競馬愛好家の皆さん、こんにちは!

 

石川喬司さんが「文芸春秋」で書いた話によると、1972年頃、当時年に二度あった目黒記念の春のほうが行われた日、中山競馬場の四階のとある馬券売り場で、窓口の女性にしきりに頭をさげている長身の紳士がいたそうです。

 「お願いします。どうか昼食をたべないでください」
 「え、どうしてですか?」
 「いや、あなたが昼食をたべると、私についていた勝負運が落ちそうな気がするのです。」
 「......?」
 「私は朝からずっとあなたから馬券を買って、勝ち続けてきました。お願いです、今日一日は空腹を我慢してくれませんか?」

 女性のほうは呆れたように紳士を見つめて、やがて大声で笑い出しました。
 その長身の紳士こそ、狐狸庵先生こと遠藤周作です

 遠藤周作はもともとギャンブルに興味がなかったそうです。
 1969年の有馬記念、報知新聞はあえて競馬を知らない周作に、観戦記の執筆を依頼しました。

 その有馬記念の大観衆が集う中山競馬場で、周作は先輩作家の柴田錬三郎に出会いました。大学の先輩で競馬通でもある彼に周作は買い目を乞うたところ、「おめえ、5-7を買え」とだけ教えられたそうです。
 柴錬としては、評論家から聞いた中穴予想をとりあえずひとつ教えただけだそうですが、レースはヨーロッパ帰りのスピードシンボリが勝ち、菊花賞馬のアカネテンリュウが2着に入り、5-7の枠連馬券が見事的中しました。初心者の周作はこの中穴馬券をなんと一点だけ2千円を買い、8万2千円の払い戻しを受け取りました。
 いわばビギナーズラックです。

 以来、遠藤周作は競馬に凝りはじめ、競馬場や場外馬券売り場で馬券を買い、夏には福島競馬への遠征も敢行しました。
 周知の通り、周作はキリスト教徒でカトリック作家ですが、一方で狐狸庵閑話として軽妙な文章も発表しています。競馬にのめり込んだ頃は、馬券必勝の霊験あらたかな「当たり豆」なるものを知人に配ったこともあったそうです。


 中央競馬会の機関誌「優駿」で、遠藤周作は、こんな文章を残しています:
 「古山高麗雄、山口瞳の両氏といっしょにならんでレースをみていても、比較的にあたるのは、駆け出しの私であってベテランの両氏は、一度配当の窓口には行かぬ。とはいえ、私はお二人に試合に勝っても性分に負けているのだ。......ビギナーは競馬を”当たり、はずれ”の試合でしか楽しめないのであって、本当の勝負を味わっているのは、一度も配当をもらわぬ古山、山口両氏のようなベテランなのである。」

 あの目黒記念の日、たぶん馬券売り場の女性はいつものように昼食をとったのでしょう。周作は午後のレースで惨敗して、あとになっても「この女性が食事さえしなければ、勝運を持続できたのだという確信がそのとき、どこかにあった」と回想しています。

 

遠藤周作に名言が有ります。

信仰は競馬によく似ていると思うことがあります。ビギナーはよく穴を当てます。ところが馬のことを勉強し始めたら、当たらなくなります。』

漱石といい、周作といい痛い処をついてきますね、文豪は!


それでは競馬愛好家の皆さん、また週末に!