2週間前に母を、お世話になっている総合病院へ救急搬送した。


私が仕事から帰ると

車椅子に座る母がどうも左に傾いている。クッションを背中や太ももの裏に置いても、安定しない。

もちろん発語もない。

全身脱力感。

顔を覗きこむと
顔の筋肉がだる~ん
とブルドックみたくたるんでいる。

目も焦点があってなくて

『お母さん!お母さん!』
の呼び掛けにも反応なし。



今日は透析の日だった。


実は糖尿病からくる動脈硬化が進み
3日後には左足を切断する手術をする事になっていて翌日から入院予定だった。

朝から僅かに出来ていた歩行もままならず、父が透析の病院に連れて行くことが大変で
近所のローズさん夫妻に、なんとか車に乗せて頂いたとの事。
助かりました。ありがとうございました。感謝します。

透析の先生いわく

切断するショックで覇気がなくなったとの見解。


うそだぉ~(@ ̄□ ̄@;)!!

そんなこんなで
救急搬送され
とりあえず
CTとって検査。


結果後頭部の部位で脳梗塞だった。ドクターより左麻痺がでてます。と言われた。


あ~やっぱりだ。

もう全身どこの血管が詰まってもおかしくないです。

と言われていたので
何で~?とはならないですけど


足の切断より、梗塞が先だったかと

想像してたのより早い展開で
ふいを突かれた感じです。

次の日にはMRIの結果も出て

主治医に呼ばれました

『ここの救急病棟は2週間迄いれます。正直元気に一般病棟に行けるかは保証できません。今の段階は血をサラサラにするくすりを投与します。

しかし、右後頭部で発症してるので
話せないし、目も見えないかもしれません。この2週間がもつか、もたないか、の状態です』て告げられた。


あれから脳梗塞自体は落ち着いたと、一般病棟へ移りました。


寝たきりで
呼び掛けに反応なく
鼻から栄養入れてます。
息も苦しそうで
酸素も口に充ててます。


なのに退院の話が出ています。


急性期の治療はやりつくした。

明日、急に何処かの血管で梗塞を起こしたり

脳梗塞再発、あるいは脳出血性するかもしれません。

感染症をひき起こしたりする可能性も高いです。

と言いながら、転院の話をするのは
心苦しいですが

待ってる方もいらっしゃるのも現実です。


と言われてしまった。


高齢者と、その家族とお付き合いをする仕事に就いて10年目。


このような話は何度も聞いてきた。

だから
わかっているような気になっていたけと、現実は

淋しさと後悔と、何もしてあげれない自分の未熟さに絶望感と、虚しさと

なんとも言えない心境。


さあ、これから

透析してくれて、足のえそ
も診てくれる、なるべく近くの病院を探さないと。

こんなんでも、転院は介護タクシーをつかうんだよね。

なんか、出来るなら自宅に帰してあげたい。

現実は無理ですね。


Android携帯からの投稿

この年になって、色んな経験を
させてもらっている。


振り替えれば
物心ついて
負けず嫌いな、張り切り少女時代


自信喪失ですべてが
投げやり時代の高校時代


そして、怖い者知らずのバブル期で
有頂天になり
ワガママ放題、やりたい放題なOL時代

そこから少しおきつき結婚した。



結婚って窮屈な事があるけど
お一人様では、体験出来ない事が
沢山ある。

子ども達に巡りあえて
空手で入賞したり

素敵なメロディを叶える発表会を見せてもらえたり

沢山の人生を生きてる感じがする。

いろいろあって
今は結婚して良かった
有り難いと思ってます。



バブルを経験した私達の世代は
不可能な事はないと
思える、希望を夢を持つ事が出来る
世代だと思う。


だから、結婚って、地位や自由
名誉のためには
邪魔なもの
って思っていたけど

人を好きになって結婚した。

だから、いつまでも

仲良しで結婚して良かったと
