No.0189
(酬恩庵一休寺)

今日のテーマは

『上方落語巡礼記』

今回紹介する上方落語に縁の地は


『鰻谷(うなぎだに)

今日は「二十日正月」。

皆さんの街で行事はありますか?


大阪の地名をそのままとった『鰻谷』という落語があります。

地名の鰻谷は、大阪ミナミ、長堀通の心斎橋を渡って、二番目の通り。ずっと昔は多少は谷のようになってたんでしょうか?。

長堀や、この谷間に恐らくウナギもぎょうさんいたのでしょう。


古い落語の『鰻谷』は、昔はウナギを食べなかった、という設定で始まります。

もちろん大嘘で💦、万葉集にも、夏バテにはウナギを食べたらいいという歌があるくらいで、したがって話自体も実話ではありません。


米朝さん曰く、実にあんまりアホらしいので今は「橘ノ円都師匠(昭和47年没,享年90歳)」以来誰もやりませんとのこと。‪(´•ᴗ• ก )‬՞ ՞


まさに、絶滅危惧落語です٩(๑>∀<๑)۶。

円都さんも、さすがにこれだけでは間が持たなかったんでしょう。

これがウナギの落語的解釈」と言って、この後に『鰻屋』という話を後につけていました。


せっかくですので、絶滅危惧落語の『鰻谷』。

記録に残す意味で「枕」も含め、アホらしい話💦をできるだけ……残す形で長々と…長々と(笑)

紹介したいと思います。

お暇な時にお読み下さい(((゚〰゚)))

(1963年,NHK,私が生まれる前の音源です💦)


では明治・大正・昭和にわたって活躍した、

橘ノ円都師匠でどうぞ……。


『 鰻谷 


え~「大阪島之内鰻谷の由来」といぅのをば聞ぃていただきますが、この噺は今では誰もやりませんねん。東京の人はもとより、わたくし一人でございますが、誰もよぉやらんくらい難しぃかといぅと、アホらしぃてやらんといぅよぉな噺でございます。


 よぉこれだけ世の中が変わったと思ぉて感心をいたしますが、あの明治の御一新の時にもずいぶん変わり方がいたしました。

その時分には土地の名前までがちょいちょい変わりましたもので、昔は日本国じゅ~で「府中」と名の付く所がたくさんにございました。


 まぁ有名なところでは「駿州(すんしゅ~)府中」「甲州の府中」「水戸の府中」「越前の府中」これが越前が武生(たけふ)、水戸は石岡、駿州府中が静岡となりました。


また、東海道に吉田といぅ所がございましたが、これがなかなか有名な土地で、と申しますのが、あの歌舞伎芝居でします「伊賀越道中双六・沼津の段」こら有名な芝居でございます。


 あの千本松原で平作といぅ駕籠かき、雲助でございますなぁ、これが腹を切ります。

その時の呉服屋十兵衛といぅ人のセリフに


「沢井股五郎の落ち着く先は九州相良(さがら)、道中筋は三州の吉田で会ぉた、と人の噂」


このセリフのために三州吉田がたいへんに有名になりましたが、只今では吉田じゃございません、豊橋と名が変わりました。


全て土地の名ぁはみなそれぞれ由緒があって付いたものでございますが、大阪の道頓堀は安井道頓といぅ人が掘りましたので道頓堀


ずっと南に木津ちゅうとこがございます。そこに勘助町といぅのがありますが、これも有名な所でございます。これは、あの浪速侠客の有名な木津勘助(きづのかんすけ)あの人が拓(ひら)いたので勘助町といぅふぅにこぉなりましたもので。


 また、島之内に鰻谷(うなぎだに)といぅ所がございます。まことに粋ぃなところでございましたが、戦争からこちら、わたくしあの辺あんまりうろつきませんが、昔とはごろ~ッと変わったそぉにございますなぁ。あの鰻谷が昔はそぉ申しませなんだ。


