Bright Midnightのブツではないけど、マストな音源が、ブートの『Liquid Night/リキッド・ナイト』ね。そっ、あの狂乱の悪夢、マイアミのライヴね。モリスンがステージでチンチン出してオナニーしたと言われているライヴね。マイアミ育ちのモリスンは地元でのライヴにかなり拒絶感を持っていたようだね。モリスンは、元々、裕福で厳格な職業軍人の家庭で育ったお坊ちゃんで、よくあるパターンで、それに反抗してロックを始めたからね。デビュー当時のバイオでは自分の境遇を天涯孤独にしていたくらいだよ。ブツはオーディエンス録音だけど、そりなりに音は聴けるよ。1969年3月1日フロリダ州マイアミのディナー・キー・オーディトリアムに1.3000人の観客だった。モリスンは開演に1時間以上おくれて酩酊状態で会場入り。のっけからモリスンのアジテーションから始まる不穏なスタートだよ。革命なんか必要ない、デモなんか必要ない、必要なのは、お楽しみだけだぜ、てな感じね。「バックドア・マン」のイントロが始まっても叫び続ける。間奏でもへべれけで観客に悪態をつく。挙げ句の果ては、俺のケツの穴に突っ込んでくれ、だよ。それは、次の曲の「タッチ・ミー」で頂点に達する。まともに唄わず叫びまくり、流石に演奏も中断したよ。元々、この曲をモリスンは相当に嫌いだったようで、他のライヴでもまともには唄っていない。この時は、そのピークね。マンザレクは仕切り直しでモリスンのお気に入りの「ラヴ・ミー・トゥ・タイムス」をはじめる。一応、モリスンもチャンと唄っていた。しかして、お次の「音楽が終わる時」では、途中でまたもやアジテーションが始まり演奏時間も長めの22分になってしまったよ。この辺りから観客をステージに上げ始めたようだね。んで、締めの「ハートに火をつけて」だ。3人的には、とにかくライヴ自体は営業的に完遂させ成立させようって感じだね。まっ、やらないとギャラは入ってこないからね。警備にあたっていた警察も、観客の騒乱が、激しくなるのを考慮して中止させなかったようだね。この混雑は、後に、騒乱罪や猥褻罪で裁判になったけどね。まっ、その時に提出さりた証拠写真には、恒例のひざまづいてクリーガーのギターを歯で弾く写真はあったけど、オナニー写真はなかったようだね。して、この後に予定さりていたコンサートは、全部の主催者側からキャンセルさりたそうな。まっ、バックの3人の苦労は大変だよね。しかして、3人は、只のモリスンのバック・バンドではなく、キッチリとプレイしているから、こんなライヴでもかなり面白いよ。モリスンのモットーの破壊、破綻、破滅と、それに抗う3人とのせめぎあいがスリリングで、ドアーズのライヴはイカしているのさ!、、、\(^_^)/