義昌公史跡公園の後は墓所のある東漸寺を訪れました。総武線を跨ぐ陸橋を渡って海側にありますが距離的には近くて5分ぐらいで着きました。義昌公の墓所は手入れが行き届いており、説明文の内容も簡潔・明瞭です。ここで印象深かったのは戦没者の方々のお墓が境内の道沿いに一際背の高い墓石で並んでいたことです。ウクライナ侵攻が始まった現在、あらためて”戦没者”という言葉が現実味を帯びてきた事を再認識させられました。

お寺の中に墓所があると手入れが行き届いていてきれいです。

説明板によると”旭市”という名前の由来は義昌公250回忌に詠まれた和歌のようです。歌人もどこかで木曽義仲(旭将軍)を連想するのでしょうか?

境内の道沿いに一段と背の高い墓石が並ぶのは戦没者の方々のお墓です。

おしまい。