「真面目に生きてきただけなのに、なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないの?」
18年前、乳がんを告知されたとき、私の心にあったのは、綺麗な決意でも「絶対に負けない」という
前向きな言葉でもなかった。
ただ、猛烈に腹が立っていた。
なんで私が?
ちゃんと仕事をして、与えられたことを真面目に
やって、誰かに迷惑をかけないように生きてきた。
それなのに、なんで?
入院直前まで普通に仕事をさせられた。
「なんで入院する直前まで働かなきゃ
いけないんだよ」
腹の中でそう怒りながら、それでも仕事を
していた。
今思えば、あの頃の私は「嫌だ」と言うことすらできなかったんだと思う。
入院当日の記憶は、あまりない。
ただ、「これでやっと、身体の中の病気を取り除く手術ができる」と、少しホッとしたことだけは覚えている。
そして手術。
麻酔から目を覚ましたら、身体にはあっちにもこっちにも管がつながっていた。
身動きも取れない。
気持ち悪い。
苦しい。
朝が来るのを、ただじっと待っていた。
生きた心地なんて、しなかった。
退院したら楽になると思っていた。
全然、楽じゃなかった。
胸も身体も痛い。
横になることすら辛い。
そんな状態で、職場に週1回の定期連絡をしなければならなかった
担当の課長は、本当に良い人だった。
今なら、私を心配して1人にならないように気遣ってくれいるんだと分かる
でも、当時の私には、そんなことを考える余裕なんてなかった。
ただただ、
「もう放っておいてよ」
と思っていた。
約20日間の入院中、主人は家で流れていたユーミンの「春よ、来い」を聴きながら、一人で泣いていたそうだ。
私は自分のことで精一杯だった。
主人がそんなふうに泣いていたことも、ずっと後になって知った。
退院して約1か月。
今度は大きな大学病院で放射線治療が始まった。
左胸につけられた治療用の「印」を見たとき、ものすごく悲しかった。
「若いから」という理由で照射量を増やされた。
通うたびに胸は赤く腫れ上がり、ただれていった。
痛かった。
怖かった。
そして、さらに追い打ちをかけてきたのがお金だった。
生理を止めるための注射は、1本3万円。
当時の私は、がんの治療にどれくらいお金がかかるのかも、どんな制度があるのかも知らなかった。
誰も教えてくれなかった。
身体が痛い。
病気が怖い。
この先どうなるのか分からない。
そのうえ、お金の心配までしなきゃいけない。
今思い出しても、
「ふざけんな。」
と思う。
なんで病気になったうえに、こんなことまで一人で抱えなきゃいけなかったんだ。
そんな暗闇の中で、私を救ってくれたものの一つが漢方だった。
「この薬を飲み続ければ、放射線で赤くただれても綺麗な胸に戻るからね」
先生のその言葉を信じて、飲み続けた。
そして、本当に胸は元通りになった。
15年経った今では、銭湯に行っても、胸のことを気にすることはほとんどない。
身体は戻った。
でも。
私の中に残ったものは、それだけじゃなかった。
怒りも残った。
悔しさも残った。
「どうして私だったんだろう」という気持ちも
残った。
そしてあるとき、母に言われた。
「もっと気軽に生きればいいじゃない」
その瞬間。
私の中で何かが、完全にキレた。
気軽に?
「気軽に生きればいい」だって?
ふざけんな。
私はどれだけの思いで病気と戦ったと思ってる。
どれだけ痛かったと思ってる。
どれだけ怖かったと思ってる。
お金のことだって分からなかった。
誰も教えてくれなかった。
それでも私は、自分でどうにかするしかなかった。
なのに、
「もっと気軽に生きればいい」って?
あなたに私の何が分かるの?
あの頃の私は、きっとこう叫びたかった。
力いっぱい、怒りたかった。
でも、叫べなかった。
ずっと「良い子」でいたから。
真面目にしていればいい。
ちゃんとしていればいい。
人に迷惑をかけてはいけない。
与えられた役割をちゃんと果たさなければいけない
そうやって生きてきた。
だから、怒っている自分さえ、
「こんなことを思っちゃいけない」
と押し込めてきた。
でもね。
15年経った今、私は思う。
あのとき怒ってよかったんだ。
怒って当然だった。
悔しくて当然だった。
「なんで私なの?」って泣いてよかった。
「ふざけんな!」って叫んでよかった。
あの怒りは、私がわがままだった証拠なんかじゃ
ない。
誰にも頼れない中で、
それでも生きようとしていた私の力だったんだ。
私は強かったんじゃない。
強くなるしかなかった。
だから、もうあの頃の私に、
「もっと前向きに考えよう」
なんて言わない。
「病気にも意味があったんだよ」
とも言わない。
「この経験があったから今の私がいる」
なんて、綺麗にまとめるつもりもない。
だって。
そんな簡単な話じゃなかった。
痛かった。
怖かった。
悔しかった。
腹が立った。
お金のことも分からなくて、不安だった。
誰かに「大丈夫」と言ってほしかった。
誰かに「あなたは悪くない」と言ってほしかった。
でも、あの頃の私には、それがなかった。
だから今の私が言う。
「あなた、よくやったよ」
じゃなくて。
もっと先に言いたい。
「そりゃ怒るよ。
あれだけのことがあったんだもん。
ふざけんなって思って当然だよ。」
15年経って、ようやく分かった。
私が手放さなきゃいけなかったのは、怒りじゃなかった。
怒ってはいけないと思っていた自分だった。
もう、いい子にならなくていい。
真面目に生きてきたことを、誰かに採点してもらわなくていい。
「もっと気軽に」なんて言葉にも、もう合わせなくていい。
私は私の人生を生きる。
誰かにとっての「ちゃんとした生き方」じゃなくていい。
誰かにとっての「綺麗な答え」じゃなくていい。
15年前、管だらけのベッドの上で、怖くて、苦しくて、腹を立てながら、それでも生きようとしていた私。
あの私がいたから、今の私がいる。
だから私は、あの頃の私の怒りをもう消さない。
抱えていていい。
怒っていていい。
泣いていていい。
そして今日も、自分の本音で生きていく。
だって私は、15年間、自分の命を生きてきたん
だから。