5月第二日曜日の母の日はすっかり定着した感がありますね、ただ最近のニュースは各家庭の事情は様々なのにちょっと騒ぎ過ぎの気がしますが。さて自分が物心ついた頃の母はただひたすら朝から晩まで働き詰め、風呂上りにはもうバタンキュー状態でした。振り返れば何であんなに駄々をこねて母を困らせていたんだろうという思いは今でも駆け巡りますが罪償いをしようにも鬼籍入りではもうなすすべがありません。まさに”親孝行したいときには親はなし”ですね。

北海道生まれ満州育ちのせいか母は夏に弱く、暑い時期は必ず昼寝をしていた姿は今でも鮮明に覚えています。以前にも書きましたが母方の家族は祖父(農家)と祖母(養蚕)が不景気で共に食べられず、北海道に渡って祖父は国鉄の保線夫として生計を立てました。ところが間もなく満州事変の勃発で満鉄の保線・警備の為に一家で満州に渡りました。まさに日本の国策に翻弄された日々を送ったわけです。

一方昨日の早朝ラジオでは”今日は何の日”のコーナーで5月12日は看護の日と伝えていました。この日はナイチンゲールの誕生日のようで、今年はたまたま第二週の日曜と彼女の誕生日が重なったようです。ウィキによれば彼女は1820年5月12日生まれのイギリス人で看護師として活躍したのは19世紀半ばのクリミア戦争の時代です。

トルコのイスタンブールに隣接するスクタリの野戦病院に赴任し、負傷者の死亡率をそれまでの42%から5%に減らすいう画期的な改善を成し遂げました。当時は兵士自身の負傷よりもむしろ院内感染に起因する死亡が大半を占めていたようです。クリミア戦争から200年ほど経過した現在もなおこの付近で紛争が続いていると思うと気持ちが重くなります。

彼女は両親がイタリアへの新婚旅行中にフィレンツェで生まれたのでファーストネームがフローレンス(=フィレンツェの英語名)との事です。当時のイギリスではグランドツアーと呼ばれるフランスフランスやイタリアイタリアでの美術館や史跡を巡る旅行が大人気だったようで今のインバウンドですね、当時のイタリア観光地も大いに賑わっていたようです。

それにしても新婚旅行中にお産というのも凄い話ですが(笑)。おしまい。