先日ブログで

「バースの再来か」と書いたら。

数日後「スポ紙」もこの見出しをつけた。

 

言い出しっぺとして

「バース」をおさらいしたい。

 

バースが

二年目に開花したのは

それは同僚の「長崎慶一選手」に

打撃指導を志願したのが原因です。

 

 

この長崎ってね。

ホント驚愕なんですよ。

 

1985年日本シリーズ第5戦。

ボクは誰よりも早く着いて、打撃練習を

「一塁側アルプス最前列」でみつめた。

 

すると長崎の打球は

オレの目前のライト線ギリギリに飛んだ。

 

その弾道。

!!!

「打席で放った低さ」をそのまま。

そのまま保って「外野」まで。

 

まるで糸を引くように

オレの「ヒザ」の高さを通過していったんよ。

 

「ヒザの高さ」でっせ!

 

打った瞬間から、外野まで。

ヒザの高さのライナー(驚愕)。

 

あれは1985年。

オレまだ25歳(いま59歳)。

「なんで、あんなライナーが打てるのか」。

それ以来、それを探る「旅人」になった。

 

それはどう考えても・・・。

バットが投球軌道の「後ろの正面」に入って。

よほど巧く叩かないと実現せん!と思った。

 

そこにバースが惚れ込んだのでしょう。      

***

25だったオレが、36で東京転勤し。

相模原市の学童チーム監督をした。

 

相模原市は「少年野球教室」が頻繁にあった。

 

そこへ「長崎慶一氏」も何度か指導に来られたんです。

あのダウンスイング時代に、堂々と

「ダウンはダメ!レベルで打つ」と断言された。

 

トスを打つ実演なんかは

まるでテニスラケットで叩いているかのよう。

 

もう完全に完璧に。

軟式ボールが、完膚なきまでに叩かれる。

 

「後ろの正面」から

もう「真っ芯」を食らう叩きっぷりに愕然。

 

流石は「バースの師匠」。

もし二人が出会わなかったら・・・。

 

つまりバースは

彗星の如く現れたワケじゃない。

 

バースは日本人の将棋や打撃に

自発的に学んだからこそ成功したのです。

 

幸いにも、ボーアは親日家。

 

日本人コーチや

仲間との良き出会いがあれば・・・。

あの素養が日本でも開花するかも。

 

***

バースはもともと

「ランディ・ウイリアム・バス」でしたが。

 

「バスストップ」とか

スポ紙の見出しを危惧して

バース」としたんですよ(これホンマ)。

 

「ボア」も呼び名は

「ボーア」がいいでしょう。

「ボア」では、どうしても麻原彰晃だし。

 

ストーブリーグ本番ですね。