訃報:林昌二さん83歳=パレスサイドビル設計

 

 オフィスビル建築の第一人者で、毎日新聞東京本社があるパレスサイドビルなどを設計した建築家の林昌二(はやし・しょうじ)さんが11月30日、東京都内で死去した。83歳。

 東京工大卒。1953年、大手設計会社の日建設計に入社。設計を手掛け、66年に完成したパレスサイドビル(東京都千代田区)は、両端にそびえる 2本の円柱(エレベーター棟)と、横200メートルのガラス張り壁面に縦横に走る雨樋(あまどい)やひさしが特徴。機能的でありながら快適な空間を実現さ せて、モダニズム建築の名作とされている。

 71年にはポーラ五反田ビルで日本建築学会作品賞を受賞。その後も、中野サンプラザ(73年)、新宿NSビル(82年)などの大型建築を次々と設計。限られた予算や時間内で資材などを工夫し、豊かな空間を作り上げる手法は「貧困の美学」と呼ばれた。

 80年に日建設計副社長に就任し、のち名誉顧問。日本建築家協会会長などを歴任した。妻は建築家の故・林雅子さん。

毎日新聞 2011年12月2日 2時30分(最終更新 12月2日 9時20分)


VERSYS 650 と共に日本中を駆け巡る・nonnon-林
 


• 日本建築家協会(JIA)名誉会員(1990年5月~92年5月、前身の新日本建築家協会第3代会長)
• 米国建築家協会(AIA)名誉会員
• 日本建築学会(AIJ)名誉会員

略歴
• 1928年9月23日生まれ:東京市小石川区
• 1953年3月:東京工業大学建築学科卒
• 1953年4月:日建設計工務(現・日建設計)入社
• 1973年2月:取締役東京事務所副所長兼計画部長
• 1977年3月:常務取締役東京本社代表
• 1978年3月:専務取締役
• 1980年3月:取締役副社長東京本社代表
• 1993年3月:取締役副会長都市・建築研究所所長
• 1995年3月:取締役最高顧問都市・建築研究所所長
• 1997年3月:最高顧問
• 1999年4月:名誉顧問
• 2004年4月:顧問
• 2011年3月:退任
• 2011年11月30日死去(83歳)

主な作品
• 三愛ドリームセンター(1963年)
• パレスサイドビル(1964年)
• 信濃美術館(1964年)
• 茨城県議会議事堂(1969年)
• ポーラ五反田ビル(1971年、日本建築学会賞受賞)
• 日本IBM本社ビル(1971年)
• 中野サンプラザ(1973年)
• 日本プレスセンタービル(1976年)
• 新宿NSビル(1982年)
• トヨタ博物館(1989年)
• 日本電気本社ビル(1990年)
• 掛川市庁舎(1996年)
• 文京シビックセンター(2000年)
• ポーラ美術館(2002年)


日建設計名誉顧問・林昌二氏が2011年11月30日に亡くなった。ご冥福をお祈りします。

意識しているかどうかを別にして、確実に影響を得た人であり見てきた作品と仕事ぶりは、今ある自分に必要な人であった。


旧掛川市庁舎はすでに取り壊しになって現存していない。1996年の掛川市庁舎は新築されたもの。

日本IBM本社ビルは2009年に本社機能を移転して、2013年に取り壊しが始まり、今現在取り壊しの準備中である。

2002年2月に「パレスサイドビル」を撮ったものが手元にある。

デジカメを始めたばかりのことであり、またメモリが高価であった頃で多くのとも言えないが、また、お試し的であり徹底的の建物を写真に残すと云うには限定的な面が目立つけど概要版としては紹介できるのでJUGEMの「けんちく が いっぱい」で暫定としてUPすることにする。

以下、2002年2月の撮影の一部である。

観直してみると、精緻なデティールが見えてきて、また、工芸的な納まりがあり、今、見直しの価値があるものとして見れた。

VERSYS 650 と共に日本中を駆け巡る・nonnon-パレス1

VERSYS 650 と共に日本中を駆け巡る・nonnon-パレス2

VERSYS 650 と共に日本中を駆け巡る・nonnon-パレス3


新建築1966-12月号から転載した・・・・→

環境から骨格が内容から装備が
都市化する大規模建築物に対応する段階設計法


林 昌二(日建設計工務)


