私の故郷五島を語る時に
私を始め、故郷を出た者の、故郷を想う気持ちは変わらない
出ていった者の目線で語りたい思います
先ずは元気付に一つ
知っている人は知っている、知らない人は知らない事実をば・・・・
私の故郷は厳密に語るならば
五島市三井楽町濱の畔である
知っている人は知っている筈
目の前には蜻蛉日記に出てくる「亡くなった人の姿をまた見ることの出来た場所」今の呼び名は何処までも長い砂浜を持つ”白良ヶ浜”であるが
私は子供の頃より親しんだ馴染みの砂浜であった
当然、あの頃(五島に住んでいた頃)は蜻蛉日記に出てくる事は知らなかったし、
興味さえ湧かなかったのである
しかし、歴史に興味が転じた思惑の頃
ある日突然湧いて出た疑問
『白良ヶ浜』は何時の頃から『白良ヶ浜』と呼ばれるようになったのか?
又、誰が名付けたものか?
久しぶりの図書館通い
資料も探した
ついでに史料も探した
故郷に住んでいた18年間、
父母を始め
祖父・祖母・叔父・伯父・叔母・伯母さえ
また小中高校の校長先生始め
数え切れない位の恩師の誰一人
教えてくれなかった←私は質問さえしなかったのであるが・・・
この時新事実が明らかになったのである
私の通った小中高校の校歌には歌われていたが
年輩の通った尋常小学校の校歌には出てこないのであった
細く細かい木洩れ日を探すように、焦点は絞られつつあった
あの頃、地元で起きた事件を追った
古い新聞紙から古老の自慢話まで耳を傾けたり
時には清ましたりもした
ある日の朝、諌早市立図書館の職員で名前を聞くのは忘れたが
三井楽・浜・戦後・五島・などをキーポイントに捜し物を頼んでいたら
出てきたのであった
「西海国立公園誕生秘話」の中に
私の永年探していたものが、一辺にザクザクと出てくるわ出てくるわ
私は名前を聞くのを忘れた職員さんと抱きついて小躍りした事も白状しよう
答えを明かせば
当時の国立公園制定委員会会長であられた
下村海南先生が昭和26年白良ヶ浜を見て、先生の故郷である和歌山県の同名の浜に似ているということから『白良ヶ浜』と名付けられたそうである
私の肩の荷は降りたのであるが
私の唯一の自慢話誕生秘話となったのは言うを待たず!