こんにちは、ご訪問頂き有難うございます(^^)
35回目になりますが、「旅もの」というからには地名が沢山出てきます。(ノ˶>ᗜ<˵)ノ
皆さんの頭の中で「今この辺かな〜」と思いながら聞いていただくと面白いと思います。
さてシリーズで紹介している上方落語
『伊勢参宮神乃賑』(いせさんぐうかみのにぎわい)、通称『東の旅』です。
今日はその『煮売屋』
陽気もよくなった頃、喜六と清八のウマの合う二人、お伊勢参りでもしようかと、黄道吉日を選び、大勢の人に見送られて安堂寺橋から東へ東へと旅立つ。
玉造の二軒茶屋で、見送りの連中とす(酸)いい酒を飲み交わし、あとは二人連れ、中道、本庄、玉津橋から笠の名所の深江で「深江笠」を買い、くらがり峠(暗峠)、榁木(むろのき)峠を越えて尼ケ辻の追分から南都奈良へと入った。
奈良には印判屋庄右衛門、小刀屋善助二軒の大き な旅篭ある。二人は印判屋に泊って翌朝はゆっくりと奈良名所を巡って、街道筋から野辺へとやって来る。
百人ばかりの陽気な道中連とすれ違ったり、尻取り遊びをしながらの道中だ。
そのうちに喜六が大きな声で「腹減った」と言い出す。
清八はそんな無粋な言葉では百姓に笑われる、「腹はラハ」とひっくり返して粋な隠し言葉を使えという。
清八が人の体は何でもひっくり返ると言うと、喜六は目は?・手は?・耳は?なんて並べて、清八の面目は丸つぶれ。
喜六は「とこまに、ぼくめんだいしもない」(まことに面目次第もない)と思わないかと一枚上手だ。
喜六「それにしても、ラハ減ったねぇ!」
清八『だから大きな声で言ぃないな。ちょ~どえぇ、どぉやら向こぉに見えるのが煮売屋らしぃ、お前ちょっと行って様子見といで』
「よっしゃ……行ってきた。煮売屋らしぃけどね、きょう休みや!」
『いやいや、田舎の店ちゅうもんわな、表から見て休んでるよぉでも内へ入ったら商売してるもんや、大阪の店みたいに「やってまっせ、やってまっせ」そんなことは言わんもんじゃ。中へ入ってみたんか?』
「入ってはみぃひんけどね、ちゃんと表に断り書きがしたぁるよってね、これはもぉ仕方がない」
『どんな断り書き?』
「どんな断り書き、たかてね『ひとつ せんめし』と書いたぁる『せんめし』ちゅうさかい飯はせんやろと思うねぇ。
『ひとつせんめし さけさかな いろぉくぅくぅ ありや なきや』
と書いたぁるねぇ。」
『けったいなことが、どこに書いたぁるねん』
「こっち、こっち、こっち来てごらん。ほれみぃ書いたぁるやろ」
『どこに……。アホ、これ「ひとつせんめし」と違うがな「一膳飯」と書いたぁるねん「一膳飯、酒、肴、色々あり、柳屋」としたぁんねん。』
「悪い書きよぉやねぇ〜」
『読みよぉが悪いんや! 中、入ろはいろ。』
二ぁりが入りましたのは煮売屋さんと申しまして、ちょっとしたお酒呑ましてくれるとか、ご飯食べさしてくれるとか、いまで申しますドライブインの小ちゃいよぉな、昔版といぅよぉなもんでございますねぇ。
『じゃまするで、何ぞ食わしてもらお思て』
「はいはい、お越しなされ。まぁまぁ、そこへ掛けとくなされ」
『どんなもんが出来る?』
「はいはい、出来るものは壁に書いて貼ってありますで、どぉぞ見てもらいたいので」
『あ、なるほどねぇ、壁にねぇ。親っさん書いたんかい?上手に書いたぁんなぁ 』
「 わたしが書きましたんじゃ、上手でしょ。」
『「上手でしょ」て……、何かい親っさん、ここに書いたぁるもんは何でも出来るかい?』
「はいはい、何でも出来ますでな、書いてあるもんは何でも出来ますのじゃ」
『ほたら一番右端のやつ持って来てもらおか?』
「右の端っちぃなさると?」
『あの「くちうえ」ちゅうやつ早幕(はやまく)で持って来てもらおかい。』
「どこに書いてます?」
『「くちうえ」と書いたぁるがな……』
「あら、お客さん「こぉじょ~」ちぃますのじゃ「くちうえ」じゃありゃせんわい」
『口上、かめへんかめへん、それ二人前」
「ちょ、ちょ「口上」が食べられますかいな」
『何でや?』
「「何で」たかて、口上といぅものは「これからあとに書いたぁりますものがでけますで、
どぉぞ見てもらいたい」っちゅうことが口上じゃで、そりゃいけません。」
『あら出来んやっちゃな。おらまた口の上ちゅうから鼻でも料理して持って来んのかと思た。ほな、一番左の端のやつ持って来てもらおかい?』