1.はじめに
アントニン・レーモンド氏による旧リーダーズ・ダイジェスト社屋は,私たちの年代のものにとっては当時を代表する傑作として多くのことを教えられた忘れられない作品でした。
その後約20年間の都市環境の変化、特に高速道路の建設によって、この建築の環境条件はまったく一変するに至りました。このような急激な変化が、都市の成長に伴なう必然のものであるとするならば、建築にとって環境条件が一体のものである以上、再開発への要請によって私たちが名建築を失なうことになるのもやむをえないと考えるべきなのかもしれません。このような環境変化をもたらす都市建設へのエネルギー投入が、今後さらに加速度を加えてゆくものとすれば、今あらたに出現したパレスサイド・ビルもまた、それほど遠くない将来に大改造のときを迎えるかもしれません。私たちは計画に当たって、このような大規模建築物の内容を、そのライフの長さに従って段階的に区分し、設計および工事をこの区分に従って明確に段階づけることによって、建築物に将来の環境変化に応ずる可変性を与える方法を用意しようとしました。私たちが段階設計法とよんでいるものがそれです。

さて、建築の大規模化は従来の建築設計では見られなかった、多くの問題を生み出します。それは、一般の建築概念をこえて建築と都市との中間的構成物へと変貌しつつある、巨大建造物の直面する新たな領域での問題であるといえるでしょう。
最初の企画段階の中心になる問題は、その環境条件から、建築の骨格を引き出すことに要約されると私たちは考えています。
この仕事は、建築設計者の仕事であると同時に企画者側の仕事でもあります。大規模の総合計画をスタートさせておきながら、結果的には外観を共通にし、境界の壁を共有するにとどまってしまう共同建築物の多くの実例は、環境に適応した建築の骨格の全貌を見失なわせてしまっていることを示しています。総合的な合理性を優先させることのできる企画者の手によるのでなければ、大規模建築にふさわしい建築の骨格は画かれることができません。
パレスサイド・ビルでは、土地・建築の所有区分にはじまり、ビル内部に複雑な新聞社施設を含む問題、さらには外国会社との共同事業という難問題をも含めて、多くの困難な問題があったと想像されるのですがこれらの企画段階の問題が巨視的な判断によって解決されてきたことは、私たちにとってはもちろん、このピルの設計にとって幸せなことだったといえます。


2.骨格は環境から決まる
私たちが大規模建築の設計のために用意した段階設計法では,建築物をまず長いライフをもつ骨格と、可変性のある短いライフの装備とに区分します。

骨格は、コンクリートの積層状の床と、この床を支える架構とからなる構造躯体と、この床の上に人間、物品、エネルギーを循環させるためにつくられる装備のため基本的な設備とから構成されます。建築の骨格を決めるものは環境条件であり、環境条件は道路、地下鉄、高架道路などの構造的環境と、人間、物品、エネルギーの循環制御にかかわる外的環境とから成っています。
装備のほうは、内装一般と、人、物、エネルギー循環制御のための末端装置とから構成されます。装備は環境条件によってではなく使用の状態によって決まりますが、使用状態は骨格にくらべてはるかに短いライフの、可変性に満ちたものです。かつて、スキン・アンド・ボーンという建築思想がありましたが、今日の大規模建築をそのように静的なものと考えることは適当でないように思われます。
パレスサイド・ビルの表現がまず床の線をはっきりと見せ、次にコア、シャフト、諸装備の収納されている天井裏を明確にし、これに反して柱は暗色に塗装して見えにくく、また外壁はすべて透明ガラスで構成しているのは、床と装備から或るという大規模建築に対する私たちの考え方を示しているわけです。
さて、段階設計法の実際は、まず、建築のライフに従って段階づけられた設計内容を、工程の段階区分と照応させることから始められます。長いフイフをもつ骨格に対して長い工事期間が、また短いライフの末端装備に短い製作期間が対応することになるので、ライフの面からの段階区分は、現実の設計に当たっては、ほぼそのまま工事順序からの段階区分に置きかえることができます。つまり第1段階では構造躯体と装備の基本設備を設計、発注し、このエ事が道む間に次の段階である装画一一内
装と末端設備の設計段階に入るという順序になります。こうすることによって、大規模建築で要請される短い準備および設計期間と長い工事期間という不均衡を実質的に是正し、その全期間にわたって、設計のエネルギーを合理的に配分することが可能になるわけです。