 あそこに流れております川が長堀川でございますので「長堀南通り」と申しました。

それがどぉいぅわけで鰻谷と変わったかと申しますと、長堀南通りに「菱又」といぅ料理屋さんがございました、ヒシマタ。


 ここの主が日本一の変人で、魚がたくさん取れた時は商売をしません

 ほんで、シケが続いて魚がのぉて、ほかの料理屋が休業札を出すといぅ時分には

「さぁ、こぉいぅ時には一番、店を開けよ!」

えらいまた変わった人でございます。


今日もちょ~ど五日五夜サ(いつかいつよさ)の大ジケ。

生のもんと申しますと雑魚の子一匹ざいません。


 ほかの料理屋さんはしかたなしにバタバタ・バタバタと表を閉めて休業札。

そこで菱又が

「さぁ、こぉいぅ時に一番、商売をして世間のやつらを驚かしてやろぉ!」

といぅので、店を開けて行灯を掛けましたんで

「まぁとにかく魚を探してみよぉ、今にも客人が来て魚がのぉては困る」


と、探しましたが一匹もおません。


 「あぁ~、こら困ったわい。魚が無いといぅので、せっかく掛けた行灯をば、これ下げるわけにはいかん。

それではこの菱又の顔にかかわる。もぉいっぺん探してみよ、うちにジッといててもしょ~がないわい。

犬も歩けば棒に当たるといぅたとえもある、出てみよ!」


と、またブラッと外へ出まして、来るともなしに出てきましたのが安綿橋の南詰、あの只今の住友さんの浜でおます。


 そこへ来てヒョイッとこぉ川を見ますと、ヌルマといぅ魚がウジュウジュとわいております。これもヌルマでは分かりません、今で言うウナギでおます。

あら、その時分にウナギと言ぃませなんだ、ヌルマちゅうたん。


 ヌルマといぅ魚は食えるものとはしてございません。

ヌルマをひと口食たら、たちどころに命がない。年回りの悪い人はヌルマの姿を見ても、その年にはロクなことはないと、みな人が恐れました。

誰ひとり手を付けるもんがございません。

それで、ヌルマっちゅうやつが安心をして悠々とそこへわきましたんで。


 これに目が付いた

「おぉ、えらいとこにヌルマがわいてるなぁ。こいつ、食たら命は無いといぅだけのもんで、食たやつも無けりゃ死んだやつも無いねが、これだけの魚、料理の仕方によりゃ食えんことないと思うが……。

がこいつを食てみて、命に別状なけりゃ客人に食わしても差し支えがなかろ。

よし、おらこいつを持って帰って加減見に食てみてやろ」


「まぁとにかく料理をしよぉ」グッとこの掴むとヌルッと出ます。


あれッ? ヌルッ あぁ、ヌルッと、何べん掴んでもヌルヌルと出ます。


 「あぁホンに『ヌルマ』とはえぇ名前を付けやがったわい」と、改めて感心しまして、よぉやくそいつを掴んでプツプツプツとプツ切りにして丸炊きにしましたが、ウナギの丸炊きちゅなどぉも具合が悪いのでな「こら、いかん」


 刺身にしたが、こいつもいけません。

擦り付けた、尚更いかん

「ははぁ~ん、こいつは開いて骨を抜いて付け焼きにしたら、やれんことはなかろぉ」

と、やりだしたのが今の蒲焼でございます。


ウナギといぅ魚は、匂いが高こおまっさかいな、近所の人らがみな驚きましたんで。

。。。。。。

「もし、旨い匂いがするやおまへんか、魚の匂いだっせ。まぁこないに魚が無いちゅうて世間では騒いでまんのに、これ、魚焼く匂いだんがな。

けど、今までからこんなえぇ匂い嗅いだことおまへんねがな。

もし、これ菱又のほぉから、この匂いくんねやおまへんか?」


「わたいもそぉ思いまんねん、菱又でやす。変わった親爺やさかい、また変わったもん焼いてまんねで。見に行きまひょか?」

「おぉ、見に行こ見に行こ。」


 ワァ~ッと、表いっぱいの人だかり。その時分やないかて、今でもこのウナギ屋の表はよぉ人がたかって見てますがなぁ。


こっちで料理して、こっちで焼いてますとな、目ぇはたいがい料理してるほぉ見てますけども、鼻はこぉ焼いてるほぉへいがんでます。


 ヒョイッと見て驚きましたんで。


「もぉし、これヌルマだんがな。何といぅ無茶なことをするやつ、食たら死ぬっちゅう魚だっせ。これ焼いてどぉするつもりやねん、こいつわ!

