今日のテーマは
『上方落語巡礼記』
今回紹介する上方落語に縁の地は。
「東横堀」
この「東横堀」を舞台にした上方落語に、人情噺の『帯久(おびきゅう)』という話が有ります。
大阪では古くから演じられ、桂米朝が得意にしていました。
昭和32年に六代目三遊亭円生が東京風に改作し、江戸でも人気の名作になりました。
今回は皆さんにお馴染みの『帯久』。
本当は粗筋でなく、文字起こしで書きたいですが💦今日は粗筋でお願いします😊
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『帯久』
東横堀のとこに「瓦屋町」といぅ、町名が有りまして、六丁目まであって昔は「六丁目筋」てなこと言ぅたんやそぉで。
その三丁目に和泉屋与兵衛といぅ呉服屋さんがありまして、これがなかなか繁盛しとります。
主人の与兵衛さんといぅのが人柄でな、近所の評判もよろしぃ。付き合いもえぇし、施しやとか何やとかいぅよぉなときにも一番になって世話を焼く。
いずれ先々は町役(ちょ~やく)、町役人(まちやくにん)になるお人じゃなぁと評判がえぇ。
奉公人も躾が行き届いとりまっさかい愛想もよろしぃし、大変店は繁盛しとります。
ところがそのちょっと北の二丁目に帯屋久七(きゅ~ひち)といぅ、おんなじ呉服屋ですけど、こらあんまりはやりまへんねん。
その主人の久七といぅのがどことなしにひと癖あるよぉな人間で、店も何となしに陰気で、奉公人の数も少ないし、客が入ってるのんあんまり見たことがない。
「売れず屋」ちゅうあだ名があったちゅうんです。あんまりえぇあだ名やおまへんなぁ。
全体が陰気でございますが、ある年の十二月のかかりです……
《 桂米朝 》
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ある年の暮、帯久が「二十両用立てて欲しい」と泉屋に来た。人のいい泉屋は無利息・無證文で用立てる。
しばらくして帯久は二十両を返し、新たに三十両借りる。
二十日ほどで返し、また五十両借り、二十日ほどで返した。
その次には百両を借りに来た。
人の良い泉屋は今度も無利息無証文で貸す。
大晦日の蔵屋敷の役人などが来て忙しい時に、帯久が百両を返しに来る。
泉屋は確かに百両を受け取るが、急な用で番頭に呼ばれ百両を置いたまま部屋を出る。
帯久はその金を懐(ふところ)に入れて帰ってしまった・・・。
後で気がついた泉屋だが、自分の不注意、今年の厄落としとあきらめてしまう。
年が変わり、帯屋は「景品付き商売」という新アイデアで客を集め儲け始める。
一方の泉屋はケチがつき始め、娘のお花、女房がたて続きに死に、子飼いの番頭が店の金を持ち逃げする。
店も銭亀という相撲取り崩れが放火した瓦屋町の大火で全焼する。
悪運の強い帯久の店は火の手から免れた。
住む家も家族も失った泉屋は前年に別家させた番頭の武平の家でやっかいになって寝込んでしまった。
武平も商売をしくじって今は五丁目の裏長屋住まいだ。武平の所で十年間の長わずらいしたが、やっと病気が抜けたのが、数えの61歳、還暦の本卦帰りの年。
もう一度、武平に泉屋の暖簾を上げてもらおうと、武平が止めるのも聞かずに帯久の店へ百両を返してもらいに行く。
泉屋は帯久からさんざん罵倒されたあげくに、眉間を割られて放り出される。
あまりの仕打ちの口惜しさに、店に火をつけようとした泉屋は帯久から訴えられて捕えられ、奉行所のお白州へ引き出され、大坂西町奉行の松平大隅守のお裁きが始まる。
むろんそれまでのいきさつ、泉屋与兵衛と帯久とのことなどを同心、与力に十分に調べさせている奉行は帯久に、
『大晦日で間違いが起こらぬものでもないと、改めて持参いたそうと百両を持ち帰ったのを忘れておったのではないか?』
と再三鎌をかけ、「忘れた」と言い逃れが出来るよう誘導するが、帯久は絶対に返したと白(しら)を切る。
奉行は帯久に右手を出させ、人指し指と中指を紙で巻いて張り付け、奉行の判を押す。
「これは何でございます?」
『忘れたものを思い出すマジナイじゃ、そのマジナイをしたからには必ず思い出すであろぉ。うちに帰ってよく考えてみるがよい。
ただし、それには奉行の印が捺してある、ゆえなくしてその封印を破るときには、そのほぉ家は闕所(けっしょ)、所払い申し付けるるぞ。』
ときつく言い渡す。
ずいぶん乱暴なお裁きがあるもんやと思いますが、当時やはり火付けといぅのは大罪でございますので、届けがあったときに、もぉ奉行のほぉで与力、同心を使こて調べるだけ調べております。
調べりゃ調べるほど和泉屋与兵衛の評判はよろしぃ、帯屋久七を良く言ぅ者は一人も無い。十年前の「サラシ一尺お買い上げの方にも、もれなく景物進呈」といぅところまで調べが行き届いております。
帯久は紙が破れればえらいことになるというので、飯も食えず、風呂にも入れず四日もすると音を上げて出頭して、確かに百両持ち帰って忘れてしまいまだ返していないと白状する。
帯久に百両を返させた奉行は、
『十年間の利息としてあと百両を出せ』
と命じる。
帯屋の番頭が用意していた五十両を受け取った奉行は、
『残りの五十両は、月賦にするか、年賦にするか?』
と聞くと、けちな帯久は、年一両の年賦にするという。
仔細を書類にさせた奉行は、
『泉屋与兵衛、火つけの大罪は免れなれぬ。そちを火あぶりの刑に処す』
それを聞いた、帯久は
「さすが名奉行!、こんがり焼いたっておくなはれ!」
と大喜びするが……
『ただし……、刑は泉屋が残金五十両を受け取った暁に行うぞ』
あわてた帯久
「今すぐ五十両払いますから、火あぶりにしてください!」
『黙れ!今さら何を申す!』
と帯屋をきつく叱り飛ばし、
『ところで泉屋与兵衛、そちは今何歳になる」
泉屋
「六十一でございます」
『六十一とは本卦(本家)じゃな?』
「いえ、別家に居候しております……。」
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えぇ〜( ᴖ ·̫ ᴖ )いかがでしょうか
ちょっと粗筋では人情噺は伝わりにくいですよね💦
泉屋与兵衛の良い人柄と、帯屋久七の人柄が対照的に描かれてます。
松平大隅守の名裁きも非常に素晴らしく、聞く人(読む人)の胸をスカッとさせてくれます。
(^ワ^=)スッキリ!
「本卦還り」は今で言う「還暦」のことです。
昔は「数え年」でしたので、「六十一歳」です。
良い話なので、音声や動画、出来れば寄席などでお楽しみください😊
東横堀川やそこに架かる橋はまさに上方落語の舞台です。
これについては後日「笑うてなんぼ」で紹介したいと思います😊
(☆写真は一部お借りしてます)
ではまた次のブログでお会いします