悲報に際して。『やっぱ好きやねん』の思い出。 | 義家の人たちとアタシ

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長男の嫁として義家に馴染もうと歩み寄りましたが、義弟が結婚してからは、
義弟嫁を「長男の嫁と違って、いいお嫁さんだ」と、べた褒めする義家の人々。

歩み寄りをやめて9年後アタシの『大!?逆転』が待ち受けていようとは!?

そのいきさつを綴ります。

「教授や部長の前で“やっぱ好きやねん”を歌おうかなぁ、と、思うけど非常識かな!?」

昨夜、後、一時間もすれば松の内が明ける時間帯の、テレビ番組中にニュース速報を報じる音が鳴った。

何事か!?と、テレビを着目していると、『歌手の やしきたかじんさん 死去』のテロップが流れた。

長女が、消化器の講義の時に食道癌専門の教授が「やしきたかじんさんの復帰はないです」と、言われていた、と、昨年話していたのでテロップを観ながら、「うそやん・・・」と、呟きながらも、不謹慎ながら、「やっぱり」と思った。


過去記事に載せたが、いのぶと知り合う前に、看護短大時代から付き合っていたドクター(当時は医学生)が、研修医1年目の忘年会に看護婦(今は、看護師)さん方から、歌を披露してほしいと言われたと、後に冒頭の言葉が続いた。

その時に、「たかじんの歌を聴いたことある?」と聞かれ、当時、演歌にしか興味を持っていなかったので、「ないわ」と応えると、「一度聴いたら惹かれるから、いつかコンサートに一緒に行こう」と、誘われ、ささやかな楽しみ、としていたが、“コンサート”に一緒に行くことはなく、年が過ぎた。

そして、いのぶと結婚3―4年目の頃、たかじんさんと上沼恵美子さんの、テレビでのトーク番組を観て、たかじんさんのトークに魅力を感じるようになり、ファンになった。

学生時代からの友人から、いつか、たかじんさんの本音トークを楽しみにコンサートに出向こうよ!と、8年前から誘われていたが、中々実現しないまま。

永遠に叶わなくなってしまった。

たかじんさんは、実のお母様を憎んでいると、言われていたようで、息子の亡骸に対面出来ないで息子の死去を孫娘から知らされたその瞬(とき)には、お母様はどの様な思いがよぎったのだろうか。

浜村純さんに「たかじんに、たまには家に帰って来るように伝えてぇな」と、言われていたお母様へ想いを馳せる。

たかじんさんも、ご両親様との重いものを背負われていたのでしょう。

たかじんさんの悲報に、悲しみにたえません。


新年のメッセージをお届けいただきまして、有難うございます。おじぎ

返信が遅れておりますが、申し訳ありません。おじぎ