昨日と本日は日本人にとっては忘れられない日ですね、当時の新聞報道では被害の詳細を殆ど伝えていませんが1945年3月10日の東京大空襲では一晩の爆撃でおよそ10万人が死亡したようです。犠牲者が10万人って自分には意味がよく分かりません。しかも犠牲者のその殆どが民間人ですね、国際法では交戦国の爆撃対象はあくまで軍事施設に限られていますが古今東西いざ戦争が始まれば国際法など順守されないのは枚挙にいとまがありません。この空襲で使用された焼夷弾はやがてナパーム弾と名称を変えてその後の紛争でも使用され続けることになります。

前年の絶対国防圏の崩壊時点(=サイパン島陥落、1944年7月7日)で戦争を終結していればB29による各都市への空襲や原爆投下、さらにはソ連の侵攻も無かったわけですから何故ここまで戦争を継続してしまったのかを検証することを忘れてはならないと思います。

この日の爆撃は用意周到で火災がなるべく拡がるようにあえて風が強く、湿度が低いこの時期に木造家屋が密集した地域を選びました。一番被害が多かったのは墨田区のようでこの辺りに重要な軍事施設はありませんから民間人を対象とした無差別の絨毯爆撃であった事は明らかです。

続いては2011年3月11日の東日本大震災ですがこれは記憶の新しい出来事で自分もまだ現役のサラリーマンでした。その時は確か都内オフィスの8階で仕事中でしたがかつて経験したことのない揺れでした。震源地が三陸沖と聞いた途端に大災害の予感がしたことを今でも鮮明に覚えています。やがてニュース映像で津波の凄まじさを目の当たりにして言葉になりませんでした。

東日本大震災は天災の部分と原発事故という人災の部分がありますね、人災部分の解決にはさらに何十年の歳月を要します。何の落ち度もない地元住民の方々の強制立ち退き、あるいは漁業の風評被害などは国際問題にまで波及してなかなか収まりません。

何とも取り留めのない話になってしまいました。すいません。