永遠の別れと想い~パート3 | Sophisticate sweet Stencil   

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シャビーシックテイストのステンシルと
アダルトシックなガラスエッチングの魅力
をお伝えするBlogです☆

 




前回と、前々回の続きです。

今日は愛猫を悼む最後の記事になり
前回よりさらに長くなるかと思います。


これまでの記事でもお伝えしましたように
こうした記事には関心がないという方は、
お時間を無駄にされませんよう、スルーして下されば幸いです。

また、こちらに最初にいらして下さった方は、
パート1パート2の記事から
お目通しいただければ、事の経過も解るかと思います。



~❤~


*闘病生活、佳境*

今回の闘病生活後半は、過去の時とは違って
老齢ということもあり、人間の老人介護さながら、
目の離せない、付きっきりの看護&介護になっていきました。


薄明かりに見えるミークのうつむく姿は今にも消え入りそうな儚さがあり...夜も眠れず


2月前半までは、
体調が良い時と元気がない時との繰り返しで
表情にもまだ生気が見られましたが

2月半ばも過ぎる頃になると、
後ろ足腰の麻痺(筋力の衰え)が始まり、
ミークの寝床からほんの少ししか離れていないおトイレや
フードトレイまで行くのもやっとという感じになっていきました。

そんな不自由な身体になっても、
どんなに時間がかかり、大変な思いをしても
自力で砂のおトイレで用を足そうとする
猫の気高さを垣間見たように思います。

ですが、
寝床のすぐ近くに置いてあげたおトイレでさえ、
行き着く手前で漏らしてしまうことも...。

今でも忘れられないのが、その時のミークの表情です。
自分はどうしてこんな自由のきかない身体になっちゃったんだろう....
という不安と戸惑い、失意のようにも見えました。

11年前、急性腎不全で入院した病院で、
突然目が見えなくなった時に見せた戸惑いの表情と
まったく同じ表情でした.....。

そんな思いはできるだけさせたくないと、
できるだけ失敗せずに、もっと楽に用を足せるようにと
すぐにも、あれこれとおトイレ対策を工夫してみましたが
それらが無用になる日はすぐにやってきました。

3月に入った頃には、
後ろ足だけでなく前足も自由がきかなくなり、
首の筋力までも急に衰えはじめ、

もはや、自力でおトイレに行くことも、
身を起こしてご飯を食べることも困難になり、
ほぼ寝たきり状態になっていきました。

食欲も、生気も一気になくなっていき
3月6日のバースデーは迎えられそうもない
と、覚悟にならない覚悟をしていました....。

一日でも一緒に居たい気持ちは山々でしたが
早く楽にしてあげたいという切ない思いもあり

「もう頑張らなくていいからね...」と
声をかける自分がいました。

そんな私の複雑な思いを察したのかどうか...?

この日のミークは↓なぜか、何度となく
自らご飯を欲する素振りを見せてくれて、
時間をかけ、ちょっとずつすする、けなげな姿を
昨日のことのように思い出します。

10
(それまで食べていたフードには口をつけなくなり、この時口にしてくれたのは
少し甘みのあるサーモンとパンプキンのウェットフードでした。
なんせミークは甘い香りや味が好きな子でした....)


首の筋力もかなりなくなっていたので、
この姿勢で食べることも相当しんどいはずでした。

動物は死を悟ると一切食べなくなるといいますが
まだもう少し頑張って生きようとしてくれていたのかどうか....?

それはまるで、この先私が味わう事になる悲しみと淋しさを
少しでも先に引き延ばしてあげようとしているかのようにさえ見え.....

同時に、甘えん坊で淋しがり屋の彼自身、
少しでも長く私達の傍にいたいと
願ってくれているかのようにも思えたり...。
(人間の側の勝手な思いかもしれませんが...)


寝たきり状態で用を足すしかなくなった排便排尿も
シートがおしっこを吸収してくれるとはいっても
シートに密接している下半身部分の毛は
尿で濡れて汚れてしまいます。

猫一倍綺麗好きな子なので、
下半身がおしっこで濡れてしまうのは
とても嫌だろうと思い、

常に傍に居て、ミークがおしっこのサイン
(おしりをモゾモゾさせる)を出すのを見逃さないようにし、
そのサインが出たら、身体が汚れないように
すぐさま、ほんの少し下半身を浮かせてあげて、
おしっこをさせていました。

そんな状態の中、
思わず感心してしまうことがありました。

私が排便排尿のサインをうっかり見逃した時など、
(このサイン、とても微妙で見極めが難しいのです。)

おしっこや軟便が出たと同時に
ありったけの力を振り絞って
不自由な身体を上方にずらし
(つまり、軟便や尿が出る方向とは逆方向にお尻をよけて)
できるだけ下半身や尻尾に尿や便が付かないよう
彼なりの知恵を働かせるのです!

