震災から、半年ということ。
わだかまり、多いけれども
言いたいこと、多いけれども

静かにしていたい・・・こともある。














大川小学校
VERSYS 650 と共に日本中を駆け巡る・nonnon-志津川
志津川
VERSYS 650 と共に日本中を駆け巡る・nonnon-大船渡




















大船渡

写真の多い情報の発信としてJUGEMのブログを活用する。鋭意更新する。

「けんちく が いっぱい」
・・・・とした。

東日本大震災における建築家による復興支援ネットワーク(アーキエイド)



2011年8月のお盆の時期に、先の震災での被災地を再び訪れた。

3月に宮城県の松島で地震を経験し、松島の高台から「津波」を見てしまい、被災後の松島を実見してから、5月に再訪していたけれど見る所は限られていた。


この時の想いを忘れず「忘れることは絶対にできない」そして、
amebloにブログを作った。

身近なところを5月に再訪して、そして、自分の生活圏とは異なるけれど身近に接していた地域はどのようなことであろうか。5月にもびっくりしたが「見ること」「体験すること」は映像・情報・写真をはるか超えていることを実感している。そして、遠く遠望することと被災の中に取り込まれることともまったく違う世界なのだということも実感している。

石巻より北のほうはどのような状況であるか。
牡鹿半島・女川・雄勝・志津川・気仙沼・陸前高田・大船渡・釜石・宮古・田老・・・そして、これらに連なる土地のすべて
さらに、仙台の南の閖上・岩沼・常盤線沿線
どこでも、何度でもびっくりと恐怖を味わう。
遠く望見できるようなところから見るときと・被災の中に紛れるとき・・・・望見するときは「すさましいな」という単なる感想しか思えない。しかし、そこから連なる被災の中に入り込むときには・・・何故か「ワァーー」という呆れ感が出てしまう。そして、被災がどんどん深まるにつれ、静かな笑いが現れ・・・そして、なんか気が抜けていきため息に変わり虚脱感が出てきてさらに情け無さを感じる。これらが、何度も被災ごとに現れる。部分として観るものは映像・写真と置き換えれば変わらない。しかし、その真っ只中にいると空気感と共に巨大さに押しつぶされる。
ただの、通りすがりである。しかし、これは絶対的に必要な感覚だと思う。

「たてもの・建築・けんちく」と比較するのはおかしな事である。しかし、たてものも実体験は写真に優る。そうは言っても、この被災地の巨大さと得られる空気感と置き換えたときは、まず私の写真でも体験できるということが言えると充分に思えた。

被災地に入ること・・・これは興味かも知れない。でも、この無情さは「見ること」で彼らの境遇を少しは感じられるし、置かれる社会の矛盾が肌身に突き刺さるように感じられる。遠くいることでなく、肌に感じること有意義である。

そして、持ち帰った写真を見る。あの空気は撮ることが出来ていない。これが被災地の巨大さなのかと思う。やはり、被災地は「実見」しかないと繰り返し想う。

このときは主に4日間を被災地の「通過」に置いたけれど、結果的にはまさに「通過」でしかなかった。
含まない初日は移動だけであったけれど、夜の仙台港の付け根に寄ってみた。周辺は交通量多い・・・。海側に向かうと街の灯りがない。信号すら灯していない。今は8月・・・あれから5ヶ月以上を経過している。交差点は迷いを持って通過して良いものかとゆっくりの走行になる。交通量は多くなくとも他車両はある。どちらが優先か、他所者で信号を頼りにしているものには違和感がいっぱいだ。
その後の昼間までの走行までだったけれど、他の地も、国道ですら信号が灯してなく警官の手信号のところが多い。

どういうことかと、想い迷っていたら、net記事で以下の文章があった。

なぜ信号機だけ…復旧12%、業者選定に時間

東日本大震災のため、岩手、宮城、福島の3県で損壊・流失した508か所の信号機のうち、震災から半年近くがたつ現在も、わずか12%しか復旧していないことが分かった。

 道路や水道は災害時の特例で業者選定手続きを簡略化し、ほぼ復旧したのに対し、信号機の場合、各県警が「公平性を損なう」として特例適用に慎重になっているためだ。業者を決めるだけで1か月以上かかるケースも多く、この間、死傷事故も発生。「なぜ信号だけ遅いのか」。被災者からは憤りの声が上が る。

