こんにちは。

母の短歌へようこそ。

 

先日、雑木林の中で、青い栗の実を見つけました。まだまだ暑い日は続いておりますが、季節は確実に秋に向かっているようです。

 

 

 

 

さて、これまで約2年に渡り、母の短歌を紹介させて頂きましたが、本日から「母の短歌」のブログは”最終章”に入り、母が80代半ば~短歌の創作を止める91歳までの作品を紹介させて頂きたいと思います。

 

 

《このブログを立ち上げた理由》

 

2年前から始めた「母の短歌」の最終章に入るにあたり、このブログの立ち上げの理由を書き記したいと思います。

 

このブログは素人ながらも長年短歌を愛し、沢山の歌を詠んでまいりました母の作品の紹介をするもので、皆さまのように御自身がお詠みになった作品ではありません。このことを不思議に思った方も少なからずいらっしゃったことと思います。

 

 

3年前93歳で他界した母には、晩年、二つの夢がありました。

 

一つ目は、自分の作品を一冊の歌集にまとめること。

二つ目は、その歌集を短歌のお友達にプレゼントして読んでいただくこと。

 

ただ、言うまでもありませんが、高齢の母がこれらのことを自分自身ですることはもはや無理なことでした。

加えて、高齢になった母に残された時間はまるで砂時計の砂が落ちていくかのようでした・・・。そんな母の、ーー愛する母のーー夢を一日も早く叶えてあげたい・・・、そしてその夢の叶った時の笑顔を見たい・・・。

私はその一心で本作りの右も左も全く分からないまま、家族の応援と友人の協力を得て歌集作りを始めました。

 

それからは家族が一丸となり、手探りながら「歌集を作る」という母の一つ目の夢をなんとか叶えることが出来ました。しかし、2つ目の「短歌のお友達に読んで頂きたい。」という夢は、年老いた母の施設への入所、病院への入院、そして未知の伝染病であるコロナウイルスの流行などが重なり、母の生前には叶えてあげることが出来ませんでした。結果、母の歌集は本棚に沢山残ってしまいました・・・。

せっかく、母の一つ目の夢が叶ったのに、二つ目の夢が叶わない・・・・。途方に暮れ、悔しさで一杯であった時、ふと思いついたものが「ブログを使って母の歌を紹介する。」ということでした。

 

どこからこのようなアイデアが湧いてきたか全く分かりませんでしたが、これを機にブログの何たるかも知らない昭和生まれの私がこれまで80以上のブログをアップし、母の作品を沢山の方々に読んで頂くことが出来ました。このことは非常に感慨深く、また何より、拙い作品ではありますが母の歌を読んで下さった皆様のご厚情には感謝の気持ちで一杯です。

 

願わくは、この最終章をもって、母の長い間の夢が叶いますように・・・。母が笑顔で喜んでくれますように・・・。

 

最終章もいくつかに分け、それぞれに数首の歌を載せていく予定です。最後までお付き合いのほど宜しくお願い致します。

 

 

 

 

子ども等に

誘われ来たる

足利の

藤の花房

地まで垂れおり

 

 

 

 

 

 

時の

止まりたるかに

車も人も無く

足利学校

今に残れる

 

 

 

 

 

 

 

路地ひとつ

曲がれる店に

大正の

頃の布見る

足利の町

 

 

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ふるさとと

此の地もなりぬ

嫁ぎ来て

半世紀ほど

過ぎたる今は

 

 

 

 

 

 

 

 

曇りたる

庭に明かりの

灯るかに

蜜柑のいくつ

色づき初めぬ

 

 

 

 

 

 

 

 

もう若く

なき子の出張

先の地を

昔使いし

地図開き見る

 

 

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《母の歌集》

 

 

 

 

今日も最後までお読み下さり有難うございました。

 

*写真はお借りしたものも使わせて頂いております。