彼の綺麗好きな性質は、寝たきりになっても
失われなかったのです!

それでも、そうした気力体力が出ない時もあり
お尻回りや尻尾が汚れてしまうこともあったのですが、
そうした時も、先出の話のように、
悲しげな失意の表情を見せるのです。

そうした表情を目にすると、
本当に胸がしめつけられました....。

なので、お風呂に入る時間も寝食も惜しんで、
ミークの傍に寄り添う日々でした。



どうしてこんな話をあえてするかと言えば
殺処分施設に送られる犬猫にも
屠殺場に送られる家畜動物にも
動物実験に用いられる動物にも
動物園の狭い檻に生涯閉じ込められる動物、
その他の動物たちにも
同様に、

本能を超えた知力や様々な感情、感覚がある
ということを、闘病中のミークを通しても
改めて認識させられる思いでした。

家畜動物や使役動物はペットとは別物のように
思っている人もまだまだ多いご時世ですが

ミークはそうではないことを
様々な機会を通して
教えてくれたように思えます。






そのように、これまで以上に濃密な日々を
送れば送るほどに愛猫への愛情は深まるばかり。


そんな中、
ミークは奇跡的にも16歳の朝を迎えました!

3月に入ったあたりから、この様子では
3月6日の誕生日は迎えられそうもない....
と覚悟していたにもかかわらず。

とはいっても、昔の闘病時とはまったく異なる
老いてからの辛い闘病からは一日も早く解放してあげたい
という気持ちもあり、素直には喜べない
とても複雑な心境.....。

8
16歳のバースデー当日のミーク

この時はビリルビンの数値も18.0にまで達し、
獣医さんも、こうして生きているのが
不思議なくらい驚きだとおっしゃっていました。

人間のように苦しい、辛い、と訴えることもなく、
静かに耐え忍ぶ健気なミークを見守るしかできず
本当に胸が張り裂けそうでした。



亡くなる3日前のミーク
後になって思えば、別れが近づいているのを悟っていたのかどうか....
自由がきかず衰弱しきった身体を引きずっては私の所にすり寄ってばかりいた日。



亡くなる2日前からは、
肝性脳症の症状の一つ
とも言われている新たな症状が出始め、
瞳孔もこれまで以上に開きっ放しになり
ますます生気(目力)がなくなっていました。

ミークの場合は肝性脳症といっても
聞いていたほど酷い発作や痙攣はなく
よだれが少し続いたり、時々口(歯)を
小刻みに震わせる程度ではありましたが

これまでの猫歴でそうした症状を見慣れていなかっただけに
かなり狼狽えました....。

獣医さんによれば、
傍から見ると辛そうに見えても、
中枢神経に異常をきたして起こる神経症状なので
本人はもはや痛い辛いという感覚や意識は
なくなっているとのことでしたが

実際のところはどうだったのか?.....
先生の心優しい慰めに過ぎなかったのか?
それとも本当にそういうものだったのか?
知る由もありませんが

幸いにも、それは長くは続かなかったことが
せめてもの救いでした。

その一方で、今度こそ....
本当に刻一刻とお別れの時が
迫っていることをひしひしと感じました。



右は亡くなる前日、左は当日の眠りにつく20分程前。
ベッドに横たわる姿勢も辛そうにするので、私の股の間に上半身を
少し起こすようにしてもたれかからせると幾らか楽そうな様子。



*ミーク永眠*

そして.....
バースデーから4日後の3月10日
夜の21:45頃のこと
細々と灯り続けた小さな命は
遂に消えました.....。


こちらは'11 8/1元気な頃のミークの寝顔


亡くなる少し前から、先程話したような
神経症状が見られたわりには
悲痛な鳴き声を上げるでもなく、

最期は身体全ての機能が停止し始めた兆候らしき
大量の失禁を合図に、

ろうそくの炎がスっと消えるかのように
静かに...ほんとに静かに、一瞬にして
逝ってしまった感じでした。

一時はまるで、淋しがり屋の私のため、
甘えん坊の自分のために
一日でも長く生きようと
頑張ってくれていたかのようだったのに。。

最期はまるでタイミングを見計らってでもいたかのような
絶妙なといいますか...不思議なタイミングで
眠りについたかのようでした...。

私同様、とてもミークを可愛がっていた息子は
あの日仕事だったので、通常であれば
ミークの死に際に会える確率は限りなく低かったのですが

ミークのために仕事を早めに切り上げて
帰ることができた、なんとその日に...

