歴史は繰り返すという言葉をよく聞きますが最近あるラジオ番組でウクライナの停戦交渉が第二次大戦前のミュンヘン会談と酷似しているという話を聞きました。と言う訳で本日は欧州の停戦交渉に関する備忘録です。まずはミュンヘン会談ですがこれは1938年9月に行われた国際会議で議題はチェコスロヴァキアのズデーテン地方の帰属問題でした。
参加したのは英仏独伊の首脳です。左からイタリアのムッソリーニ、ドイツのヒトラー、フランスのダラディエ、イギリスのチェンバレンです。ズデーテン地方にはドイツ系の住民が多く、シュコダ財閥(ヨーロッパ有数の重工業)の本拠地もありました。なおこの会議には当事国のチェコ首脳は参加していません。ミュンヘン協定では欧州各国はこれ以上の領土要求を行わないことを条件にズデーテン地方のドイツへの割譲は認めることになりました。
このように相手の要求をある程度受け入れることによって問題の解決を図ろうとする外交戦略を宥和政策と呼ぶようです。この宥和政策を推進したチェンバレンはヒトラーの領土拡張計画を読み切れずに第二次世界大戦を引き起こす結果となりました。そのために近代の外交的判断の失敗例として扱われているようです。
ネットフリックスではこの会談を題材とした映画”ミュンヘン~戦火燃ゆる前に”が配信されていたので昨日見てみました。宥和政策とはある意味でディールですからこんな取引話は山ほどあると思います。ただその後に勃発した第二次世界大戦の惨禍があまりにも大きすぎたのは彼にとって不幸な事だったと思います。映画ではその辺りを考慮してこの協定により世界大戦までの時間稼ぎが出来たことで最終的には連合国側の勝利をもたらしたと締めくくっていました。
現在のウクライナ紛争の係争地域も親ロシア系の住民が多く、重工業や資源に恵まれた地域のようですからまさにチェコのズデーテン地方と同じです。また停戦交渉は米露を中心に進められ、当事国のウクライナが蚊帳の外なのもミュンヘン会談と同じです。どのような交渉で妥結するにせよ新たな国境線には監視団の派遣もしくはの緩衝地帯の敷設が必要となりそうな情勢です。
もしアメリカからロシア寄りの停戦条件が出てくるのであればまさに宥和政策の再現となります。一方ミュンヘン協定で苦い経験をしたヨーロッパは宥和政策よりも厳しい条件を出してくるのは必須です。いずれにせよウクライナが参加する建付けにしなければミュンヘン会談の再現になってしまいます。あと停戦計画の中で4月20日のイースター(復活祭)が登場するのはやはりキリスト教の影響が大きいですね。
おしまい。