当時の自分は財務部内の外国為替課に配属されて朝から晩までその動向を追っていました。という訳で本日はプラザ合意のご紹介です。この合意はドル高を是正してアメリカの貿易赤字縮小を図るのが目的でした。1980年代前半のアメリカは双子の赤字(財政赤字と貿易赤字)に苦しんでいたんです。

日本から参加したのは当時大蔵大臣だった故竹下登氏でした。中央がこの会議を主導したアメリカのベーカー財務長官です。なおこの合意は西ドイツと日本が実質的な標的でしたから奇しくも第二次世界大戦に敗れた二か国が奇跡的な経済復興を遂げた証明でもありました。

プラザ合意とはセントラルパークに隣接したプラザホテルで開催された会議の合意がその由来です。これによる大幅な円高で海外旅行や移住がブームとなりました。今はその逆で円安の進行により外国人観光客がわんさとやって来る時代です。ランチで5,000円の海鮮丼を何の躊躇もなく食べていますし。(笑)

若い世代は200円台の円相場を知らないと思いますが当時の為替相場は1ドル=250円前後でした。プラザ合意以降は僅か一年で100円以上の円高ドル安となり、更に2011年には75円台をつけました。現在は1ドル150円前後と最安値からは約2倍の水準まで円安ドル高が進行しています。

現在のトランプ政権は関税政策を全面に打ち出していますが1980年台以降のアメリカは往年の余裕を失ってあの手この手で揺さぶってきます。交易条件の是正手段としては関税も為替も同じですからその意味で歴史は繰り返しているようにも見えます。

強い頃のアメリカを知る世代には何とも寂しい限りですが・・・おしまい。