淋しがり屋で甘えん坊だったミークだけに、
皆に囲まれて淋しい思いをせずに眠りにつけたことは
本当に幸いなことだったと思います。



'11 6/6 のミーク
私達のお気に入りの1枚。



*愛猫への想い*

1年前のミークのバースデーには
「この調子だと20歳を超える長寿猫になりそうだな」
と冗談まじりに、嬉しそうに語っていた息子の言葉は
叶うことはありませんでしたが

1日2日という余命宣告から
52日間も頑張ったミークはやっぱり、
以前に獣医さんからも言われた通り
強靭な生命力のある子だったのかな....
(歳も歳だったので殆どの医療行為はしなかったのですが
かえってしないことによりストレスも少なかったからでしょうか?)



何においてもとってもデリケートな子で、
沢山ハラハラドキドキさせられましたが、

だからこそ
感受性が敏感な生き物の命を与ることの
責任の重さも改めて教えられた気もしますし

私達の衣食住に利用される
悲しき動物たちの気持ちに
より感情移入できてきたのも

猫一倍感情豊かで表情豊かで、
沢山の理性や知性もあって
そして幾度も闘病の辛さに耐えるミークを
常に傍で見てきたからかもしれません....。


本当に、ミークからは
数え切れない幸せと、癒しの日々と
多くの貴重な学びを沢山与えてもらいました。


そんなかけがえのない子の老後の時期に
引っ越しという最大のストレスを回避して
あげられなかったことはやはり無念であり、
大きな心の痛みになっています...


今回、ミークがこのような結果になってしまったのは
勿論、引っ越しによるストレスが直接的原因
というわけではないとはいえ

腫瘤だったのか?腫瘍だったのか?
結局判らずじまいでしたが、今回見つかった
そうした新たな疾病や過去に患った弱い部分、
そして老齢の弱りに少なからず
拍車をかけてしまったのじゃないかと思うと...

引っ越しを回避してあげられなかったことは
ただただ...申し訳ない...という、
いたたまれなさと無念さで一杯です....。

それだけに、悲しみを引きずってしまい
心の立ち直りにも時間がかかってしまった
ように思います..。

ですがようやく....
すまなかったという気持ち以上に、
沢山の感謝と賛辞を捧げたい!という
気持ちになりつつあります。

そして、もし今後また、
ミークのように不遇な子との不思議な巡り合せがあって
家族に迎え入れる子がいるなら

ミークが残してくれた多くの学びやメッセージを
その子のために生かしていけたら....と。

それがミークの死を無駄にしないことなのだと、
今は少しずつ前向きに思えています。

悲嘆に暮れていた私に
思いやりのある慰めの言葉をかけて下さった
獣医さんや猫繋がりの皆さん、そして家族にも
改めて感謝を伝えたい思いです。





~❤~


尽きない想いは書ききれるものではありませんが
偽らざる思いと共に

健気に気高く、病魔と闘い抜いた愛猫の生きた証を
綺麗事だけで済まさず、ここに記しました。

また、同じような症状、あるいは老いた愛猫が
病いに伏すという初めての経験をされる方が
もしこの一連の記事を目にする時に、

狼狽えることなく、適切な対応を取れるための
何か少しでもヒントになったり、
事前にできることは何か?等考えるゆとりを持てる助け
になれば幸いとも思います。

私が気付けなかったこと、
できなかったことがあれば
反面教師にして下さればとも思っています。



今日は前回にも増して長文になってしまいましたが
ここまでお付き合い下さり
愛猫の死を共に悼んで下さった皆様、

また、前回、前々回の記事で
お悔やみの言葉を寄せて下さった皆様
本当にありがとうございました。





最愛の子は、今はこうして毎日、ベッドサイドテーブルから
愛らしく温かい眼差しで私を見つめてくれます。



まるで、
「おはよう」「おやすみ」「ママちゃん、元気出してね。」
「今日の調子はどう?」

等と、日々、声をかけてくれてるようにも見え、
見守られているような気さえし

亡くなってもなお、ミークは
あどけなく、おおらかな愛で
癒してくれています。