帰ってきて、晩ご飯の準備。
冷蔵庫を開けた瞬間、目に入ったのは、あの鯛。
一匹まるごと、ずっとそこにあった存在。
見ないふりをしたくなる。
でも、視界に入った時点で、もう逃げられない。
「今日、これやるのか…」
頭では分かってる。
やらなきゃいけないことだってことも、
このままにしておけないことも。
それでも、気持ちはついてこない。
面倒くさい、重たい、できれば後回しにしたい。
ほんの少しのことのはずなのに、どうしてこうも、
動き出すまでにエネルギーがいるんだろう。
しばらくその場で立ち尽くして、
ようやく、観念したみたいにキッチンに立つ。
包丁を持って、手を動かし始める。
最初は、やっぱりどこか気が乗らない。
でも、少しずつ、少しずつ手を動かしているうちに、
さっきまであった重たい感情が、静かにほどけていく。
気づけば、余計なことは考えなくなっていて、
ただ目の前のことに集中している。
あれだけ面倒に感じていたのに、
ちゃんと向き合えば、ちゃんと進んでいく。
そうやって、ひとつずつ積み重ねて、
気がつけば、料理は完成していた。
――でも、本当の意味での「終わり」は、ここじゃない。
シンクに残った洗い物。
使い終えた道具、散らかったままのキッチン。
「もういいかな」と思いかける自分と、
「ここまでやってこそだろ」と引き戻す自分。
その間で、一瞬だけ揺れる。
結局、もう一度だけ気持ちを持ち直して、
黙々と手を動かす。
水の音だけが響く時間。
何も考えずにいられるようでいて、どこか自分と向き合っている感覚。
そして、すべてが片付いて、手を止めた瞬間。
ふっと、力が抜ける。
肩の奥に溜まっていたものが、ゆっくりほどけていく。
ああ、終わった。
ただそれだけのことなのに、
その一言に、全部が詰まっている気がする。
面倒くさいと思っていた時間も。
途中で感じた小さな集中も。
最後に残った少しのしんどさも。
全部ひっくるめて、「やりきった」という感覚になる。
たった一匹の鯛。
でも、その裏側には、ちゃんと自分の一日があった。
こういう時間が、気づかないうちに、
自分を整えているのかもしれない。
今日は、そんな夜だった。
