだろうねー。


と彼は話しました。


奇跡は起きました。

彼女は春まで生きて、卒業式に出席できました。


彼女は、余命3ヵ月と言われてから、たしかに生きて、お子さんの卒業式を見てあげることができたんです。

そして、1ヵ月ほどして亡くなりました。


勝手な想像ですが、人間は「誰かのために」と思った時に、希望が生まれてくるし、その希望を持つことによって体内の何かが高まって、生きる力が湧いてくるのではないかぁーと思います。


私の父は私が高三の春に余命を宣告されました。長くて半年…。

でも私が大学を卒業して、社会人三年目に亡くなりました。余命宣告から約八年後です。

父は大工さんで苦労したからか、「お前は京都大学へいけ!」と子供の頃から聞かされ続けてました。

父は東大と京大と阪大しか知らなかったようです(笑)


今考えると、まるで私が社会人として歩き出せるまで待っててくれたようでした。


。。。。。。


彼女が亡くなった後、無事高校を卒業し大学生になった娘さんが彼のところへやってきてびっくりするような話をしてくれたそうです。


彼の医療チームは、子どものために生きたいと言っている彼女の気持ちを大事にしようと思い、彼女の体調が少しよくなると外出許可を出していました。


「母は家に帰ってくる度に、私たちにお弁当を作ってくれました」


と娘さんは言いました。


立てるはずのない者が最後の力を振り絞って、台所に立ちお弁当を作るんですよ……。

その時のことを娘さんはこのように話してくれたそうです。 


 「お母さんが最後に作ってくれたお弁当はおむすびでした。

そのおむすびを持って、学校に行きました。

久しぶりのお弁当が嬉しくて、嬉しくて……。

昼の時間になって、お弁当を広げて食べようと思ったら、切なくて、切なくて……、なかなか手に取ることができませんでした」


 お母さんの人生は40年ちょっと、とても短い命でした。でも、命は長さじゃないんですね…。

娘さんはそう言って顔を上げたそうです。



お母さんはお母さんなりに精いっばい、必死に生きて、大切なことを子どもたちにちゃんとバトンタッチした。

と彼は感じたそうです。


全く同感です。


帰り道、また「つとめを果たす」を思い出しました。

母親としてのつとめを果たすことが彼女に命の火をともしたのだと思えてなりませんでした。

娘さんにも大切なことが伝わったと思いたいです


私と彼は学生時代からの付き合いですが、20年ほど前からは、他人の人生に関わるような仕事をお互い選んでおります。


お互いにやりきれない思いをぶつけたことも有りました。

お互い酔ってましたので、ホントの話か聞いた話か私には判断できませんが、誕生日プレゼント代わりにいい話を聞かせてもらったと思ってます。


ではまた次のブログでお会いします🐝))