先日ラジオ番組で浜名湖の紹介をしていて面白い発見をしましたので本日はその備忘録です。ご存じの方には何を今更?の内容ですが近江(おうみ)と遠江(とおとうみ)の由来は当時の都があった畿内からの距離のようです。江=河川や湖を指すようなのでそれぞれ琵琶湖と浜名湖のことなんですね、これと同じで近畿というのは畿内から近い場所ということになります。
こちらは北陸四県で畿内から越前~加賀~能登~越中~越後と続きますね。自分の中で記憶に有るのは越中富山の薬売りです(笑)。1960年代の半ばまでは実際に富山の薬売りがどこからともなくやって来て自宅の薬箱の中で減った分を補充して帰って行きました。
さらに越後は都に近い方から上越~中越~下越となりますので地図上の上下とは逆になるんです。命名方法としては前~中~後、上~中~下、近~遠などとパターンはいろいろありますね。
自分の住んでいる千葉県は明治維新までは上総=かずさ〜下総=しもうさ〜安房=あわに三分割されていました。こちらも地図上の上下とは逆ですがこれは房総半島に向かう場合に三浦半島から海上ルートで渡っていたので上総地方のほうが都に近いとされたようです。
関東地方からもう一例を上げますと上野(こうづけ)=群馬県と下野(しもつけ)=栃木県はやはり都からの距離のようですね。畿内方向から中山道沿いに歩くと上野の裏側が下野ということになります。
このほか中国地方の備前~備中~備後や九州の筑前~筑後、あるいは肥前~肥後など多くの例が見られます。現在でも出身地を尋ねる時に”お国はどちらですか?”というのは律令制の名残なんですね、もっとも若い人達はもうそんな表現は使いませんが(笑)
振り返ってみれば明治維新や遷都、廃藩置県からまだ150年程ですから律令制のほうがずっと長いんです。明治以降の都道府県制とそれ以前の律令制、国の統治方法としてどちらが良いのやら?おしまい。