本日は最近読んだ筑摩書房の新書~蒋介石~の備忘録を兼ねてのご紹介です。この本の冒頭で著者の友人が学生から受けた驚きの質問を紹介していました。確かに同時代では孫文や毛沢東のほうが有名ですし、亡くなって既に半世紀が経過してますのでショウカイセキってどんな石?はあり得る質問かも知れませんがそれにしても(笑)
蒋介石を語る上で欠かせないのが三度目の正妻として迎えた宋美齢の存在です。彼女の活躍で日中戦争を連合国側の戦いとして組み込む事に成功しました。宋美齢は孫文の正妻、宋慶齢の妹ですから宗ファミリーとしても革命政権に一家の命運を賭けることになりました。ところが姉の宋慶齢は何とも蒋介石が嫌いで(笑)やがて袂を分かつことになります。
蒋介石はルーズベルトとは◎、チャーチルとは☓、スターリンとは☓☓、義姉の宋慶齢とは☓など相性の良し悪しが極端な印象です。こちらは1943年のカイロ会談で左から蒋介石、ルーズベルト、チャーチル、宋美齢です。抗日戦争に勝利したのはこの会談に参加した国民党の蒋介石であって先日戦勝記念パレードを行った共産党政権ではありません。
日中戦争は国民党、共産党、そして日本軍による現代版の三国志でした。蒋介石は大嫌いな共産党との内戦を優先した(安内攘外)為に配下の張学良が彼を監禁して方針転換を迫ったのが西安事件です。父親の張作霖を日本軍に爆殺された張学良としては今共産党と戦ってる場合か!という思いがあったと思います。最前列の左が張学良、右が蒋介石です。
こちらは西安事件の舞台となった華清池周辺です。以前にツアーでここを訪れた時にガイドの説明では山の中腹辺りで蒋介石が監禁されたと記憶しています。あとここには楊貴妃も浸かったという♨️温泉の跡もありました。
蒋介石の抗日戦争における戦後処理を象徴する言葉が以徳報怨です。〜徳を以って怨みに報いる〜とは日本には損害賠償を求めず、兵士は速やかに帰還させるという方針です。こちらは千葉県いすみ市に建立された顕彰碑ですがこの日本贔屓?とも言える戦後処理はソ連のそれとは余りにも対照的です。
なお蒋介石の本名は中正(ちゅうせい)で介石(かいせき)は字(あざな)のようです。日本でも本名の中正が一般的に使われていればもう何の石?などと間違われなくて済みますが(笑)
と言う訳で本日は最近刊行された筑摩書房の新書~蒋介石~をご紹介しました。