No.0206
(酬恩庵一休寺)

今日のテーマは

『きっかけは130年前』


以前にあげた「今日の徒然」で「エルトゥールル号」を紹介しました。


「エルトゥールル号」がどんな船で、どんな目的が有ったかは、ネットを検索されると詳しく書いてあります。🔍↲

その辺はおまかせするとして……💦

ヨロシク!!Σ( >д< )ゞ


今日は、トルコと日本の関係🇯🇵🇹🇷を紹介出来ればいいな〜と思います。

。。。。。。


ちょうど一年前の今日、2023年2月6日

トルコ南東部で発生した地震を受け、日本政府は同日中に国際緊急援助隊・救助チームを派遣することを決定しました。


先発隊18人は6日深夜に羽田空港を出発し、国際消防救助隊や海上保安庁職員ら75人規模の救助チームが派遣されました。


日本の医師らは「恩返しするときが来た」と、支援に全力を挙げました。


彼らは何の恩返しをしたんでしょう……?

遡ること12年前。

2011年3月11日

東日本大震災の際、トルコが派遣した救助隊は宮城県内で行方不明者の捜索に当たり、活動期間は各国の派遣チームの中で最も長い約3週間に及びました。


日本とトルコは、立地条件が似ています。

それは、トルコが、複数のプレートがぶつかり合う「プレートの境界」にあることと関係しています。 

日本も同じですが、少し違うのがプレートの境界が日本は海底に多いのに対し、トルコは内陸にもあること。 

プレートにかかる力が内陸で直接働くため、トルコでは日本より短い間隔で内陸の大地震が発生しやすくなっているということです。


両国とも震災は避けて通れない境遇なんです。


日本からトルコまでの距離は8,527km程です。

飛行機で約13時間。

何故、この様な両国の関係がつくられたのか?


。。。。。。


それは……今から130年以上も前のことです。

1890年(明治23年)

トルコの軍艦・エルトゥールル号が、日本で明治天皇に接見し、トルコへ帰還の際、和歌山県の串本町大島樫野崎沖で遭難した。



猛烈な台風により、舵が効かなくなった船は座礁。

流入した海水でボイラーが爆発し、大惨事となった。


死亡した乗組員、587名。


遭難を目撃した大島の住民は、命がけで生存者を救助し、不眠不休で治療にあたった。

そして奇跡的に69名が生き延び、日本の軍艦にてトルコへ帰国した。



そのあとも、大島の住民は乗組員の遺体を捜索し、遺族のもとに戻る遺留品の回収と修理に協力した。


当時の大島は裕福な土地でなく、一日の漁業すら休めば食べるのに困るという状況だったにも関わらず、だ。


すべてを投げうってトルコ人を救った日本人の話は、トルコの教科書にも掲載され、今もなお、子どもたちに語り継がれています。


。。。。。


それから100年が経った頃……。


イラン・イラク戦争のただ中

48時間後、イラン上空を飛ぶ航空機を、無差別に攻撃する

1985年(昭和60年)、イラクのフセイン元大統領が声明を出した。


当然、イランに滞在していた外国人たちは慌てて出国。

215名の日本人も出国を試みたが、彼らを乗せる飛行機はなかった……。

各国の航空会社は、自国民を優先して搭乗させたからだ。


やがて、日本から連絡が届いた。


「安全が確保されないため、日本から航空機は飛ばせない」

「日本政府から自衛隊を派遣する許可も降りない」


爆撃の続くイランで、迎えを待っていた日本人は、どれだけの絶望を感じたことだろう。


攻撃開始が数時間後に迫る中、イランのメヘラバード空港に、2機の航空機が着陸した。


トルコの航空機だった。


トルコのオザル首相が、重要なパートナーであり自ら親友と呼ぶ森永堯氏(当時、伊藤忠商事イスタンブール支店長)の要請に応え、いつ撃墜されるかわからない空を飛んできたのだ。


無差別攻撃の予告まであと1時間というところで、日本人はトルコ航空機に乗り、イランの国境を越えた。


このとき、空港には、500人ものトルコ人が取り残されていた。

しかし、日本人が優先的にたすけられたことに対し、非難するトルコ人はいなかったという。


彼らは、首相が安全を保障した陸路で、イランを脱出した。



なぜ、トルコが命がけで日本をたすけたのか。

当時の日本政府、マスコミは、困惑するばかりだった


駐日トルコ大使はその理由を、短いコメントで述べている。


「私たちは、エルトゥールル号の借りを返しただけです


。。。。。。


両国の国民性が非常に良く出たエピソードです。

日本では、大島の島民の命懸けの救助は、最近まで広く知られてませんでした。

日本ではエルトゥールル号の遭難事故について地元大島以外で語られることは無かったでしょう。

日本政府もマスコミも何故トルコが?と思ったぐらいですから。


トルコでは、自分達が生きていなかった時代のエルトゥールル号の恩返しを、彼らは当たり前のことの様に思っていました。

そしてそれは当時を生きた者たちから、今を生きる者たちに受け継がれています。


日本の小学生にもトルコと同様に教えられているのは大切な事だと考えます。


「助け合いの精神」忘れずにいたいものです。


(☆写真は一部お借りしてます)

ではまた次のブログでお会いします