この時期の長岡と言えば日本三大花火大会の開催地として有名ですが昨日のブラタモリでは不死鳥の町として紹介していました。タモリの背後は昔の花火打揚筒のモニュメントです。
長岡市のシンボルマークは長岡の”長”の字と不死鳥のイラストを組み合わせて作成されました。
長岡は昔から信濃川の舟運で栄えていましたが戊辰戦争では幕府側で戦い、新政府軍に敗れて町は壊滅的な打撃を受けました。ここから苦難の歴史が始まります。
明治維新以降は物流の主役が鉄道となり舟運は衰退していきました。そこで登場したのが石油精製事業で一時は200社ほどの会社が参入していたようです。写真は当時の東山油田の様子ですが日本国内とは思えませんね、バクー油田?(笑)
石油事業で蘇った長岡でしたが1945年8月1日の空襲で市街地の8割を焼失、犠牲者は1,480名余りと再び壊滅状態となりました。あと二週間程で戦争が終わっていたのに本当に不運です。
戦後は石油に関連した機械や鉄鋼業で復興していきましたが2004年には豪雨と地震で大きな被害を蒙りました。上越新幹線が地震で脱線したニュースは今でも鮮明に覚えています。
しかし不死鳥の如く地震被害の翌年には復興祈願花火”フェニックス”を誕生させました。これ以降長岡の花火大会ではこの復興祈願花火が打ち上げられています。
と言う訳で本日はブラタモリで紹介された不死鳥の町、長岡をご紹介しました。おしまい。