岩手県では、津波で倒壊したり制御装置が水没したりして使えなくなった信号機は135か所あったが、このうち復旧したのは24日現在で11か所に過ぎない。

 「怖くて道路を渡れない」などの苦情が特に多いのが、津波で壊滅的被害に見舞われた同県釜石市中心部。既に幹線道路は復旧し、車の通行も激しくなったが、信号機は壊れたままだ。

 猛スピードで行き交う車を見ながら、信号機が壊れた横断歩道の前で手を挙げ、車が止まるのを待っていた女性(63)は「誰も止まってくれない。車の流れが途絶えるのを待って、走って渡るしかないけれど、怖くて仕方ない」と漏らす。近くの仮設住宅で暮らすが、視界が悪くなる夕方以降は、怖くてほとん ど外出できないという。

(2011年8月24日14時35分 読売新聞)

VERSYS 650 と共に日本中を駆け巡る・nonnon-04
VERSYS 650 と共に日本中を駆け巡る・nonnon-05
仙台港の夢メッセです。実際はもっと暗くありました。信号の点滅のない交差点は撮っていません。

これが理由????・・・主に国道45号線を通ってきたが、枝線にも多くの信号は何も修繕されていなかった。電気が来ていない??とも考えたけれど、電柱は復旧していて、架線は敷かれている。上記のことで復旧されない・・・・。金額の問題であれば、過去のことで明らかなので問題ないし「公平性」が時間に絡むとは思えない。くだらない事情で怠慢を地方の行政は行っていたってことでした。地方の行政は国の怠慢をとやかく言えない。

街灯も疎らでした。昼間はまあ良いとして、夜は危険です。舗装も流出していて砂利舗装されていたり、転圧も曖昧なのでタイヤが取られます・・さらにはこれまでの道を復旧できず大きく仮で迂回路を付け替えているところもありました。そして、一部陥没したままで未だ放置もありました。舗装も大きく段差を持つところもあり、このようなところは大きく危険の目印をしないと不慮の事故がありえます・放置でした。危険は判っているけれど、回避できることはしましょうよ。
従って、バイク旅の我が身は夜は内陸の町に逃げこむことにしました。

最初を七ヶ浜からとし、北上して岩手の田老あたりまでにしておこうと計画しました。


VERSYS 650 と共に日本中を駆け巡る・nonnon-38
菖蒲田浜海浜公園・・がれきの撤去は進んで隣に山積みにありました。
沈下した地盤は排水もままならない。
この近郊の七ヶ浜エリアは田んぼの瓦礫となってしまった生活が多くそのままでした。
どうも、狭く取り囲まれた地というのは取り残されているようだ。
幹線から離れていて、・・・・・他所者の眼に触れにくいから??ってことないだろうか。

VERSYS 650 と共に日本中を駆け巡る・nonnon-45
浜には、多くのコンテナがいっぱい。不思議な光景でした。
VERSYS 650 と共に日本中を駆け巡る・nonnon-52
砂浜はとても綺麗です。仙台という大きな都市の近郊にこのような綺麗な浜があることうらやましい。
ここに限らず、仙台近郊は綺麗な浜を多く持つ。
VERSYS 650 と共に日本中を駆け巡る・nonnon-58
ただ、これって異様ですけれど、例えて変ですけれど船舶事故でもあり得ること。
でも、異様です。

ただ、悲惨なこととの想いはなく・・・・・・・

VERSYS 650 と共に日本中を駆け巡る・nonnon-60
防潮堤の内側の松林は激しく傷んでいた。隣接する他の地域では、倒れこんで櫛の歯状になっていた。

不思議なことに、帰ってからのnet記事で以下のようなことがあった。撤去を送らせていただけだったんですね。
浜の近海にも多くが沈んでいるようです。

漂着コンテナ 撤去本格化

津波で仙台港から流出し、海岸に漂着したコンテナの撤去作業が本格化している。石巻市から岩沼市にかけて打ち上げられたコンテナは約200個。県は年内での撤去完了を目指す。

