前々回で秀雄の短歌を記事にしましたが、一部訂正をいたします。


「てんがなる」と書きましたが、「たんが(淡雅)なる」に訂正です。


また、「われは好め東(ど)世の移り計(け)里(り)」といった漢字をあてています。



では、吉野秀雄と會津八一の書を比べてみます。


画像はネットから頂きました。


まずは吉野秀雄。


前々回の「さらさらとしてたんがなるおもむきをわれはこのめどよのうつりけり」の書はネットを探してもありませんでした。


よって違う書ですが、私は初見の書です。



私には全部は読めません(涙)。


一文字目は「雪」?「雲」?。


一行目の「ゆ」は「由」、「る」は「留」、ひらがなの元字が分かります。


秀雄の書はちょっと変な書き方?ですねぇ。



次に會津八一。



「びるばくしゃ  まゆねよせたるまなざしを        まなこにみつつ  あきののをゆく」

「かいだんいんをいでて  八一」


會津八一の書はいわゆる仮名書とは異なり、八一体と言えるスタイルを確立しています。


八一の考えでは、漢字も仮名も同じ書法で書くのが正しいということのようです。


その正否はともかく、八一自身はその書をもって実現していると思います(この考え方に共感した書団体がある~確か田辺古邨設立の書道一元会、まだ活動していると思うけど)。



のーがきばかりになりました。


會津八一の書は新潟の記念館まで行かなくても早稲田大学で見ることが出来たんですが(早稲田大学の知り合いに案内してもらったから、フリーで行って見学可能なのかどうかは不明)、吉野秀雄の書はどこに行けば見れるんでしょうか、あたしゃ知りません。