今日のテーマは
『上方落語巡礼記』
大坂の「船場(せんば)」にまつわる落語を紹介していこうと思います。
大坂の町人文化の中心となった所で、船場言葉は江戸時代から戦前期にかけて規範的・標準的な大阪弁と見なされていたそうです。
さてその船場にまつわる落語とは……。
『立ち切れ線香』
面白おかしく落ちをつけて下げてしまうばかりが落語か? と申しますとそうではありません。聞き終わった後しばらく、こころに余韻が残る噺もあります。´ᯅ `。。
今回の噺はそんな余韻の残るものの一つだろうと思っています。
ただ……。
どう頑張ったところで、ここで演者の表情を伝えきれないのが悔しいのですが……💦。
以前、この名作の粗筋を紹介したことが有りますが、今回は桂米朝氏の音源を元に、文字に起こしたいと思います(*^^*)
落語というより、小説を読むようになると思いますが、それを承知で文字に起こしますのでご了承くださいm(_ _)m
「朝の連続落語小説(´>∀<`)ゝ」
では「枕」からいきます・・・。
。。。。。。
桂米朝
……線香は「燃える」とか「燻(くゆ)る」とか言わんと「立つ」とこぉ言ぃますな。
あれは時間が経過するにつれてこぉ短(みじ)こなりますので。で、時計の無かった時代にはあの線香で時を計ったんですなぁ。
ことに芸者さんのほぉ「線香代」とか何とか言ぃます。あれは昔、線香をこぉ立てましてね、それが一本立ち切るあいだなんぼ、なんぼといぅので、線香何本といぅのが、今でも言葉だけは残っとりましてな。
近頃、線香立てたりはもちろんしませんけども、一時間を十六本やとか三十二本やとか、その土地によって寸法違いまんねやけどもな、一本なんぼといぅ基準が決めてありましてな。
せやから「一本なんぼなんぼ」て聞ぃたらちょっと安いよぉに聞こえまんねんけど、それが一時間に三十本やなんかいぅたらね、三十倍せんとなりまへんねん。
で、請求書の段階ではそれがもぉちょっと高こなってまんねやな、なんであない高こなるんかいなぁ思うんですが……。
まぁ今でも一人前になった芸妓はんのことを「一本になった」と言ぅよぉなのはこっからきたといぅことを聞きましたんですが、時計の無かった時代なんかいぅのは色街ものんびりしとりまして、船場あたりの商家(しょ~か)の若旦那になりますといぅと、あぁいぅところに馴染みがなかったら、また困るんやそぉですな。
「うちの若旦那、こないだミナミでずらぁ~ッと勢ぞろいして、誰も馴染みの芸妓がおらなんだ!」
ちゅなことんなると、また商いにかかわるてなもんで、適当に遊んでてくれるほぉがよかったんやそぉです、若旦那ちゅなものわ。
あんまり凝ってやられると困りますがね、適当にやったって大きなお店は少々のことで潰れるよぉなことはないし、商売のほぉはもぉしっかりした番頭が二、三人おるさかい任しといたらえぇちゅなもんですな。
なまじ真面目な若旦那で「事業の改革を……」てなことでいっぺんに店潰れてしまいまんねん、そんなことしてもらわんほぉがよろしぃ。ほどほどに遊んでてくれるほぉがありがたいわけなんですが、こいつがまた過ぎるといぅと困りますなぁ。
そぉいう所には、世間知らずの若旦那、カ~ッとのぼせたら何をするや分からんといぅよぉな……
。。。。。。
えぇ〜( ᴖ ·̫ ᴖ )米朝師匠の独特の語り口が伝わりましたでしょうか?
難しいもんですね💦
口調や間合いまでは文字に起こすのが難しいです。
今まで、大好きなこの名作を取り上げてこなかったのはその理由です。
先に申しましたように、どう頑張ったところで、ここで伝えきれないのが悔しいのですが、最善を尽くしたいと思ってます。
この『立ち切れ線香』の「枕」では、昔は時を線香で測っていたという事と、「一本立ち」のエピソードは必ず語られます。
現代では馴染みのない文化だからです。
さて大阪船場。その語源を調べてみると沢山あるのに驚きました!Σ(゚д゚;)
・しばしば戦争があった場所で、「戦場」と呼ばれた。
・大坂城の馬を洗った場所で、「洗馬」と呼ばれた。
・砂浜であったため「砂場(さば)」と呼ばれ、これが転訛して「センバ」となった。
・古代は船着き場であって、着船場の「着」の字を省いて「船場」となった。
個人的には最後の着船場の説が妥当かと思ってます( ᴖ ·̫ ᴖ )。
ではまた次のブログでお会いします