 仙台塩釜港湾事務所によると、津波により、同港からは約2000個のコンテナが流出した。海岸に流れ着いた約200個のほかに、仙台港内に沈んだ約340個は既に撤去を終え、残りは行方不明となっている。

 

 七ヶ浜町菖蒲田浜の海岸では、23日から撤去作業が始まった。コンテナはほとんどが横幅12メートルのサイズ。県から発注を受けた業者は、一部が砂に埋まった状態のコンテナを重機で一つずつ掘り起こしていった。その後、中に入っていた木材や飼料などを取り除いた上で切断し、トラックで運び出した。

 

 金属片を散らさないよう作業を進めるため、撤去できるのは1日あたり数個。岩場や離島での漂着も確認されており、同事務所は「海上から船で撤去する必要もあり、作業は難しい」としている。


(2011年8月26日 読売新聞) 

塩竈・松島・奥松島と続くのですが、一日で100kmも進めない。予定の期間ではペースを省略していかないと被害の概要ですらトレースできない。その巨大さは、唯、居るだけでも追いつかない。

2日目を
石巻・牡鹿半島・女川・北上川沿線までとし、内陸の迫町に投宿
3日目を
志津川・気仙沼・陸前高田・大船渡として気分を変えて、内陸の遠野に投宿
ここで、知っていたわけではなかったが、遠野の花火大会に出くわす。
「被災地復興への願いを込めて」とあった。遠野の町は一見すると地震の被害は見ることはなかった。
花火・・・・・・・
しっかり見ました。感慨でした。
VERSYS 650 と共に日本中を駆け巡る・nonnon-17
始めて花火を撮ってみました。手持ちです。
花火の右下にほぼ満月がずっと見えました。

VERSYS 650 と共に日本中を駆け巡る・nonnon-20
豪華とも言えませんが、素朴に「しみじみ」見ることが出来ました。
忘れられない花火となりました。

VERSYS 650 と共に日本中を駆け巡る・nonnon-41
最後に、ナイヤガラと共に「絆 岩手の文字。

4日目
釜石・大槌町・陸前山田・宮古・田老にて最後とし、内陸ではるか後方の十和田にて投宿
雨に合うこともなく、どちらかというと日差し強くよく日焼けをした。これにて目的を達成・・・・最初の七ヶ浜のシッカリ感とは一変させて、時間が進むに従い、トコトコ走りで通過の連続にしないと見ること叶わずとなってしまうこと・・でも見ることと体感することが大事なのでしかたない。


帰り、撮ってきた写真を見ても、見てきたもののボリュームは再現されていないことを考えれば、トコトコ走りの空気感は貴重です。また、自動車からのガラス越しとも違うことは十分判っているのでこれも良かったとしよう。
1日目は、たったの60kmで、2日以降は150kmとすることで調整した。大きな町は後方に施設を残しことが出来ているが、小さな入江の町はほぼ壊滅で、街の機能を失っている。牡鹿半島の各所は報道として聞き・見ることが叶わなっかたけれど行くと、その恐ろしさに愕然とした。明るいときは居ることはできるけれど夜の闇はどのようなことかと想う。


朝日新聞に以下の文章があった。2011-0824朝日新聞
もったいなかった今まで-被災地で考えた


真っ青な夏空に、ペットボトルのロケットが水しぶきを上げて飛んでいく。

 「やったー!」。他の子のよりも遠くまで飛んだ自分のロケットを追って、川上エドオジョン知慧君(13)が駆け出した。
 宮城県南三陸町のキャンプ場で7月、十散人の小中学生が一緒に遊んでいた。東京からこの日バスで来た川上君たち10人と、地元の被災した子たち。子どもが被災地を見て学ぶNPO主催のツアーー・ 
「がれきの学校」 のひとこまだ。
 初め硬かった子どもたちの中で、みんなが「エド」と呼ぶ川上君は一番よく笑い、跳ねていた。芝の斜面を段ボールのそりで滑り降りたり、チーム対抗リレーを始めたり。地元の子たちは、自然と彼の周りに寄ってくる。
「どこに住んでんの?」

