今日のテーマは
『上方落語巡礼記』
今回紹介する上方落語に縁の地は。
「新町」
江戸の吉原、京の島原、大阪の新町、これが日本の三大廓(くるわ)でした。
最高位の太夫職と呼ばれる女性がいたのもここだけ。つまり官許の廓だったんですね。
ほかは、ミナミも、北新地も、京都の祇園、先斗町も、江戸で言えば岡場所に類するものでした。
この新町の中でも、特に九軒(くけん)と呼ばれる一角があって、ここに一番威張ってる店が並んでました。
「廓文章」の夕霧・伊左衛門の芝居で有名な揚屋、吉田屋があったのもここ。
太夫の道中、これは大変お金がかかるものですが、普通は花見どきにやったんだそうです。
しかし、お上のご威光で「花どきにはやってはならん」ということになって、これが真夏に変更になった。
これは幕末のことで、明治になるとまた花どきに戻りました💦。
今日の落語は、この幕末の真夏の頃の九軒あたりが舞台です。
『冬の遊び』
今日は夏の盛りの新町の太夫道中の日。
堂島の米相場師(ジキ)からも随分と金が出ている。
新町橋を渡って見物人でごった返している道を逆らうように、堂島の連中が四、五人、新町九軒町の吉田屋の座敷に上がった。
馴染みの芸妓連、幇間が入って来る、酒、肴が運ばれて来る。
堂島の客(ジキ)
『お仲、栴檀(せんだん)太夫を呼んでんか』
お仲
《なにを言うたはりまんのやぁ。今日は太夫道中だっしゃないかい》
『へえ、今日、道中か?』
《ご存じないことあらしまへんやないかいな。栴檀さん船弁慶の知盛の扮装、見事に出来上がりまして・・・》
『おい、近江屋、常やん、今日、道中やて、聞いてるか?』
「知らんな〜」
『馴染みの客が来て呼べちゅうのに呼べんのなら、去(い)のか!』
《そんな・・・今、道中の最中・・・ちょっと、待っておくなはれ》
と、困ったお仲は先輩の同僚のお富のところへ行き、顛末を話す。お富がすぐに座敷へ行くと連中は帰りかけている。
『おい、お富、 わしが言うことが無理か・・・その道中やら知盛の金はどっから出てるねん』
道中している栴檀太夫を連れて来るのも無理な話だが、一番大事な堂島の客を怒らせたまま帰らせてしまうのは、吉田屋、新町の一大事。
迷いに迷って・・・。
お富
「まあ、お座りを。栴檀さん連れて来ます」
『道中の最中やそうやないかい。番所からお役人も出張ってはんのやろ?』
「へえ、吉田屋のお富だっせ。
呼んで来るちゅうたら、必ず呼んできま!」
と、表へ飛び出しすごい形相で見物人をかき分けかき分け、行列を目指す。
「新町の一大事や!ちょっと、行列、止めておくなはれ!」
道中の世話人
「無茶言いないな。行列の最中に・・・」
「・・・堂島のやんちゃら、道中なんて聞いちゃおらん、知らんちゅうて・・・あんたら堂島へは挨拶に行かはりましたんやろな!」
世話役たちは顔を見合わせるが誰も挨拶に行った者はなく、互いに責任を押しつけ合うお粗末ぶり。
堂島の連中がすねて、見放されたら吉田屋も新町はつぶれてしまう。
どうしよう、どうしようと、ただうろたえる世話役たちに、番所のお役人たちをその辺の茶屋へ放り込ませ、人垣で栴檀を取り囲ませてお富さんは先頭に立って吉田屋に戻って来た。
「太夫さんをお連れしました!」
『おっ、お富、ようやりおったなぁ・・・
栴檀、何枚着てんのや、えっ、八枚か?
この暑いさなかに汗一つかいてないやないか。いやー恐れ入った。
栴檀への心中立てじゃ!
皆、冬の着物に着替えい!』
ジキの一声、さあ、大変、みんな冬物の着物に着替えさせられ、真夏に冬の遊びが始まった。
そこへ飛び込んできたのが幇間の一八。
『おまえは向こ先の見えん芸人やな、みな冬装束着てんのに、お前、蝉の羽みたいなもん着やがって・・・
今日限りひいきにせんわ、去ね!』
しくじった一八は帳場へ泣きつく。
帳場の頭は箪笥を開け、冬物を総ざらい、どんどん一八に着せて帯でぐるぐる巻きにして、さらに祝儀になる工夫を伝授する。
着ぶくれで歩行も困難な一八は帳場の連中に運ばれて、座敷へ再登場。
一八
「旦那、先程は・・・、へえ今日は厳しい寒さでんなぁ。新町中、つららが五寸ほど下がっとりまんねん・・・
こんな寒い中、すだれはやめて唐紙入れ替えて、宣徳の火鉢持ち込みなはれ。
冷や奴やすずきの洗いなもんではあかん。
グラグラっと煮えた鍋にひまひょ。
熱い雑炊に茶碗蒸し・・・まだまだ寒いさかい懐炉(かいろ)を三つづつ・・・」
と、帳場で教わったとおりにたたみかけて行く。
帳場からもどんどんと言われたものが運ばれて来る。
「・・・まあ、もう、お前祝儀もんじゃ。
どや一八、その格好で一つ踊れ!芸妓や何か冬らしいもの弾きぃ」
芸妓
「ほな、『御所のお庭』でも〜」
〽︎御所のお庭に 右近の橘 左近のささささ ふくふく ららららら 右大臣 左大臣 サササ 緋の袴はいたる 官女官女 たちたち……
で、踊り始めた一八だが、
『ははは、見てみい、一八のやつ手が動かへんがな。あまりの寒さで手がかじかんどるのや。そこの懐炉五つほど入れたれ!』
みんな面白がって懐炉をあちこちに押し込んだ。
さすがの一八も
「助けとおくなはれぇ!」
ドタ~ッ横倒しになると
慌てて帯をほどいてバラバラバラ、着物を脱ぎ捨てると庭へボ~ンと飛び降りた。
井戸のそばへ行くと頭から水をザバ~ッ、ザブ~ッ。
『おぉ〜やっとる……、一八、何じゃいその真似は?』
「へい、寒行の真似をしとります」
。。。。。。
えぇ〜( ᴖ ·̫ ᴖ )いかがでしょうか。
この話は、米朝師匠が埋もれてしまっていたのを掘り起こして落語にされました。
この話を単に我慢大会というようにしたら、割と底の浅い、程度の低いものになります。
しかし、そこに太夫の道中、お奉行さん、新町と堂島というものをからませて、非常にスケールの大きい話になってます。
大きなお茶屋の主よりも、一人の仲居さんの方が客や太夫に権威を持っている、のも面白いです。今でも古い旅館や料亭で、そういうことはあるようです。
新町の廓の中心、九軒は桜の名所。
その植え込みの東西に句碑が建っていたそうです。
東には芭蕉の
「春の夜は桜に明けてしまひけり」
西の端には加賀の千代女(かがのちよじょ)の
「だまされて来て誠なりはつ桜」
芭蕉の句碑は戦後行方不明だそうです💦。
千代女の句碑は空襲で一部欠けてますが新町北公園に現存します。
ではまた次のブログでお会いします