ブラジル出身のレーシングドライバー、アイルトン・セナがレース中に事故死してから昨日でちょうど30年目の節目を迎えました。一口に30年と言ってもかなりの時間ですよね、皆さんは1994年当時はどう過ごされていましたか?自分の30年前は毎日外国為替市場の動きを追っていました。日本に今のF1人気をもたらしたのはホンダとセナの活躍と言っても過言ではありません。現在のF1は10チーム、ドライバーは20人ですからF1ドライバーになるのは一国の首相や大統領になるよりも狭き門なんです。

特に1988年のシーズンではセナとプロストが駆るマクラーレン・ホンダが16戦15勝という圧倒的な強さを見せました。ただセナとプロストはやがて対立し、翌年の鈴鹿GPでは同じチーム同士で1〜2位で走行していた両者が最終コーナーで衝突してプロストはリタイヤ、セナは失格というあり得ない結末となりました。日本人の美徳とも言える”和を以て貴しとなす”はラテン系の二人には全く通用しませんでした。

セナはモナコGPでは5連勝を含む史上最多の通算6勝を挙げてモナコ・マイスターの称号を獲得しています。下の画像は伝説のマンセルとのバトルを繰り広げる1992年のモナコGPです。独走していたマンセルは余裕でタイヤ交換できるはずでしたがピット作業に手間取ってセナに抜かれ、その後この伝説のバトルが展開されました。

モナコGPでの1勝は他のGP3勝に値すると言われるほどモナコでの勝利には価値があります。毎年5月下旬とヨーロッパでは一番良い季節に行われる伝統のGPです。モナコの街並みと青い空と海、そして白いヨットハーバーと全てが絵になりますね。自分の夢はいつかこのGPを滞在するホテルから観戦することです。ただGP開催中のホテル代はとんでもなく跳ね上がりますが(笑)

セナは1994年5月1日に行われたサンマリノGPで急にコントロールを失ってコース外の防壁に激突して亡くなりました。享年34才でしたが彼はレーシングドライバーになる為にこの世に生を受け、レース中に天に召されるという一生でした。最後に搭乗したマシンはウイリアムズでしたがどの車に乗っても彼のヘルメットはお馴染みのブラジルカラーのデザインでした。

今は亡き本田宗一郎(ホンダの創業者)と天国でレースの面白さや難しさを語っているのでしょうか、宗一郎は生前にセナを息子のように可愛がっていましたし、セナもホンダの親父が大好きでした。天賦の才能に恵まれた二人は何か共鳴する部分があったのかもしれません。

と言う訳で本日は30年前に不慮の事故死を遂げたアイルトン・セナの追悼投稿でした。おしまい。