 「部活何してんの?」。別れ際には「メアド交換しよう」。
 本当は緊張していた、とエドが後で教えてくれた。「話しかけてもらえないと思ってた」。自分が住む埼玉県には、震災後も普通の生活がある。大事な物を失った人たちには腹立たしく映るのではないか、と。


 東京への帰り道。
 「もったいなかったな」
 エドがつぶやいた。
 津波で流された物やお金のことではない。自分のことだと言う。彼はツアーで見た廃虚の小学校と、出会った子どもたちを思い出していた。「小学校の時、俺、悪かったんすよ。授業に出なかったり。学校に行きたくても行けない子もいるのに。ちゃんとやればよかった」。まだ声変わり途中の少しかすれた声で言った。

 つい半年前、小学生だった彼は学年で十数人の「やんちゃな男子」のリーダーだった。授業中に校内をうろつき、空き教室でほうきをバットにして野球に興じる。自由が楽しかった。
 震災にも興味はなかった。繰り返し流れる津波や廃虚の映像に「もういいよ。分かったって」とうんざりしていた。
 その彼がこのツアーに加わったのは、いま通っている中学の岩崎正芳先生(54)がきっかけだ。5月に学年集会で、先生が岩手県ヘボランティアに行った話を聞いて、「連れて行ってください」と頼んだ。「前にも先生に『人の役に立て』って言われてて。俺でも何かできるかなって」


 実は中学に入るころから、そろそろリセットしたいとひそかに思っていた。でも「問題児」との評判は中学校にも届いている。どうせ先生には煙たがられるのだろうと思っていた。
 でも岩崎先生は意外な言葉をかけてくれた。「お前は面白いやつだ。いいものを持ってる」。先生は「小学校の話は聞いていたが、会ってみると行動力があって、筋を通す魅力的な子。それを素直に伝えた」と話す。工ドはそれから「やっぱり変わろう」と思いを強くしたという。
 「まだ間に合うのかなって」。先生のボランティア話を聞いたのは、そんな時だった。

 8月中旬、記者はエドを訪ねた。「もったいなかった」と悔いて、彼の日常は変わったのだろうか。
 「変わりました!」。彼は即答した。所属するサッカー・クラブで自主練習を提案するようになった。相手にボールを奪われても全力で走って戻る。きつい時でも手を抜かない。
 「被災他の子たちは良い環境にいないのに、俺らに普通に関わってくれた。それがありかたくて。だから自分が今やれることは一生懸命やろうって」。その日も自主練習の帰りだった。
 「それも『俺よくやった』って感じです」。少し得意げに鼻をふくらませた。
 「人の役に立つ」も実践中だ。電車で高齢者に席を譲る。きちんとあいさつし、礼儀を守る。大人にはささやかなことのようでも今の被には大きな一歩だ。
 「人の役に立つとなんか達成感がある。今、生活の充実感がすごくあって。充実させていくのが楽しい」
 あのとき南三陸で会った子だちとは、今もメールや電話でつながっている。
 (原田朱美)


被災地を巡る中で、新たな地に行くたびに「もうやめておくかな」という気にもなる。土地々々で様々な状況があり、まだ酷さは繰り返しある。ただ、こういうことという現実を今の子たちに積極的に見せていくべきだと気づいていた。
「田老」で、広島から来ている青年・壮年??
{クニモぶろぐ} というのをやっている・にも世間話で、そんな話をしてみた。彼は、一人で広島から自動車でやって来て被災地を巡ることと・ボランティアを行うということだった。広島から駆けつける・・・このようなことで良いと思う。見ること・体験すること・そして、このようなこと・子どもであること、もっと有意義なんだと思う。中学生以上であれば積極的に体験させたいものだ・必ず身になる。修学旅行といった纏まったこととなると、必ず反対者が現れるものだ。でも、課外研修や・小さく父母の有志だったり、家族単位でも良い、子どもたちに見せていくこと絶対的に将来の糧になるし、社会の成り立ちも少しは見えてくるし、意欲の発露には個性はあるものの必要だ。