3.ピロティから空濠ヘ
パレスサイド・ピルの骨格についていくつかの特徴的な点をあげてみましょう。もちろんこれらの点は、このビルの環境条件と切り離すことのできない関連をもっています。
まず、コアを外に出してサービスタワーとして独立させ、これによって屋上をフラットデッキ形式とし、ルーフパークを形成していることです。これは、不整形な敷地の有効な利用と、建築によって失なわれた緑を屋上に還元しようとする意図によっています。自動車交通をビルの地下中央を貫通する自動車専用通路に導き、この通路にサービスタワーヘの入口を設けて、直接各階と結びつけています。車と歩行者を完全に分離することも、この外コア形式によって可能となったことです。
ふたつのサービスタワーを設けて、正面入口、エレベーターなどをここに集中したことは、この建築の環境条件が、一般の市街地内のビルのそれとは異なって、外部からのアクセスが、きわめて限られた形でとりついていることと関連しています。つまり、ここでは地表という「面」で広く外部と接触しているのではなく、東西方向からの道路と自動車通路、地下鉄という数本の「線」で建築と外部とが結ばれているわけです。

1街区をおおう巨大建築で、建築と環境との間のアクセスの関係がこのように「線」とその交点になることもあるわけで、外部に対して閉じられたこの孤立系では、建築内部のコンコースがことさら重要な意味をもってくることになります。パレスサイド・ビル1階の商店と外周道路との関係は、ちょうど一般の建築と高速道路との関係に似ており、ふたつの入口はインターチェンジに相当することになるでしょう。
外周道路と1階床とがこのように直接の関係を断たれれば、その高さを揃える理由はなくなります。1階をピロティとすることも実用上から意味のないことになります。
ピロティを骨格の観点からみると、もともと岩盤のような堅固な地盤の上に柱を立てるという発想によったものと想像されます。ところが東京のように火山灰の堆積によってつくられた地盤では、巨大建築の骨格が根を下ろすところは、表土ではなくて20mほども下の東京層なのであり、躯体はこの東京層の上に据えられるわけです。この骨格に対して地下、地上、あるいはさらに将来は高架道路やヘリによって空中から、人間、物品、エネルギーの循環のための人工的な構造物が直接とりつくとすれば、これらの都市施設にくらべて、地表はさして意味のない不安定な存在でしかありません。そこで私たちは骨格が地下から立ち上る姿のものと考え、地表との間に空濠を設けて建築と地表を絶縁し、1階床を高くあげて地下1階を1階と大差ない扱いとする構想をとりました。
ふたたび段階設計法の具体的な進行に話を移すことにしましょう。

骨格の構想が決まれば、大体の床面積が推算でき、また工法の基本が決定できますから全体予算の推算から、骨組みに要するコストの枠を決定します。この枠をにらみながらまず構造躯体だけの設計を行ない、発注することになります。パレスサイド・ビルの場合には明瞭に区分した別途発注という形はとりませんでしたが、全工事費の中での躯体の枠が崩れることは取り返しのつかない影響を生じますから、根伐の工法や工程までを十分考慮した慎重な躯体の設計が行なわれなければなりません。
幸いにしてパレスサイド・ビルの躯体設計は、16.8mという大スパンと、地下6階、地上9階、地上軒高38mというボリュームにもかかわらず、m2当たり鉄骨量0.18t、m2当たり躯体工事費3万3千円という予定通りの枠内におさまりましたが、これはきわめて合理的なコストであると考えられます。新聞社の諸施設と諸種のエネルギー、物品の循環系の大筋など、構造躯体と同じグレードをもつ要素はもちろんこの設計と並行して進められます。特高変電所を裏側の飛地に独立棟として設置する。ボイラーとクーリングタワーをサービスタワーの上部に収容する。空調用の熱交換装置を各階別にファンユニットとしてシャフト化する。地上階の空気の循環は屋根裏(MR)階の機械室からこのシャフトを介してキャンティレバー部分を横引きしてサブライし、耐震壁通りを通って縦にMR階へと循環させる。地下の換気には空濠を利用する。物品の搬出入設備は各サービスコアの裏側に設ける。非常用の設備は、中央廊下の各末端、各シャフト、各耐震壁の小口にまとめて設置する、などこれらの基本的な方針がつぎつぎと具体化されました。