「左の端っちゅうと?」
『あの「もとかたげんぎんにつき かしうり
おことわり」っちゅうやつ、あれいろいろと具ぅが入ってうまそやねぇ。あれちょっと鍋にして持って来て。』
「ちょと、待ちなはれ。ありゃ断り書きやがな」
『かめへんかめへん』
「「かめへん」言ぅたかて……でけへんて、アホなこと言ぃなさんな、なぶってなさんのじゃ
「口上」と「断り書き」は出来ませんわい、その二枚はのけてもらわな」
『お前「何でも出来る」言ぅさかい、何でも出来るんかと思て……、うまそぉやなぁ』
「まだ言ぅてなさる、出来ゃせんねで、どぉぞおなぶりなしで……」
『あら出来んやつかい、しゃ~ない……。ほな、あいだに書いたぁるもんね〜
「あかえけぇ」「とせうけぇ」「くしらけぇ」また気になること書いたぁんなぁ、何やねんあの「けぇけぇ」ちゅうのわ? 当てつけかい?』
「当てつけじゃありゃせん、ありゃ「け」じゃありゃせんぞ「汁」といぅ字ぃ崩してあぁなりますのじゃ。」
『何じゃい汁かい、もぉちょっとあんじょ~汁らしぃ書いといてくれ「けぇけぇけぇけぇ」どんならんで。ほんだら「とせう汁」ちゅうのかい?』
「あんさん皮肉なひとじゃのぉ「とせう汁」じゃありゃせん「どじょ~汁」と読みなされ。どじょ~汁」
『何でどじょ~汁?』
「濁りが打ってある、濁りを読みなされ。「と」の肩「せ」の肩にチョボチョボと打ったぁるやろがな」
『おぉ、あれ濁りっちゅうのんかい、わしゃ書くときに墨がピャピャッと飛んだんかしら
と思たで』
「アホなこと言ぃなはれ、いろはの文字といぅのは濁り打ちゃみな、その音(おん)が変わりますで、こんなこと心得ときなされや」
『はぁ~、いろはの文字に濁り打ったら、みなその音変わんのん?』
「そらそぉじゃ、こぉいぅことちょっと心得ときなされや。いろはの文字に濁り打ちゃ、みなその音が変わりますのじゃ」
『ほな親っさんちょっと尋んねるけど、いろはの「いぃ」に濁りを打ったらどぉなんねん?』
「「い」は、打てませんわい。何でたかて、お前さんら知ってなさるか知っていなさらんか知らんけどもね、いろは歌といぅものは弘法大師さんのお造りになったものじゃ。
じゃで「い」は弘法大師の仮名頭と言ぅて、もったいのぉて打てませんのじゃ。」
『そんなん初めて聞ぃたで「弘法大師の仮名頭」いろいろ言ぃよぉあるねぇ。ほな親っさん、そのどじょ~汁ちゅうのんもらおかい。』
「あぁそぉかい。婆どんや、客人どじょ~汁がえぇっちぃなさるでな、こなたすまんけど大急ぎで町まで味噌買いに行てきてくれんかのぉ。わしゃ裏でドジョウすくて来るよってな!」
『ちょっと親っさん待ってぇな、今お婆んに何
言ぅたんや「町まで味噌買いに行てきてくれ? 」何かい、味噌ないのんかい、ここには。』
「ちょっと今切らしてますでな」
『町て、近いのかい?』
「はいはい、山越しの三里」
『「山越しの三里」だいぶある?』
「いやいや、田舎もんのことじゃで、山道にゃ慣れとりますで」
『聞ぃたか、こぉいぅことは聞かな分からんわい。やっぱり田舎もんや、山道慣れてるて。もののいっ時もあったら行ってくるか?』
「はいはい、ものの三日もありゃ……」
『アホなこと言ぃな、三日も待ってられへんがな。で親っさん裏でドジョウすくて来るっちゅうてたけど、やっぱりイケスか何かに飼ぉたぁんのかい?』
「そんなもの何もありゃせんで、去年の夏に大雨降りまして、大きな水溜りがでけましたんでな、いま時分おそらくドジョウがわいてやせんかと……」
『わけへんがな、そんなもん。もぉどじょ~汁せっかくやけど、えぇわ。諦めなしゃ~ないやないかい』
「諦めなさるか。そぉしなされ、そぉしなされ」
『ほな、くじら汁にしょ~か』
「そぉかい、くじら汁にしなさるかい。婆どん
や、客人くじら汁がえぇちぃなさるで、大急で握り飯十(とぉ)ほど作っとくれ。わしゃこれから熊野の浦へ鯨買いに行く!」
『待ってぇな親っさん「これから熊野の浦へ鯨買いに行く」? そんなことしてたら、ここで正月迎えんならんやないか。
こんなとこで初日の出拝んでどぉすんねん、無茶言ぅたらどんならんわいホンマにもぉ。何ぞすぐに出来るもんないのんかい?』
「すぐに出来るもんは照らしに入ってるで見てもらいましたら結構じゃ」
『どんなもんがあんねん?』
「「どんなもんがある」たかて、まぁそぉじゃなぁ、棒だらの炊いたんあるがどぉじゃい?」