「がれきの学校・風間深志さんこんなところにいたか!・バイク乗りの星です」の宿泊地の南三陸ホテル観洋は泊まったことがある。太平洋に面してすべての客室から見える。また、温泉が良かった。そして、ここは震災での被災者の避難所になっていた。電気が通じなく、水道が使えないので平場まで水を汲みにいかないとならない不自由さが報じられていたところだ。

何かの縁・・・昨年の5月に「広島・ヒロシマ」一昨年に「長崎・ナガサキ」に原爆の地として見に行っている。

これらは、amebaのブログとjugemのブログに一部を散らばらせて公開してみた。ついこの間に放射能・放射線の恐ろしさと続く被災をその地として体験したばかりで、さらに近いところで違う形態だけれど、もっと凄まじいことになってしまった現実・・・・。まだ、原爆の地としての写真は多数にあるが、少しづつ公開していく。


以下の記事、・・・・軽く書かれているけれど重大であり原発の事故の恐ろしさを示している。
前のブログで児玉先生の国会での発言でも、


熱量からの計算では広島原爆の29.6個分に相当するものが漏出しております
ウラン換算では20個分の物が漏出していると換算されます

さらに恐るべきことにはこれまでの知見 で
原爆による放射線の残存量と原発から放出された者の放射線の残存量は
一年に至って原爆が1000分の一程度に低下するのに対して
原発からの放射線汚染物は10分の一程度にしかならない


つまり、今回の福島原発の問題はチェルノブイリと同様
原爆数10個分に相当する量と原爆汚染よりもずっと多量の残存物を放出したという事が
まず考える前提になります

このようなこと、一般の新聞報道では記事にならなかったし、TVでも報道されない。

福島第1原発:放出セシウム…広島原爆の168個分

 経済産業省原子力安全・保安院は26日、東京電力福島第1原発1~3号機と広島原爆から、それぞれ大気中に放出された放射性物質の核種ごとの試算 値を公表した。セシウム137(半減期約30年)の放出量を単純比較すると、福島第1原発は広島原爆の168.5個分に相当する。

 ◇保安院が試算

 試算値は衆院科学技術・イノベーション推進特別委員会に提出された。原爆は「原子放射線の影響に関する国連科学委員会2000年報告」、福島第1原発は、6月に国際原子力機関(IAEA)に提出された政府報告書の試算を基に作成された。

 セシウム137の放出量は、福島第1原発1~3号機が1万5000テラベクレル(テラは1兆)に対し、広島原爆は89テラベクレルだった。ストロ ンチウム90(半減期約29年)は、福島第1原発が140テラベクレルに対し、広島原爆が58テラベクレルで約2・4個分。ヨウ素131(半減期約8日) は、福島第1原発が16万テラベクレル、広島原爆は6万3000テラベクレルで約2・5個分に相当した。

 保安院の森山善範原子力災害対策監は「原子爆弾は一瞬に爆風や熱線、中性子線を放出し、破壊するもので、単純に放出量で比較するのは合理的ではない」と述べた。【足立旬子】

毎日新聞 2011年8月26日 22時28分(最終更新 8月26日 23時29分)


報道は、どうも政府の発表のみを記事にするようだ。独自の記事は原発関連では行わないこととするのを基本としているとしか思えない。このような試算は、すでに多くの情報としてあるけれど取材は行わないのが新聞やテレビの報道なのだと痛感することだ。「報道のウソ」

2011年8月・・お盆の季節・・被災地には各所に多くの花と共に多くの人がいた。
海にむかって、祭壇があった。
VERSYS 650 と共に日本中を駆け巡る・nonnon-21
女川にて

