今日は阿部典史選手の・・・ | ドラっち▲のよりみちROOM

今日は阿部典史選手の・・・

今日は阿部典史選手の命日です。

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いまから15年前の2007年10月7日の夕方にてノリックこと阿部典史がオートバイ(ビッグスクーター)運転中に交通事故に遭遇して天に召されましました。
私にとってスターライダーの一人だったノリック。
初めて彼の走りを観たのは1993年の鈴鹿サーキット。
全日本ロードレース世界選手権の開幕戦。
まだ17歳だったノリックのGP500クラスでのアグレッシブな走りには驚かされました。
確か結果は2位でした。
しかし、その後に勝利を挙げて1993年の全日本ロードレース選手権GP500クラスのチャンピオンとなります。
実は全日本ロードレース選手権GP500クラスはこの年をもって終了。
ノリックが最後の全日本ロードレース選手権のGP500クラス最後のチャンピオンとなりました。
そして世界を驚かせたのが1994年の世界グランプリ(WGP)の日本グランプリ。
ワイルドカードで出場したノリックは1993年の500ccクラス世界チャンピオンのケビン・シュワンツと1994年に世界チャンピオンとなるマイケル・ドゥーハンと三つ巴のバトルを繰り広げました。
しかもノリックのマシンは型落ちの1993年モデル。
ストレートで突き放されコーナー・詰め寄り時には抜き去るレース展開を繰り広げましたね。
結果は1コーナーでぶっ飛んでしまいリタイア。
でも世界にノリックこと"ノリフミ・アベ"の名前を轟かせました。
後に世界チャンピオンになる若きバレンティーノ・ロッシがノリックのファンで"ロッシフミ"と自分の事を呼ばせていたとか。
ノリックは1994年を全日本スーパーバイク世界選手権に出場していましたがシーズン途中で移籍します。
世界グランプリの世界へ翔び立ちます。
ヤマハ系チームに移籍します。
あのウェイン・レイニーのチームです。
初年度は250ccクラス。
翌年からは500ccクラスにフル参戦します。
1995年は特に結果を残せませんでした。
そして1996年の鈴鹿サーキット。
WGP第3戦の日本グランプリ。
ノリックが魅せてくれました。
予選11位からスタートしたノリックはスタートダッシュを決めて1周目に4位に浮上。
8周目には前年度チャンピオンのマイケル・ドゥーハンをS字コーナーで抜きます。
後は殆ど独走状態でチェッカーフラッグを受けたノリック。
私は運良く、この年の日本グランプリに参戦(観戦)していてノリックの初優勝の瞬間に立ち会えました。
その後は幾つかのグランプリで優勝はしたけどチャンピオンには程遠かったノリック。
でもアノ熱い走りは忘れられません。
ノリックは世界グランプリからスーパーバイク世界選手権に舞台を変えて更に日本に戻り全日本選手権に参戦していました。
一度、昔の職場にノリックがレースの応援参加を求める為に姿を表しました。
握手をしてもらいました。
写真は撮れませんでした。
いま思うとアレが最後に見たノリックでした。
ノリックが亡くなったのはとてもショックでした。
現在はノリックのご子息がレースに参戦しているそうです。
今夜はノリックの事を思い出したいと思います。