4.装備は可変的に設計される
このようにして構造躯体を中心とし、基本循環系の設備を含む骨格の設計が完了し、工事が進行している間に、内部の諸装画の設計がはじまります。内部の装備が具体的に固まるためには、ビルの経営のディテールとテナントが決定されなければなりませんが、いずれにしてもこれらの要素のための設備設計はすでに決定し、進行中の骨格への影響がないように配慮されなければなりません。各テナントの契約時期は予想することができないので、諸装画の決定から竣工までの期間が最も短くてすむような設計方法が考えられました、一例をあげると、設計者の側であらかじめ数十種類のオフィスレイアウトのモデルプランを用意しておき、
各テナントにこのプランによる組み合せを推奨すること、間仕切についても数種類のプレファブ・ユニット化したモデル中から選定使用することなどであり、もっともネックになりやすい空調の末端設計については、メインダクトヘの影響なしにオリフィスによる制御に頼ることとし、この計算はコンピューターによりスピードアップすること、などの手段が設備スタッフの手によって開発されました。これらの方法をとることによって、全貸室面積の90%におよぶテナントの工事がすべて竣工当日に完了、引渡すことができたのです。
今日、私たちのおかれている技術的・経済的レベルでは、一般のオフィスビルについて、内部装備の可変性と可動性とが一義的に結ばれると考えることは正しくありません。たとえば間仕切のプレファブ化とリムーバブル化との間には大分距離が残されています。間仕切のリムーバブル化のためには、間仕切自体以外に、空調、電気設備等について複雑高度なシステムが採用されていなければなりませんが、日本の現状はそのような段階に達していません。現状ではプレファブ化はペイするがリムーバブル化はペイしないのです。さらに、数年後の改造時には、より高性能の装備品に置きかえられるとも考えられます。私たちの段階設計法では、このような観点から、リムーバビリティにはとらわれず、それよりもむしろ、装備変更時にも躯体への影響を最小限にとどめる工法の設計に重点をおいているのが特徴といえるでしょう。


5.段階設計法の性格
段階設計法によると、環境条件から全体の骨格をつくり、ついで内部の各部分にそれぞれ適応する装備を行なうという順序に従って作業が進められます。内部装備は、いま一応全体を通して完了していますが、今後、テナントの移り変わりなどの外部条件の変化によってさまざまに変転することになるでしょう。
この変転の全過程、つまりこの骨格のライフ全体に対して私たち設計者がいつも関与してゆくのは望ましいことですが、それを保証することは不可能です。また、不特定多数のための建築全体と、特定の使用者のための個々の内部装備とはその性格も異なっており、前者はアノニマスな、後者は恣意的な要素がより強くなるはずでもあります。
このことから、巨大建築においては私たちの仕事を骨格全体の設計方針を誰の目にも明瞭に理解できるようなかたちに設計することに重点をおき、個々の内部装備、特に商店街の店舗設計のようなものはそれぞれのデザイナーが存分に腕をふるっても全体を損なうことのないように配慮しておくことに努めました。たとえば商店街に面する通路はサッシュなしのガラスのはめ殺しだけで構成してありますが、こうすることによって、全体としては光沢と反射光とで統一され、個々の内装自体は、なんの障害もなく自由に表現することが可能になるわけです。