写真の多い情報の発信としてJUGEMのブログを活用する。

鋭意更新する。

「けんちく が いっぱい」 ・・・・とした。

東日本大震災における建築家による復興支援ネットワーク(アーキエイド)


あちこちで災難がある。
新潟と福島で断続的に大雨が襲う。

「気象庁によると、27日正午~30日午後4時の総降水量は、只見町680ミリ、新潟県加茂市623.5ミリ、南魚沼市562.5ミリなど。このほか新潟県 内の広い範囲で400ミリを超え、各地で04年7月の新潟・福島豪雨の雨量を上回った。新潟県三条市の国土交通省の観測所では27日午後8時~30日午後 2時の積算雨量が1006ミリに達した。」

つい昨週には、台風6号が持ち込んできた豪雨も・・・記録的・・・ということで、もう報道もないようだけれど、続いている。


福島にいたっては、「浜通り」「中通り」と地震に津波に原発の放射線の影響で、さらに、会津地方としては放射能の汚染と避難者の受け入れ先にもなっていたのに、今度は豪雨により被災という全県に渡っての苦難・・・
会津には、避難者も豪雨にまみれてまたまた、避難しなければならなくなった人がいるという。
素朴に安心して暮らせるということ・これが出来ない社会は確実に貧しい。
あまりに多くのことがあり、情報があり、頭の活性化には良いのだろうけれど・・・状況の抜本的対応がないものであろうか。殆どの人々は、状況の改善を望んでおり・・国・行政・・以外は改善と協力を惜しむ人は少ないと思う。


2011年7月27日 (水) 衆議院厚生労働委員会
「放射線の健康への影響」参考人説明より
児玉龍彦(参考人 東京大学先端科学技術研究センター教授 東京大学アイソトープ総合センター長)


労働委員会で放射線の影響を説明した東大の児玉先生の、この国の不始末の状況が判る。
文字おこしをした方がいる。リンクで全文を御覧いただける。そして、YOUTUBEで実際の話が聞ける。
以下一部を転記する。

私ども東京大学には27か所のアイソトープセンターがあり、放射線の防護とその除染などの責任を負っております
それで、私自身は内科の医者でして東大病院の放射線施設の除染などにずっと、数十年かかわっております

3月15日に、ここの図にちょっと書いてあるんですが、我々最初に午前9時ごろ東海村で5μシーベルトという線量を経験しまして、それを第10条通報という文科省に直ちに通報いたしました。
その後東京で0,5μシーベルトを超える線量が検出されました
これは一過性に下がりまして
次は3月22日に東京で雨が降り、0,2μシーベルト等の線量が降下し、これが今日に至るまで高い線量の原因になっていると思っています。

それでこの時に枝野官房長官が
「さしあたって健康に問題はない」という事をおっしゃいましたが
私はその時に実際はこれは大変な事になると思いました

何故かというと
現行の放射線の障害防止法というのは
高い線量の放射線物質が少しあるものを処理することを前提にしています


この時は総量はあまり問題ではなくて、個々の濃度が問題になります
ところが今回の福島原発の事故というのは
100キロメートル圏で5μシーベルト
200キロメートル圏で0,5μシーベルト
さらにそれを超えて足柄から静岡のお茶にまで及んでいる事は
今日みなさん全てがご存じのとおりであります

我々が放射線障害を診る時には、総量をみます
それでは東京電力と政府は一体今回の福島原発の総量がどれくらいであるか
はっきりした報告は全くされておりません

そこで私どもはアイソトープセンターのいろいろな知識を基に計算してみますと
まず、熱量からの計算では広島原爆の29,6個分に相当するものが漏出しております
ウラン換算では20個分の物が漏出していると換算されます

さらに恐るべきことにはこれまでの知見 で
原爆による放射線の残存量と原発から放出された者の放射線の残存量は
一年に至って原爆が1000分の一程度に低下するのに対して
原発からの放射線汚染物は10分の一程度にしかならない


