事件当日は少し遅い夏休みの最中で北海道の旭川にいた。当時勤めていた会社では自分も含め、チームメンバーに一週間以上の連続休暇を取らせないと年末に始末書を書かされるので休暇のスケジュール調整には苦労した。この時は母親の生まれた名寄近辺や遠足で訪れたという朱鞠内湖、そこから最北端の稚内まで行ったが北海道の9月というのは意外に雨の日が多く、天気はあまり良くなかったように記憶している。夕方ホテルに入り、風呂から上がってテレビでニュースステーションを見ているといきなりニューヨークのワールドトレードセンターに飛行機が激突、中継映像を流している中でもう一機突っ込んできたので解説者はおそらくテロだろうとコメントしていた。アメリカの領土が攻撃を受けるのはこれが最初かと思ったが日本の真珠湾攻撃以来の二度目との現地からの報告を聞き、なるほどと納得した。事件後に現地の某ラジオ局では自主規制する曲目リスト(歌詞の中に飛行機、旅行、事故、朝、火災などが含まれる)を作成していたらしく、その中に何故かサイモン&ガーファンクルの”明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water)”、ビートルズの”涙の乗車券(Ticket to Ride)”なども含まれており当時のパニック状態が伝わってくる。最後に亡くなられたおよそ3,000人の方のご冥福をお祈りしたいと思う。

おしまい。