6.おわりに
段階設計法は私たちが大規模建築の設計のために用意した方法であり、建築一般に適用できる方法ではなく、適用しようとすることは望ましいことでもありません。ごく小規模な建築はむしろ装備そのものに近くなるでしょうし、一方、将来想像されるようなさらに都市化した巨大な建造物になると、環境の建築物への影響力よりも、建造物の環境に対する支配力の方が上回ることになって、いずれもここで述べてきたような内容の段階設計法は適当でなくなります。
そこで私たちにとって興味のあるのは、建築の規模は現実には何によって決まるかということです。私たちはすでにどのように大規模な建造物でも具体化するに足る技術をもっており、未来都市の構想にもこと欠きません。にもかかわらず現実の建築規模には限界があります。今日の建築規模の限界が突破されるときには、より新らしい設計方法が開発されているはずです。


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「けんちく が いっぱい」
・・・・とした。

そして、林昌二 先生の「パレスサイドビル」を多くの写真で再構成してみようと思う。

東日本大震災における建築家による復興支援ネットワーク(アーキエイド)

 

 

朝日新聞では、10月になってからこれまでの原発の災害では一本調子である「安全」「安心」から一歩距離を置くような論調が見られるようになってきている。
「プロメテウスの罠」というリポートは、これまでの記事から抜けだした内容となっているけれど、このようなことを知り得たにもかかわらず、報道しなかった責任があるのか今後になるであろうけど、いかにもアリバイのキャンペーンのような記事が続いている。

震災では、津波からの復興といった情報が少なく、久しぶりに近い記事として学生による復興の記事があったので転載することにした。

高台移転 学生と練る


 東日本大震災の被災地では、これから住居の高台移転が大きな課題になる。大学で教えている建築家や学生たちが現地に入り、住民と話し合いながら復興のアイデアを作成。自治体の復興計画にも採用され、地域再生に大きな役割を果たしている。

VERSYS 650 と共に日本中を駆け巡る・nonnon-だいがく

住民の声聞き自治体に提案

 自分の家や浜、山などが再現された模型が目の前に置かれた。実物の千分の1の大きさ。スチレンペーパーという白い素材でできている。
 「この高台に家を移し、集落を結ぶ道は山のふもとに作る案はどうですか」
 学生が説明すると、「自分の家」を食い入るように見ていた中年の男性は「いいねえ、散歩にちょうどいい」とにこやかに話した。
 7月下旬、牡鹿半島にある宮城県石巻市小渕浜の漁協施設。東北工業大と東京理科大のチームが作った住居移転案に対し住民から意見が飛び出す。そのたびに模型に付箋を貼り付け、議論はさらに盛り上がった。
 建築家27人と全国15大学の学生100人による復興支援のネットワーク「アーキエイド」。15のチームに分かれ、牡鹿半島にある30力所の浜を4泊5日で調査した。戸別訪問をしたり夜に集まってもらったりして住民の要望を聞いた。「よそもの」ながら、ぐっと住民の心をつかんだのが模型だ。建築家なら当たり前のように使う道具という。
 「この辺に若い人はいないから、学生さんと話すのは楽しかった」と、地元で自動車整備工場を経営する大澤俊雄さん。妻の時子さんも「ああ、自分たちにも未来があるのかなあと明るい気分になれた」。
 学生たちは、高台への住居・道路の移転案や、施設の設置案を徹夜でまとめ上げた。市への提案書はA3で150ページに及んだ。8月にできた石巻市の牡鹿半島
の復興計画案には、提案した住居移転候補地のほとんどが盛り込まれた。
 「住民の意見を丁寧に聞いてくれた。今の市では職員の余裕がなく、とてもここまでできない」。石巻市の斎藤友宏・復興対策室主幹はこう話す。

  斜面利用は得意

 東北電力の女川原発(女川町)のそばで、ほとんど平地がない「寄磯浜」を担
当したのは、宮本佳明・大阪市立大教授のチーム。
 学生だちと5人で海に面した斜面を歩き回った。2~6戸ずつのこぢんまりとしたスペース8ヵ所、32棟分を見つけ、ほぼ山を切り崩さない高台移転案をまとめた。多少の斜面は気にしない。阪神地区という斜面が多い地域で多くの家造りをしてきた宮本教授にとっては得意分野だ。   
 「国にも市にもお金はない。現実的な案にしたかった。いまどき、大造成・ニュータウンなんてはやらない」。仏の思想家レビストロースの、ありあわせの材
料でものを作る「ブリコラージュ」 (器用仕事)の考えに影響を受けている。

