今日は織姫と彦星が年に一度会える七夕です。願い事を書いた短冊を笹の葉に飾るそんなロマンチックな星祭りですが自分は太平洋戦争の終わりの始まりと考えています。それは1937年7月7日の盧溝橋(ろこうきょう)事件と1944年7月7日のサイパン島陥落です。盧溝橋は北京市郊外にある石造りのアーチ橋で別名”マルコポーロの橋”と呼ばれています。ウィキによれば完成したのは西暦1192年ですから日本ではちょうど鎌倉幕府設立の頃ですね、マルコポーロが東方見聞録で”世界中どこを探しても匹敵するものがないほどの見事さ”として紹介したのがその由来との事です。

また橋のアーチは全部で11個、各11mの幅で欄干には表情や姿の異なる獅子の彫像が501基並んでいるようです。そんな美しくて由緒ある盧溝橋で起きた小競り合いが”終わりの始まり”となりました。

1937年7月7日に盧溝橋付近で駐屯していた日本軍の夜間訓練中に何者かによる実弾発砲事件があり、付近に駐屯していた中国の国民党軍と交戦状態となりました。一旦は停戦したもののこれが引き金となって日中全面戦争となりました。

盧溝橋事件を発端とした日中戦争の泥沼化が太平洋戦争を引き起こした要因とすれば自分は太平洋戦争のスタートを真珠湾攻撃ではなく盧溝橋事件と捉えるべきではないかと思っています。

もう一方のサイパン島陥落は1944年7月7日に絶対国防圏(=前年9月に定められた最終防衛ライン)が突破された日です。1944年以降に急激に増えていった”玉砕”は敗戦への終わりの始まりです。

サイパン島陥落陥落後はB-29による無差別爆撃が本格化します。これが民間人の犠牲者を飛躍的に増加させ、広島や長崎への原爆投下へとつながっていきました。

絶対国防圏とは言わば自ら定めた”損切り”ルールです。ある地点を越えたらその時点で行動をストップしなければなりません。停戦交渉を開始すべき時点で何もしなかった結果その後更なる悲劇が待っていました。

中公新書の”日本軍兵士”(吉田裕著)によれば太平洋戦争による死亡者310万人(軍人230万人、民間人80万人)のうち1944年以降の死者数を91%と推測しています。推測と言いますのは政府が年次別の戦没者数データを公表していないからです。民間人犠牲者が多い戦闘は全てサイパン島陥落以降に起きているので国のリーダーが損切ルールを順守していれば防ぎ得た被害でこれはもう人災です。

日本人の犠牲者
  国内 海外
軍人・軍属 20万人 210万人 230万人
民間人 50万人 30万人 80万人
民間人
犠牲者
が多か
った主
な戦闘
東京大空襲 10万人    
広島原爆投下 14万人    
長崎原爆投下 73,884人    
沖縄 9万4千人    
(資料)毎日新聞HP(数字は証言する~データで見る太平洋戦争~

と言う訳で本日は奇しくも七夕の日に起きた悲劇の終わりの始まりでした。おしまい。