わたいは今年は年回りが悪おまんねで、それにあんた、見てもいかんといぅヌルマを見た上にあんた、焼くカザまで嗅いでしもたがな。

こいつは今年はロクなことおますまい。」


 と、みんなが青い顔をして逃げて帰りましたが、入れ違いに、……。



「親方、えらいことができたんでッ!」

『おいッ、ビックリするわい大きな声で。どぉした?』

「新町の瓢箪横丁でな、浪速組とこの雁金文七の手合いと薩摩の蔵屋敷の侍の大喧嘩で、長堀の鳶なにがしが侍の肩を持ちやがってな、布袋市右衛門(ほてぇのいちえもん)の額へ鳶口をぶち込みやがった。

えらい騒動で、どぉぞ親方、来てくだんせ。」


新町の瓢箪町筋のひょうたん橋で、雁金文七の浪花組と薩摩の蔵屋敷の荒くれ侍たちとの大喧嘩が勃発した。


親方 

『待った待っ待った!やいこれ雁金、今日は相手が悪い。・・・俺が間に入ったからにはお前たちの顔の潰れるよなことはせんよってとにかく引いてくれ。 ・・・お侍さま、こんなならず者、お斬りになったところでお刀の汚れ、今日のところは一番この菱又に免じて・・・』


ということで、両方を菱又の二階へ上げて喧嘩の手打ち、仲直りの酒盛りということになった。


 だが、運の悪い事に時化続きで肝心の魚がない。親方がどうしたもんかと困っていると、おかみさんがヌルマの焼いたのを、切らずにそのまま長いまま、皿に乗せて持って出した。


 当時は食べると命がないと言われたヌルマを見て、さすがの薩摩侍も渋い顔で箸をつけようとはしない。


 一方の雁金文七、

「えらいもん出して来よった。俺たちの度胸を試そうちゅう魂胆なんか。食わなけりゃ雁金も口ほどにもない奴っちゃと笑われ、食えば死ぬかも知れん・・・お内儀、こらヌルマの焼いたんじゃろ?」


お内儀

 「はい、ほんのわたしの手料理で・・・」


雁金文七

 「そうか、じゃあ呼ばれるぜ」

と、いい匂いだがあまり気持ちのいい物ではないが、箸でつまんで一口食ってびっくり、


雁金文七 

「お内儀! こら美味い魚やなあ。お内儀!俺あヌルマというのは初めて食うたんじゃが何ともない。

お内儀、美味い美味い!なあ、お内儀!」 


雁金文七が「お内儀、お内儀・・・」

と連発したのが「うなぎ」と聞こえたんで、「ヌルマ」が「ウナギ」と名前が変わった。


 薩摩の侍たちも雁金文七が美味そうに食って、命にも別状もないので、みんなでウナギを食べて大満足。

さっきの喧嘩騒ぎはどこへ行ったやら、みんなでウナギと言う字を考え始めた。


 初めてウナギを料理したのが菱又やから、魚偏日、四、又と衆議一決。

さらに鰻料理を始めて出したのがお内儀のお谷さんだ。

だから料理屋「菱又」のあるあたりは鰻谷という地名になった。


 ほんに、落語ちゅうもんは大したもんですな〜。

落語は聞いとかな、ならんもんで・・・


。。。。。。

えぇ〜‪(´•ᴗ• ก )‬՞ ՞いかがでしょうか?

長々とすみません💦

皆さん嘘ですよ!

落語ですからね〜ꉂꉂ(ᵔᗜᵔ◍)ゲラゲラ


長堀川の北側は、繊維で栄えた町の「船場」で、船着き場がありました。

この船着き場から細く長い道がたくさんあり、これが鰻の寝床のようだということで、「鰻谷」と呼ぶようになったという説があります(*^^*)


ではまた次のブログでお会いします。