つまり、今回の福島原発の問題はチェルノブイリと同様
原爆数10個分に相当する量と原爆汚染よりもずっと多量の残存物を放出したという事が
まず考える前提になります



そうすると、我々が見るのは
何をやらなければいけないかというと
まず、染地
測定が
出来るように
事を保証しなくてはいけません
我々が5月下旬に行った時先ほど申し上げたように1台しか南相馬に無かったというけど実際には米軍から20台の個人線量計がきていました。
しかし、その英文の解説書を市役所の教育委員会で分からなくて我々が行って、教えてあげて実際に使いだして、初めて20個の測定が出来るようになっている、これが現地の状況です

そして先程から食品検査と言われていますがゲルマニウムカウンターというものではなしに今日ではもっと、イメージングベースの測定器というのが遥かに沢山、半導体で開発されています

何故政府はそれを全面的に応用してやろうとして全国に作るためにお金を使わないのか

3か月経ってそのような事が全く行われていない事に
私は満身の怒りを表明します




内部被曝というものの一番大きな問題は癌です。
癌がなぜ起こるかというとDNAの切断を行います。
ただし、ご存じのとおりDNAというのは二重らせんですから、二重らせんの時は非常に安定的です
これが、細胞分裂をする時には二重らせんが一本になって、2倍になり4本になります
この過程のところがものすごく危険です

そのために、妊婦の胎児、それから幼い子ども、成長期の増殖が盛んな細胞に対しては放射線障害は非常な危険をもちます
さらに大人においても増殖が盛んな細胞たとえば放射性物質を与えると髪の毛それら貧血、それから腸管上皮のこれらはいずれも増殖分裂が盛んな細胞でしてそういうところが放射線障害のイロハになります



ですから今 我々に求められている
「子どもを守る」という観点からは全く違った方法が求められます
そこで今行われているのは
ここには国立のバイオアッセイ研究センターという化学物質の効果をみる福島昭治先生という方が
ずっとチェルノブイリの尿路系に集まる物を検討されていまして
福島先生たちがウクライナの医師と相談、集めて
500例以上の、前立腺肥大の時に手術をしますと、膀胱もとれてきます
これをみまして検索したところ
高濃度汚染地区、尿中に6ベクレル/ℓという微量ですが
その地域ではP53の変異が非常に増えていて
しかも、増殖性の前癌状態
我々からみますとP38というMAPキナーゼと
NF-κB(エヌエフ・カッパー・ビー)というシグナルが活性化されているんですが
それによる増殖性の膀胱炎というのが必発でありまして
かなりの率に上皮内のがんができているという事が報告されております

それで、この量に愕然といたしましたのは
福島の母親の母乳から2~13ベクレル
7名で検出されているという事が既に報告されている事であります



いま、その一番の障害になっているのは、強制避難でないと保証しない
参議院のこの前の委員会で当時の東電の清水社長と海江田経済産業大臣がそういう答弁を行っていますが
これは分けて下さい

保障問題とこの線引きの問題と子どもの問題は直ちに分けて下さい

子どもを守るために全力を尽くすことをぜひお願いします


それからもう一つは
現地でやっていますと除染というものの緊急避難的除染と恒久的除染をはっきり分けて考えていただきたい

緊急避難的除染を我々もかなりやっております。
たとえばここの図表に出ておりますこの滑り台の下、滑り台の下は小さい子が手をつくところです
が、この滑り台に雨水がザーッと流れてきますと毎回濃縮します
右側と左側とズレがあって、片側に集まっていますと、平均線量1μのところだと10μ以上の線量が出てきます
それで、こういうところの除染は緊急にどんどんやらなくてはいけません



第1に
国策として、食品、土壌、水を、日本が持っている最新鋭のイメージングなどを用いた機器を用いて
もう、半導体のイメージかは簡単です
イメージ化にして流れ作業にしてシャットしていってやるということの最新鋭の機器を投入して
抜本的に改善して下さい
これは今の日本の科学技術力で全く可能です

