2014年当時、私、愛知県常滑市に住んでいました。常滑は横山やすしんの「まくれー!」の雄たけびが聞こえてきそうな競艇場があることでも有名ですし(笑)、多くの窯が存在する陶(とう)の街、観光地として存在感があり、映画「20世紀少年」のロケ地にも選ばれてました。

 

そうくると、やはりT.REXの「20th Century Boy」が来そうなものなのですが、今回はそうではなくて、カンサスの「すべては風の中に」(Dust In The Wind) について書くことにしました(笑)。

 


名古屋市は名鉄で常滑市と30分くらいの距離ですが、やはり大都市なので外タレのコンサートも多く、この時期サラ・ブライトマンを2014年12月5日、愛知県体育館 に聴きに行きました。

 

そのコンサートで彼女が歌った曲の中に、「すべては風の中に」(Dust In The Wind)がありました。イントロが聞こえてきた時から、「あれ?もしかしたら。。」と思ったらその通りでした。

ああ、なんて 懐かしいんだ、、と、聞き入ってしまいました。というのは、高校生から大学にかけて、カンサスをよく聞いていたからです。

 




当時、クイーンが好きだったのですが、アメリカのハードロック系プログレのテイストの残るカンサスも好きで、LPのジャケットも全部カッコよく、また左程日本ではメジャーでなかったところも友達にファンであることを自慢したくなる(笑)ようなバンドだったんですよね。この曲は大ヒットアルバム「暗黒への曳航」に収録されていて、シングルも全米で大ヒットしています。



 

それと「すべては風の中に」という邦題は、なんとなくボブ・ディラン風に寄せてる感じがするのですが、案外、いい線行ってる気もするのです。

 

風の中にまっている埃を歌ってることは、高校生の自分でも想像がついたのですが(笑)、今、詩を読み返してみると、「無常観」を表現してるのかな、と、やはりそう思いました。Wikiによると、この曲、アメリカの先住民族の言い伝えをモチーフにしたそうなのですが、そうだとすると、アジア的な無常観と繋がってるように感じるのはあながち的外れではないように思われます。

 

【すべては風の中に (Dust In The Wind))】

Same old song, just a drop of water in an 

endless sea
All we do crumbles to the ground though we 

refuse to see
Dust in the wind
All we are is dust in the wind

歌も同じで、大海原の一滴と同じように結局は大地に消えていく。。

私たちは風の中に舞っている埃と同じなんだ。

 

 

さて、無常観を風の中の埃ではなく、水の泡に例えた有名な古典が鴨長明の「方丈記」です。

 

【方丈記 (現代語訳)】

川の水の流れは絶えることなく続いているように見えるが、よく見ればそれは決して同じ水ではない。淀みに浮かぶ泡は、消えたかと思えば現れて、いつまでも同じ形でそこに留まることはない。

 

無常感と言えば、1番ポピュラーなのが「平家物語」です。

 

【平家物語(現代語訳)】

おごれる人も久しからず

ただ春の夜の夢のごとし

たけき者もついには滅びぬ

偏に風の前の塵に同じ

 

ここでは、塵=Dust が登場するではありませんか。「すべては風の中に」との親和性を具体的に感じてしまいます。

 

 

ただ、人間はそうは言っても弱い存在なので、無常観を理解したとしても、「そうか、所詮そうなんだから、なすがままにいくしかないのかな。でも、それもどうかな」と思ったり、むしろ何かの教訓や指針を得たいと思ったりしてしまうものです。

 

ちょっと趣旨からズレてしまいますが、そんな時、この言葉を思い出さずにはいられません。五木寛之の「大河の一滴」です。

 

【大河の一滴】

大河の水はときに澄み、ときに濁る。 川の水が清らかに澄んだ時は自分の冠のひもを洗えばよいし、もし川の水が濁ったときは自分の足でも洗えばよい。人はみな「大河の一滴」で、本当に取るに足らないような小さなものであるけれども、大きな水の流れをかたちづくる一滴であり、永遠の時間に向かって動いていくリズムの一部なのです。

 

さらに話は脱線しますが、あの美空ひばりの名曲「川の流れのように」は、次のように歌っています。

 

【川の流れのように】

ああ 川の流れのように
ゆるやかに
いくつも 時代は過ぎて
ああ 川の流れのように
とめどなく
空が黄昏に 染まるだけ

 

それともう一つ、これも思い出してしまいました。これは無常観ではなく明らかに人生訓なのですが、なぜか連想してしまいました。

 

【徳川家康の遺訓】

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。

 

かなり無常観から脱線してしまいましたが、

おのれを責めて人をせむるな。

とてもずしっとくる言葉だなあ、と思いますよね。

 

あれれ、ホント脱線しまくりですが(笑)、「すべては風の中に」は、決して古くならないし、忘れ去られもしない、人生の羅針盤をも思い出させてくれる、とても素敵な名曲だと改めて思いました。以上です。