こんにちは、ご訪問頂き有難うございます(^-^)

言葉が伝えようとしている本当の意味を、あくまで私個人の感想として伝えたいと思いました。f^^*)

 

日本語の単語の中には、その由来を知ると幸せな気分になる言葉があります。(^ ^)

皆さんも一語一語と向き合ってみて下さい。

きっと温かいものが胸に沸き上がります。

(*˙︶˙*)☆*°


今日の言葉は!

『むら』

「むら」「まち」は、地方自治体である「〇〇村」や「〇〇町」を指す言葉として使われることが多いため、どうしてもそうした自治体の定義に引っ張られて、「むら」は人口が少ないところで、多いと「まち」、という印象を抱いてしまいます。
ですが、それはこの二語の最上層の意味でしかありません。

「むら」はもともと、さまざまなものが「自然に集まる様子」を指す言葉で、それを表す動詞が「むらがる」です。
むらがって湧き上がる雲は「むら雲」で、欲望や怒りなどが心の中で群がっている状態は「むらむら」。
そして「人家が群がるところ」も「むら」と呼ばれるようになったと考えられます。
動物の集まりを指す「むれ」も兄弟のような言葉。
すべての核にあるのは「集まる」ことです。

ただ、「むら」という語をよく理解するには、自然の中で何かが集まるとはどうゆうことかを想像することが必要です。
雲や、鳥や、落ち葉が集まる様子を思って見てください。
人が物を集めるのとは違って、100パーセントが一箇所に集まることはないし、直線的に並ぶこともありません。
物理の授業のような言葉を使うなら、空間における散らばり方に偏りが生じて「蜜」な部分と「粗」の部分が生まれるだけです。

昔の人が「むら」と呼んだのは、そうゆう集まり方なのです。
したがって「むら」という言葉は、濃さなどが「均一でない」という意味を持ちます。
「むらっ気」「仕事にむらがある」などと言うときの「むら」です。

このふたつの言葉のように、人間の気性などについて使われる「むら」にはいいイメージがありません。
それは「人の精神は一定であるべき」という考えが常識としてあるからです。

しかし、気象や火山、動植物の活動といった大自然の営みは、この世界の粗と蜜のありようを刻一刻と変えているのだから、人間の心身の状態や環境との関わり方についても「むら」を肯定的にとらえ、それを生かそう、という発想も可能です。

演劇やショーの作り手、遊園地の乗り物の設計者などは「緊張感のむら」を作ることで客に大きな満足感を得てもらおうと努めているし、扇風機の会社は人が心地よく感じる風のゆらぎ、すなわち時間的に見た「風量のむら」を追求しています。

「むら」とはこのような言葉です。
だから村落という意味の「むら」の景色は、語源に沿って言うなら「自然の営みの一環として人家が密になった様子」。
そう思うとじっくり鑑賞してみたくなりますね。

続いては「まち」です。
実は、ここまでの話で「自然の営み」という言い方を繰り返したのは、これから説明する「まち」との違いをはっきりさせるためでもあります。

「まち」という言葉は、もともと「区切られた一区画」を意味しました。
区切るのは人間であり、そこには、土地を均等に分ける、あるいは、使いやすい状態にする、という意思が働くので、多くの場合、区画の形は四角形。
その結果「四角く区分された場所」が「まち」と呼ばれるようになりました。
最近はあまり耳にしませんが、区画した田んぼも「まち」であり、全国に「まちだ」や「たまち」という地名があるのはこのためです。

人の住居に目を向けるなら 、大昔の人家は自然に集まって「むら」を作っていたけれど、やがて有力な支配者が現れると、人々を自分の館の周りに集め、区画した土地に住まわせるようになって、ここから現在の「まち」が生まれたわけです。

ちなみに、一つ一つの区画の違いに注目する言葉が「まちまち」。
また、衣服やバックなどの「まち」も、もとは着物を作る際、布の不足分を補うために用いる四角い当て布のことであり、語源は同じと思われます。

要するに「まち」とは「四角く区切られた状態」のこと。
そこには、本来は区切りを持たないものを直線で区切ることで、機能的あるいは平等な状況を作ろうとする人々の意思が感じられます。

つまり、「むら」は自然の一部である人間が作る自然な「蜜」の状態であり、「まち」は理性を持つ人間だけが作ることのできる合理的な「区画」です。

これを頭に置いて「むら」や「まち」の景色を眺めることは、人間とは何か、という哲学的な問について考えるきっかけになるかもしれません。
また、私たち一人一人の心にも「むら」と「まち」があると考え、どちらを前面に出すかを時と場所によって切り換えたり、いいバランスを探ったりすることもできそうです。

せっかく重要なイメージを含み持つ言葉が今日まで伝わったのだから、そんなふうに広く、深く、使われるようになってほしいと思います。

文文雅雅


今回の感想文はうまくまとまりましたかね?(=^^=)?



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