こんにちは、ご訪問頂き有難うございます(^^)


23回目の今回紹介する上方落語に縁の地は


『今橋(いまばし)』です。

この地は私も良く訪れます。

十七世紀前半、寛永のころまで、現在の今橋通りの北には町屋がなくて、広い浜岸だったそうです。

後にこの浜に町屋が立ち並ぶようになり、往来の為、今新しく架けられた橋、つまり「今橋」が作られました。(^ワ^=)


今橋から高麗橋の間の東西の通りは、「浮世小路」と呼ばれ、寛永の頃、揚弓屋、ふろや、餅屋、質屋、音曲師など、浮世のあらゆる商売があったことが、西鶴の「好色一代男」に描かれています。ᐠ( ᐢ ᵕ ᐢ )ᐟ


江戸時代、今橋通りは、大両替を中心として、富商が軒を並べる全国の一大金融センターだったそうです。

中でも鴻池 (こうのいけ)は群を抜く存在でした。

鴻池善右衛門の名前はご存知の方も多いでしょう。鴻池家で代々受け継がれる名前です。

はてなの茶碗』にも登場するので、落語ファンには馴染みの名前でしょう。(´∀`)


今橋五丁目の愛日小学校は、明治五年設立の大阪で最も古い小学校のひとつ。

そのやや東に天保十四年に緒方洪庵が開いた蘭学塾、適塾跡があります。q(^.^/)))

現在は重要文化財として大阪大学が管理してます。





今回ご紹介する落語は

『鴻池の犬(こうのいけのいぬ)』

です。

以外とメジャーな噺でしょうか?



皆さんにはご兄弟はいらっしゃいますか?

