金生山化石館を見た後に今回は北陸方面に向かいました。北陸本線は特急は頻繁に出ていますが最寄り駅で途中下車しようとすると途端に不便になるので止む無く福井駅からバスで最寄りの丸岡バスターミナルに向かいました。日曜日で旅行支援もあってかバスの団体旅行で訪れる人が多かったです。そのおかげでその最後尾にくっついてボランティアさんの詳しい説明を聞けました(笑)。ここは以前から一度は訪れたかった場所です。と言いますのは新田義貞も明智光秀も自分の好きな武将で称念寺は二人に共通した由来の場所だからです。自分が思うに新田、明智二人には似た性格と歴史的局面があるように思います。それは両者共に性格的にはある意味理想主義(≒原理主義)者ですが取り巻かれた情勢は徹底した現実主義者と対峙しなければならなかった点です。つまり新田義貞は後醍醐天皇と足利尊氏という超リアリストに翻弄されましたし、明智光秀は足利義昭と織田信長との間で板ばさみ状態となりました。それが故に二人は共に非業の最後を迎えますが彼らにもう少し柔軟な思考回路があればなと思いました。
さて最初のスナップは入口付近の様子ですが団体客もやはりシニア世代が多いです。
明智光秀の妻、煕子は自慢の黒髪を売って光秀を支えたという伝説の説明板です。光秀は側室を持たなかったようで夫婦の絆というのはやはり強かったのでしょう。ここでの一番苦しい時代を乗り越えてやがては信長家臣団での出世頭になります。
新田義貞の墓所はとても立派ですが徳川幕府の援助により江戸時代半ばに建立されたようです。清和源氏由来を自称する徳川家にとっては同由来の新田氏を大変丁重に扱いました。以上、全てボランティアさんの説明です。(笑)
本殿内部の様子です。内部はとても綺麗で手入れも行き届き、つい最近出来たような感じでした。
おしまい。