2番目
緊急に子どもの被ばくを減少させるために新しい法律を制定して下さい
私のやっている、現在やっているのはすべて法律違反です
現在の障害防止法では各施設で扱える放射線量、核種等は決められています
東大の27のいろんなセンターを動員して現在南相馬の支援を行っていますが
多くの施設はセシウムの使用権限など得ておりません
車で運搬するのも違反です
しかしながら、お母さんや先生方に高線量の物を渡してくる訳にもいきませんから
今の東大の除染ではすべてのものをドラム缶に詰めて東京に持って帰ってきております
受け入れも法律違反
全て法律違反です

このような状態を放置しているのは国会の責任であります
全国には
例えば国立大学のアイソトープセンターは
ゲルマニウムをはじめ最新鋭の機種を持っているところは沢山あります
そういうところが手足を縛られたままでどうやって
国民の総力を挙げて子どもが守れるのでしょうか
これは国会の完全なる怠慢であります

第3番目
国策として土壌汚染を除染する技術を民間の力を結集して下さい
これは、たとえば
東レだとかクリタだとかさまざまな化学メーカー
千代田テクノとかアトックスというような放射線除去メーカー
それから竹中工務店とか様々なところは、放射線の除染などに対してさまざまなノウハウを持っています
こういうものを結集して現地に直ちに除染研究センターを作って

実際に何10兆円という国費がかかるのを
いまだと利権がらみの公共事業になりかねない危惧を私はすごく持っております


国の財政事情を考えたらそんな余裕は一瞬もありません
どうやって除染を本当にやるか
7万人の人が自宅を離れてさまよっている時に 国会は一体何をやっているのですか

以上ここまでを転記・・・・・・このような文字おこしに敬意を表します。
全文は、リンク先を御覧ください。


さらに、質疑応答も加えた方がいました。


除染後、運搬も受け入れも法律違反でやっています:東大・児玉龍彦 国会で怒りの訴え - 参考人発言、質疑応答文字起こし


そして、ここで

原子力紛争審:自主避難、賠償見送り…中間指針

2011年7月29日 21時20分 更新:7月29日 22時34分・・・・毎日jpから

 東京電力福島第1、第2原発事故に伴う損害賠償の範囲を決める文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会は29日、政府指示の出ていない地域で自主的 な判断で避難した住民は、賠償対象として中間指針に盛り込まない方針を示した。子どもらの被ばくを避ける自主避難に一定の理解を示す委員が多かったが、 「どこまでが合理的かという線引きが難しい」として見送った。ただ、賠償の可能性がなくなったわけではない。会長の能見善久・学習院大教授は「ネグレクト (無視)してよい問題とは思っていない」とし、審査会の見解を別の文書で示す考えを明らかにした。

 

 この日の審査会で委員からは、「避難区域の近くに住み、子どもがいる家族なら、避難した方がよいと考えるのは当然」「予防原則から、避難が合理的とみられる場合があり、(損害賠償の対象として)認めてよいと思う」など、自主避難に理解を示す意見が出た。

 

 一方で、「指針に盛り込むには、(避難が合理的と認められる被ばく量の)一定の基準が必要だが、この審査会で決めるのは難しい」との意見で一致した。能見会長は「政府に基準を示してほしい」と語った。

 

 この問題で枝野幸男官房長官は、28日の会見で「事故との相当因果関係があれば当然賠償の対象になる。(自主避難を)一律に、ということはなかなか難しいが、できるだけ早く対応を決めていただきたい」と述べていた。

 

 避難に伴う賠償対象は、政府指示が出された地域、年間被ばく量が20ミリシーベルトを超える可能性のある「特定避難勧奨地点」の住民に対し、実際に負担した被ばく検査や避難の際の交通費などのほか、避難生活による健康悪化や精神的損害が中間指針に盛り込まれる。

 

 この日の審査会では、新たに地方公共団体の財産、水道や病院などの事業についても賠償を認めることとした。審査会は、当面の賠償対象の全体像を示す中間指針を8月5日に取りまとめる予定だ。

 

【藤野基文、西川拓】


かってに避難したやつは、保証しないということ・・・・そして、これらは東電と国を相手に裁判が長いこと始める序章となるということか・・・・。

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