今年も先日終戦記念日を迎えましたが戦争を説明するのに簡潔で分かり易い表現を最近発見しましたのでご紹介します。それは”戦争とは爺さんが始めておっさんが命令し若者が死んでいくもの”です。実はこれ大橋巨泉の言葉なんです。え、あの巨泉が?と意外でしたが(笑)デビュー当時から”野球は巨人、司会は巨泉“というキャッチコピーや万年筆のCMで短歌調の造語を生み出していたので言われてみれば納得です。と言う訳で本日は大橋巨泉のご紹介です。大橋巨泉(本名:大橋克己)は1934年東京生まれのいわゆるマルチタレントです。司会者、放送作家、テレビタレント、競馬評論家、ジャズ評論家等、様々な分野で活躍しましたが2016年に急性呼吸不全で亡くなりました。

何と当時の万年筆CMがユーチューブにありました。ちなみに”みじかびの~キャップリキとればすぎちょびれ~すぎかきすらのハッパふみふみ"と歌っています。このようにアドリブ的な造語はタモリも得意とするものでジャズ好きの一面かもしれません。なお二人は早稲田大学中退でも共通しており早稲田は中退するもの(笑)と言われるようになったのは巨泉の頃からです。

マルチな活躍を見せる大橋巨泉でしたがやはり11PM(1965~1990)の司会者として有名です。この番組ではアシスタントの朝丘雪路との掛け合いが面白くてまさに名コンビでした。お互いにイイカゲンな性格(笑)?で馬が合ったのかもしれません。

自分より若い世代には”世界まるごとHOWマッチ?”(1983~1990)でしょうか。タケシも石坂浩二も若いですね!

またクイズダービー(1976~1992)では漫画家のはらたいらや女優の竹下景子が持っていた潜在的な才能を引き出しました。クイズ番組ですが競馬評論家の巨泉ならではの番組構成だったと思います。

2001年に参議院議員に当選しましたが性に合わないのか半年後に辞めちゃいましたね、党組織の中では彼の良さが活かされませんでした。

”第二の人生”というシニア世代の新たな生き方を提言したのも巨泉が最初で常に時代の先駆けとなる発想の持ち主でした。

2016年2月に朋友の永六輔と共に徹子の部屋に出演しましたがこの頃は度重なる癌の手術で既にかなりやせ細っていました。永六輔、大橋巨泉ともにこの年の7月に亡くなりました。

と言う訳で本日はマルチタレントの大橋巨泉をご紹介しました。おしまい。