進藤三郎海軍少佐の終戦後の体験。

 

庶民の大多数というのは、

今のそれらとそんなに変らなかった

・・・のかも知れませんな。。。

 

記事引用↓

戦争が終わり、飛行服姿のまま基地から追い出されるように郷里の広島に帰ってみると、原子爆弾の焼け跡で遊んでいた子供たちが私の姿を認めて、「見てみい、あいつは戦犯じゃ、戦犯が通りよる」と石を投げつけてきた。真珠湾から帰ったときは、道で会うと敬礼してくれた子たちです。もうやるせなくてね……。進駐してきた豪州兵にぶらさがるように腕を組んで歩く日本人女性の姿を見たとき、つくづく世の中が嫌になった。一時は自決も考えましたが、終戦直前に生まれた長男が、差し出した人差し指を無心に握ってきた感触がよみがえり、死ねなくなってしまって……。われながら情けない気がしました。

(中略)

振り返ってみると、むなしい人生だったと思いますね。戦争中、誠心誠意働いて、真剣に戦って、そのことにいささかの悔いもありませんが、一生懸命やってきたことが戦後、馬鹿みたいに言われてきて。つまらん人生でしたね……。↑

 

 

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