  魚介類を観光に

 小嶋一浩教授が率いる横浜国立大大学院のチームは牡鹿半島で最大の街、「鮎川浜」を担当。ユニークな漁業の復興策を考えた。半島でとれる魚のうち、最も品質がよい3%分を漁師が地元の浜に持ち帰り、観光の目玉にする構想だ。
 漁師たちの話を聞くうちに、流通の問題点に気がついた。地元の魚介類のほとんどは釜石、石巻、気仙沼の港に水揚げされ、自分が魚を食べるときは遠くまで買いに行かなくてはならない。値段も高い。
 「一番おいしい魚は地元で食べられるようにしないと街は発展しない。一番大事なことは、人を呼び、収入に結びつく産業の復興案だ」 (小嶋教授)。ホヤやカキ、アワビを堪能できる1泊2日のモデルコーースを盛り込んだ。

集落離散や職員不足が心配

 復興計画はできても、お金がなければ実現はおぼつかない。野田政権が28日に国会に出した今年度第3次補正予算案では、高台移転や道路整備などの事業について、被災他の自治体が自由に使える復興交付金1兆5612億円を用意。法律が通れば、お金の心配は軽減されそうだ。
 ただ、それでも不安は残る。津波に襲われ、住民が移転した跡地は「災害危険区域」に指定され、家は建てられなくなる。だが、様々な事情から「元の場所の近くに住みたい」という人は出てくるだろうし、地域によっては、高台移転で集落がバラバラにならざるを得ないところもある。
 石巻市内には、高台移転が必要な場所が牡鹿半島を含めて58力所もある。同市の斎藤主幹は「Iカ所に職員1人をつけて専従させたいが、今の石巻市でそれだけの職員を確保できるかどうかわからない」と話す。
 今回のプロジェクトを現地で取り仕切った東北工業大学講師の福屋粧子さんは「復興にはまだ長い時間がかかる。多忙ながら参加してくれた建築家の意欲をいかに維持し、参加し続けてもらえるようにするかも課題」と話す。
 (小山田研慈)2011-1030朝日新聞朝刊・記事

VERSYS 650 と共に日本中を駆け巡る・nonnon-谷川
写真は、2011年8月の撮影で・牡鹿半島の大谷川浜の谷川小学校である。

谷川小学校のある浜は、朝日の記事にある女川原発に近い「寄磯浜」から鮫浦湾を挟んで、ほとんど対岸にあるところで大原から女川に抜けるところにある。大原は石巻湾側に面しているのでこちらに行くには尾根を越えなければならない。普通に森を抜けてリアス式の特徴的なクネクネ道を抜けて坂道を下って浜方向に向かって行くと最初にこの学校が見える。
躯体を残してすべてが破壊されていて何も無い。
そして、この浜の大きさは中央の水の見えるところが浜で、その先の森が浜に接するようなところまでである。ごく小さな浜が全滅していた。水の左に見えるボックス型のコンクリートがこれまでの道で、右に見える黒い線が土のうを積んで仮の堤防扱い・・・・・・・・通ったときは土のう越しに見える海がこちらの目線と高さが合うように見えた。

これまでの道は浜と共に全て無くなっていて、大きく奥に迂回する形で仮設道路が付けられていた。この浜は「つなみ」を受けたところの道路の舗装がすべて剥ぎ取られていて、仮設道路は砂利舗装になっていてバイクには辛い・・・。しかも、浜に降りるには急な坂を伴う。ブレーキを踏み過ぎると滑るのでグリップをきかせながら降りることになる。
ゆっくりと通過するが浜はすべてが水に襲われたようで、痕跡が信じられない高所にあるのが判った。
本当は、バイクを降りて集落の状況と被害を確認したかったけれど、仮設の道路は狭く、かつ砂利道で不安定で止められるところもない。写真は、不安定ながらも坂道で片手で何とか撮影したものである。
この浜で形あるものはこの学校の躯体のみであった。東京で見る記事にはない現場の状況が見れた。