思えるようにしたかった。



だから、七夕さんに願いを込めて

だから今日は結婚記念日。


頑固者o(`^´*)
地球は自分のために回ってると言う
クソ親父

口は悪いし

決してイケてないし



頭にくる事、いっぱいあるけど

今の時代に逆行してるけど

すぐ、大きな声出すけど

小うるさい
昭和の、古き、よき日の
お節介親父

そう思って
ついて行こうとおもいます。

グラチャンのあと
精神的にダメージが強くて
立ち直れよ~って気合い入れてたら

親戚のおばあちゃんが
もう何日も生きられないかも
と連絡が入り
なんとか生きてるうちに会いたいと
スケジュールを都合してお見舞いに行ってきた。


このおばあちゃんは
ココナッツの母方の祖母の妹さん。

ココナッツの祖母すなわちおばあちゃんは、母が四才の時胃潰瘍でなくなったそうだ。

当時戦争が終わる寸前だったが
診てくれる病院はなく
痛がって亡くなったそうだ。

そんな祖母の代わりに暫く
お手伝いしてくれたおばさん(当時はおねえさん)である。

母は、その後いぢわるな継母に育てられたと、よく
話をしたもんだったが、

母が結婚して住んだところは
このおばさんの近くだった。


だからココナッツも、本当のおばあちゃんは知らないし、まあ、継母と言って嫌っている、おばあちゃんも疎遠になっていて、おばあちゃんという存在を知らないで育ってきたけど

このおばさんが、おばあちゃん代わりになってくれて、よく
色んな事を教えてくれました。

また、ココナッツの子どもたちが赤ちゃんの頃よく遊んでくれました。

おばさんは
子どもに恵まれなくて

里親の道を選びましたが

その子も立派に育て上げ
東京の大学にもいかせたそうです。

その子はそのまま東京で就職し結婚しましたが、また子宝に恵まれなくて

孫と遊ぶと云うことがなかったので後に、その子どもさんに
ありがとうと言われたこともありました。

おばさんには、色んな話を聞きました。

おしん
みたいに奉公先で苦労したこと。

若くして、幼い子ども達をおいて亡くなった、おばあちゃんがどんな人だったのか。

子どもが産まれたらどんな行事をするのか?

母も知らない事を沢山話してくれました。




そんな おばさんが
認知症の症状がでてきて

独り暮らしは厳しくなって施設に入ったのは3年前でした。

そこからは、母の病気も良くなったり、悪くなったりで入退院を繰り返したりしてたので、おばさんとも会えない日が続きご無沙汰してました。

1度、脱水を起こした母と肺炎を起したおばさんが、一緒の時期同じ病院に入院してた事があったね。


そんな思い出を胸におばさんに会いに行きました。


もう 呼び掛けには反応しないよと
聞いていましたが

おばさん ココナッツきたよ
随分ご無沙汰したね
ご飯食べれないんだって?
少しは食べて元気だしてよ。

わかる?ココナッツだよ!!
ココナッツがきたよ!



と 声かけをすると
イビキをかいて 寝ていたのに目をあけて
こちらを見てくれました。

ほほえみこそなかったけど

私の方を見てくれて嬉しかった。

そして、重湯を三口ほど頑張ってゴクンと飲み込んでくれました。

職員さんも、驚いていました。


母も車椅子で会いに行きましたが
声かけに反応してくれて
しっかり見てくれました。


話によると、次の日には
もうずっと呼び掛けには反応せず

眠るように、その晩亡くなったそうです。

母もそうとうショックみたいです。

でも、悲しいけど
残念だけど、おばさん、ありがとう。

おばあちゃんって
どんなものだろうって思っていたけど

おばあちゃんの代わりになってくれて
嬉しかったよ。

いろいろアドバイスしてくれて
ありがとうございました。

もっと もっと後半 会いにいけば良かった。ごめんね。


天国でおじさんと久しぶりに晩酌してるのかな。