煉瓦窯を見学した後は本来の目的地である満福寺を訪れました。同じ栃木県野木町にあり、煉瓦窯からわずか5分の場所にありました。ちょうど一年前には足利成氏(しげうじ)の父、足利持氏(もちうじ)と兄弟の春王、安王の供養塔がある埼玉県の龍興寺に行きましたので今回の墓所訪問によりやっと足利持氏の親子全員の墓所を巡ることが出来ました。さて最初のスナップショットは寺の正門です。春フェスタの煉瓦窯はそこそこ賑わっていましたがここは”し~ん”としていました。(笑)

正門をくぐって中に入るとお寺にしては珍しく芝生が広がっていました。あと本堂も再建されたのか割りと新しい感じです。

"満福寺"という名称はこれ以上ない(笑)ほどにめでたい文字が並んでいますが日本各地に同じ名前の寺が複数あるようです。

足利成氏は関東管領上杉氏との対立から享徳の乱を引き起こし、拠点を鎌倉から古河に移したので”古河公方”と呼ばれています。これで東国は30年近くに亘り戦乱の渦に巻き込まれました。

室町時代に東国一円を治めていた古河公方としては随分とあっさりというかひっそりとした墓所の印象です。

特記事項としては日曜日で道路が空いていたせいか今回のドライブ(往復で約90Km)で平均燃費が初めて25km/Lを上回ったことです。スイフト君、よく頑張りました。目黒の秋刀魚ではありませんが”ドライブは日曜日に限る”ということですね(笑)。

おしまい。