この学校の震災の時の様子は後日、netで記事を発見した。全員が無事であったことを知る。
裏の森の神社に避難して助かった。一晩を神社の祠で過ごしたという。
Googlemapで見ると、何も無くなっているのがよく判る。神社はあった。

以下、netで見つけた記事を転記する。
住民の助言で高台に避難して全員無事。卒業祝う。石巻市・谷川小学校。
東日本大震災の津波避難成功例

 
 牡鹿半島にある宮城県・石巻市・谷川(やがわ)小の卒業式と終了式が9日、行われた。同校は津波で全壊したが、児童、教職員は学区内の住民に助けられ、全員が無事だった。地域の絆の固さと温かさを胸に刻み、児童たちは新たな一歩を踏み出した。
 
 3月11日の地震直後、校庭に集まった児童と教職員は、避難してきた地域住民の助言で、高台を通る県道に移動。直後に津波の第1波が押し寄せ体育館が流された。校舎2階まで水没するほど水かさが増したため、児童らは山に登って逃げた。
 
 波が収まった午後5時すぎには、小高い丘にある神社に避難。住民約20人とともに不安な一夜を過ごした。翌12日は隣の集落に移動して食事を分けてもらい、13日には全児童が保護者と再会を果たした。
 
 式は当初、同小校庭で行う予定だったが、雨のため近くの旧大原中体育館に変更した。都合がつかなかった2人を除く12人が出席。千葉幸子校長(57)が、自宅に持ち帰っていたために流失を免れた卒業証書を3人の卒業生に手渡した。
 千葉校長は「3日間の頑張りを通じて、皆さんは命の尊さと人の真心を学んだ。自信を持って中学校で力を発揮してほしい」と呼び掛けた。
 同小は大原小を間借りして授業を再開するが、在校生11人のうち5人が市内や仙台市の小学校に転校する。谷川小に残る児童は「学校を明るくしたい」「みんなを引っ張っていく」などと誓っていた
河北新報2011-0410記事

写真の多い情報の発信としてJUGEMのブログを活用する。鋭意更新する。

「けんちく が いっぱい」
・・・・とした。

東日本大震災における建築家による復興支援ネットワーク(アーキエイド)


外務省:「日本安全」つぶやいて ツイッター発信者招待へ

 外務省は、東京電力福島第1原発事故による日本の農産物や観光などへの風評被害対策として、フェイスブックやツイッターなどソーシャルメディアの 発信者を海外から招く準備に入った。世界で5億人以上が利用するとされるソーシャルメディアが、中東政変などで大きな影響力を見せていることに着目した試 験事業。被災地を回った発信者に、安全性や感動を伝えてもらうことで、風評被害の緩和を狙う。

 東日本大震災からの復旧に向けた11年度第2次補正予算で、外務省は風評対策のため、15億円を計上した。外務省として初めての発信者招待は、この対策の一環。

 11月ごろから、欧米や中国、中東などから、読者の多い発信者約15人を数回に分けて、福島、宮城、岩手県などに招く方向で、在外公館を通じて参加者を選ぶ。

 ソーシャルメディア関係者が、日本に好意的な書き込みをする保証はないが、外務省の担当課は「現地に足を運び、特産物を食べてもらった上での発信だけに、風評ではない信頼性の高い内容になる可能性が高い。迅速、大量、広範囲に情報を届けることもできるはず」と期待。さらに、海外の新聞やテレビ関係 者を数十人ずつ被災地に招き、より広範囲に日本の農産物、観光情報を発信したい考えだ。

 風評対策事業ではこのほか、日本産品の安全性を伝える著名人のテレビコマーシャルを海外で流し、各国の在外公館で被災地産品の物産展や試食会の開催も計画している。【犬飼直幸】

毎日新聞 2011年9月19日 11時59分

外務省広報文化交流部総合計画課「海外広報事業管理専門員」の公募について

平成23年8月26日

1.応募資格

下記(1)~(5)のすべてに該当する方

  1. (1)国内外の大学卒または大学院レベル以上の学歴を有すること
  2. (2)日本事情の海外広報に関心のある方。
  3. (3)週5日(土,日,祝祭日を除く),週29時間勤務可能なこと
  4. (4)日本国籍を有し,かつ外国籍を有しない者
  5. (5)英検準1級レベル以上の語学能力を有すること