『棒だら、棒だら食ぅと人が共食いやちぃよる「あ、棒だらが棒だら食ぅとる」どんならん。また今度寄してもろたときにしょ~か、いつになるや分からんけど。』
「ほたら何じゃい、このニンジンの炊いたやつやどぉじゃい?」
『ニンジン炊いたん、ニンジン食ぅとみなスケベェや言ぃよってねどんならんねん。また今度寄してもろたときにするわ、いつ来るや分からんけれども』
「おからの炊いたんやどぉじゃい?」
『そら、旅出るときから十日ほど続いたぁんねん、何じゃ目が赤こぉなって耳が長ごなって……』
「アホなこと言ぃなさんな。煮豆の炊いたんどぉじゃい?」
『うまいけど、あれ食いかけたら止められへんやろ、いつまでも後引くよってどもならんねん』
「高野豆腐は、どぉじゃい?」
『かすつくやないかい、どぉもカスカスッとするよってねぇ』
「生節(なまぶし)は?」
『値が高いよってねぇ。』
「いちいちケチつけたら、食べるもんありゃせんがな!。
いま「値ぇが高い」言ぃなさったが、高いと思たら止めとぉくれ。山家(やまが)のこっちゃで、そぉいぅもんはどぉしても高こなりますでな」
『いや、高いのんはかめへんねんけどね、親父の精進日、今日は命日になったぁんねん「精進だけは守ってくれ」言われてんねん。
ほかのことはよぉせんよって、それだけでもさしてもらおと思て。』
「そぉかい、ほな何ぞ精進のもん?」
『その高野豆腐もらおか』
「これにしなさるか」
『ちょっとこっち持って来るときね、汁絞って持って来てんか。その高野豆腐の汁絞って』
「あんた、それでのぉても「かすつく」ちゅうてなさったやないか、そんなことしたら……」
『かめへんかめへん、言ぅよぉにしてんか。』
「そぉかい。ほなまぁ庖丁でこぉいぅ風にギュッと押さえとくよぉなことにしますかいなぁ」
『庖丁で恐わそぉに押さえたりしなや、手ぇ洗ろて綺麗ぇんやろ、かめへんからニュニュニュ~ッと絞って』
「こぉかえ、ニュニュニュ、ニュ~ッ、ニュニュニュニュ~ッ」
『別に口で言わいでもえぇ親っさん……。
ちょっとかすつくやろねぇ』
「はじめから言ぃましたやろ。」
『そら食えんなぁ、やっぱり。その鍋、それ生節炊いた鍋やろ、えぇダシ出たぁるやろぉ……、その汁上からダ~ッと掛けるとうまいやろねぇ』
「うまいこと言ぃなさったなぁ、まぁ汁ぐらい掛けんことないけど、今日は命日精進と違うのんかえ?」
『親父の遺言や「精進だけは守ってくれよ、その代わり汁は何ぼ飲んでもかまへん」』
「アホなこと……」
『ハハハァ~ッ、精進、冗談じょ~だん、こっち持って来てもらおか。
ところで、酒はあるか?』
「はいはい、この村には銘酒がございますで」
『銘酒結構けっこぉ、どんな酒やい?』
「「村さめ」に「庭さめ」に「じきさめ」といぅてね」
『あんまり聞かん酒やねぇ「村さめ」っちゅうんはどんなんじゃい?』
「はい、ここで呑んでましたらホロっと酔いが回って何ともいえん気持ちになりましてねぇ……この村、出外れる頃に醒めますで「村さめ」と、こぉ言ぃます」
『頼んない酒やねぇ「庭さめ」は?』
「ここで呑んでて、庭へ出ると醒める」
『「じきさめ」は?』
「呑んでる尻から醒める……
『呑まんほぉがましやないか……。酒ん中にぎょ~さん水混ぜるんやろ?』
「そんなことしやせん、水ん中へ酒混ぜます」
『ほな、水臭い酒やなぁ』
「いや、酒臭い水じゃ」
この話から暫くは具体的な地名はあまり出てこないですが、煮売屋までの道中は、『暗越奈良街道』をすぎて『上街道』の辺りだと思われます。
大阪から暗峠を越えて来た暗越奈良街道、京都からの伏見街道→大和街道(奈良街道)は、猿沢池から上街道となって南下しています。
奈良市の猿沢池西側から櫟本(いちのもと)町、丹波市(たんばいち)町、柳本、桜井市の辻、芝、三輪・・・と南北に縦貫しています。
尚、櫟本・丹波市・柳本は現在の天理市に含まれます。
古代からの「上ッ道」が中世以降、一部ルートを変えたもので、上街道と呼ばれました。
この街道は江戸時代、奈良と桜井を結ぶ生活の幹線道であったばかりでなく、京都や大阪方面から奈良を経て「初瀬詣で」、「伊勢参り」、「大峯山上詣で」などに利用された道でした。
それによって櫟本、丹波市、柳本は宿場町として栄えたようです。
この後は『初瀬街道』→『伊勢街道』へと続いて行きます。
ではまた次のブログでお会いします。