私には三つ上の姉がいます。

きっと兄弟は良いものなのでしょうね〜。

ᐠ( ᐢ ᵕ ᐢ )ᐟ



大店の池田屋の店先に兄弟らしい3匹の子犬が捨てられていた。

ブチ犬と純白犬と黒犬がいた。

ころころと可愛かったので、丁稚の常吉が面倒を見ると言うことで、飼うことになった。

子犬も丁稚と一緒にお供して買い物から帰って来るまで慣れてきた。


あるとき、3匹の内、黒犬を分けて欲しいとお願いの人が来た。

池田屋の主人は、可愛いのだが商売人の店先に3匹も犬がいたのではどうにもならないので、喜んでもらってくれるようにお願いした。


「通りかかった者で、主人に話をして、吉日に改めてお伺いします」


と言い残して帰ってしまった。

店のご主人、冷やかしの者だと怒り始めた。


「犬の子1匹、吉日を選んで・・・、なんてバカなことがあるか」


それから10日もした頃、先日の男が紋付き羽織に白扇を持ってやって来た。


「本日、お約束の犬をもらいに来ました」


手土産代わりに、鰹節が1箱、酒が3升、反物が2反付いている。


池田屋の旦那さんおかんむりで

「あの話は反故にしてくれ!」と冷たい。


「犬の1匹貰うのにジャコ一掴み、またはカツ節1本で済むのに、程というものがあって、この手土産は何ですか。

私らは犬1匹で銭儲けしたと言われたくない。もしかして、連れて帰って肝でも取り出して病人に食べさせるのではありませんか。

3日も飼えば情が移るものです」


ビックリした相手は


「私は今橋の鴻池善右衛門の手代で太兵衛と申します。

お子さんが飼っていた黒犬が死にまして、その犬にこちらの犬がそっくり。

ご主人も喜んで直ぐに行けと言いましたが、死んだ犬のこともありまして、吉日を選んで参りました。

お腹立ちの事でしょうが、手土産は亭主の喜びの表れとお受け取り願いたいのです。

雄犬ですから婿養子という事で、親戚付き合いをさせていただきたいと思います」


「鴻池さんなら、この位は当たり前ですね。

どうぞお持ち下さい。

ま、養子縁組はお断りして、ご主人様、皆様にもよろしくお伝え下さい」


立派な駕籠に乗せられた黒犬は大屋敷の鴻池家へ。


子供は黒が帰ってきたと大喜び。

広い庭に放し飼いで、滋養のある食べ物を食べてガッシリした立派な犬に成長した。

外に出て喧嘩をしても負けた事はありません。評判が評判を呼んで大阪一の犬になった。

仲裁も上手いし、他の犬の面倒もよく見て犬の世界の親分になっていた。


春の暖かい日に、外を見ると、ガリガリで痩せ細り毛も抜けた病犬(やみいぬ=病気の犬)が回りの犬に吠えられて、黒の元に逃げ込んできた。

近所の犬が

「オイ、どこのノラや、挨拶もせんと通ってけつかる。」


逃げるその犬を呼びとめた鴻池の大将

『おまえは、どこの犬やねん』

「今宮からまいりました」

『えらい場末から来たんやな。なんで船場へ』

「実は私は船場の生まれでんねん。池田屋はんという家で・・・」

『えっ!?  池田屋!お前に兄弟はなかったか!? 』


「長男は鴻池さんに貰われていきました。

二番目の兄さんは元気者で、道路に走り出たとき車にひかれて死んでしまいました。

私は悪い仲間と拾い食いや盗み食いで体を壊し、病犬になってしまいました。

丁稚さんが自転車の後ろに乗せてくれて、遠いところまで行きましたが、私を乗せ忘れて帰ってしまいました・・・。


やっとの思いで店に帰ると、丁稚さんが棒を振り回して『病犬はあっちに行けと』追われました・・・。

捨てられたと初めて解りました・・・。

トボトボと歩いていたら、ここに出たのです」


『おい皆、こいつは、私が小さいうちに別れた弟や!』

吠えついた犬が「面目ない」


『病気ならご主人に話して病院に連れて行っても良いし、なんなら湯治に行っても良いぞ』


回りの犬にも弟だから面倒を見てくれと頼んだ。


奥から「来い来い来ぉ~い」と声が掛かったので、腹空かしているのだろうからと食べ物をもらいに奥に・・・。

鯛の浜焼きをくわえてもどってきた。

弟犬は豪勢な料理にビックリ。


またまた「来い来い来ぉ~い」と声が掛かったので、奥に走り込んで行った。今度は鰻巻きをくわえてきた。

食べた事もないような料理でまたまた、ビックリ。

「兄さんが、おあがりやす……」


『遠慮せんでええ。私は食べ飽きているから、たまには奈良漬けで茶漬けが食べたいくらいや』


「コーイ、コイコイコ~イ」奥からまた声が掛かった。

今度はどんな料理かと思いながら走って行くと、しょんぼりしながら戻ってきた。


「兄さん、今度何くれはりました?」


『それがな、今度は何にもくれはれへん』


「今、”コイコイコイコイッ”言うてはりましたがな」


坊にオシッコさしてはったんや



えぇ〜(´^∀^`)如何ですか?

兄弟愛にほろっとする話なんですが、サゲが何とも滑稽です。(((๑´ㅂ`) ʬʬʬ

今でもする方はいるでしょうか? 

 昔は幼児のお尻を出し前抱きにして、

「シーコイコイコイ」

とおしっこをさせたものです。(笑)

これを知らないとサゲが伝わりません。(◝‿◜)


「運とか運命とかいうものは、産まれついて持って出て来たもんである」

という言い方をされる方と

「いや、自分の運命というものは、自分の手で切り開いて行くものである」

というような言い方をされる方がいらっしゃると思います。(·︿· `)


まあ、それぞれがそれぞれの意味において、それぞれに正しいのではないかと思いますねー。

それほどわかりずらく、掴みにくいものなのでしょう。

 あるトイレの落書きに

「己のウンは、己の手で掴め」

と書いてあったという笑い話がありました(っ’-‘)╮ =͟͟͞͞💩≡((  ´Д`)/ヤメロー


なかなか掴もうとして掴み切れんのが

「己のウン」じゃないかと思います。


ではまた次のブログでお会いします!