また,次のいずれかに該当する者は,今回の募集に応募できません。

  1. (イ)成年被後見人,被保佐人。
  2. (ロ)禁錮以上の刑に処せられ,その執行を終わるまでまたはその執行を受けることがなくなるまでの者。
  3. (ハ)一般職の国家公務員として懲戒免職の処分を受け,当該処分の日から2年を経過しない者。
  4. (ニ)日本国憲法施行の日以後において,日本国憲法またはその以下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する政党その他団体を結成し,またはこれに加入した者。

2.募集人数

2名
(下記6.(1)及び(2)を担当するものを,各1名ずつ採用する)

3.契約期間

開始日:平成23年10月3日(月曜日)

契約満了日:契約開始日から6ヶ月
(但し,平成24年3月31日までの契約更新の可能性有り。)

4.採用形態

非常勤の国家公務員

5.待遇

基本給は,原則として外務省専門職員合格者に準じる扱いで格付けの上支給。

6.業務内容

  1. (1)日本の魅力や震災から復興する日本のイメージを発信するために在外公館及び本省が世界各国で使用する海外広報素材を制作する業務の一部を担当する(委託業者の募集,制作内容のチェック,業者との打ち合わせ,梱包・発送手続,会計処理等)。
  2. (2)当課が所管する海外向け日本の広報事業の連絡・調整業務に従事する。主として,東日本大震災の被害・影響から復興へのプロセスを踏み始めて いる日本の姿や我が国の優れた点を理解してもらい,そのことをソーシャルメディア(ブログ・フェイスブック・ツィッター等)で発信してもらうべく実施する 招へい事業(諸外国のソーシャルメディア発信者の日本の招待業務)を担当する(接遇業者や在外公館との連絡・調整,接遇業者と共に行う日程管理等)。

7.勤務時間

週5日 9時30分~18時15分の間で週29時間を超えない範囲(注1:昼休憩12時30分~13時30分。注2:具体的な始業・終業時間は週29時間を超えない範囲であれば相談可)とする。

8.応募方法

 履歴書(写真貼付)に,上記分野についてのこれまでの研究歴または具体的研究テーマ,実務経験等をまとめた ペーパー(A4・1頁程度),英語の語学能力を証明する資料(コピーで可)を添付の上,簡易書留乃至配達記録等の確実な方法で,下記宛に送付のこと(な お,送付頂いた応募書類はお返ししませんので,予めご了承願います)。

〒100-8919
東京都千代田区霞が関2-2-1
外務省大臣官房広報文化交流部総合計画課
(「海外広報事業管理専門員応募書類」と朱筆のこと)

9.選考方法

  1. (1)一次審査 書類選考
  2. (2)二次審査

    一次選考合格者のみご連絡を差し上げ,面接試験を実施します。
    面接実施日時は,担当者よりお知らせいたします。

10.応募締め切り

平成23年9月16日(金曜日)(必着)

11.問い合わせ先

外務省大臣官房広報文化交流部総合計画課 経理庶務班
電話番号:03-5501-8127
ファックス:03-5501-8126


これまで全く報道されない!!!こんなのがある。


ODAに被災地産品購入枠、50億円新設へ

外務省は東日本大震災の復興支援と風評被害払拭のため、東北で製造された物品を優先的に購入する特別枠を政府開発援助(ODA)に新設する方針を固めた。

 関連予算として、2011年度第3次補正予算案に約50億円の計上を目指す。

 

 具体的には、例えば発展途上国に対する食糧支援の際には、被災地の水産加工業者が製造したサバやサンマの缶詰を使うことなどを想定している。缶詰 は、政府が事前に放射能検査を行い、安全性を確認する。また、福島県で多く製造される内視鏡のほか、被災地で作られた車いすなどを医療支援に活用する。

 

 東北の産品を購入することで復興を支援するだけでなく、食品について政府が安全面の「お墨付き」を与えることで海外での風評被害払拭につなげる考えだ。

 
(2011年9月19日03時15分 読売新聞)

本気か???・・・・自己破滅でしか無い