春夏秋冬✦新✯浪漫百景

春夏秋冬✦新✯浪漫百景

月に叢雲花に風 さよならだけが人生だ

明治、大正時代、松茸は椎茸より安かった!?

 今では国産の松茸は貴重な高級食材になっています。

それはなぜか? 秋の味覚の王様、松茸をめぐるお話を紹介します。

 

松茸の生産量は、1941年にピークを迎えて以降1950年頃までに約半減、

さらに1960年代を通じて激減、今ではピーク時の0.5%程度にまで落ち込んでいます。

これほど激しく減少してしまった理由の一つが、

日本の林業と大きく関わっていたのです。

松茸は山林でアカマツに共生する形で生長しますが、1930年代末になると、

国内における木材需要が急増し、

今までパルプの原木として利用されていなかったアカマツが、

大量に伐採されるようになりました。

松茸が減っているなら、人工栽培があるでしょう、と誰しも思うところです。

しかし、

松茸が発生する条件を人工的に整えるところまで技術が及んでいないのが現状なのです。

なぜなら、松茸はアカマツなど特定の木と共生し、

8月の暑さ、9月の涼しさと十分な降雨など、細かな気候の条件が整わないと発生しない、

きわめてデリケートなキノコだからです。

国産の松茸はとても高価なため、近年、輸入品が増えています。

外国産は国産に比べてかなり安いのですが、価格の差は風味の差でもあります。

それが松茸の奥の深いところでもあるのです。
「香り松茸、味しめじ」といわれますが、

松茸の一番の特徴は「マツタケオール」と呼ばれる芳香にあります。

松茸はかさが開くと、その香りが逃げやすくなるので、

かさが開く前の状態の価値が高いとされているのはそのためです。

 

国産松茸の高価版、

その中でも最高級といわれているのが「丹波松茸」(約10万円/1kg)です。
丹波の松茸がなぜ最高級なのでしょうか。 
それは「香りが強い」「歯ざわりが良い」「大ぶりである」の3点。

京都と兵庫にまたがる丹波山地は、

8月は暑く、9月から10月にかけては冷え込むという気候風土が特徴的な地域。

そのため、松茸の生育にとても適しているのです。

自然環境の恩恵によってすくすく育ち、かさも大きく、香りもずば抜けた、

すばらしい松茸となっているのです。

すくすく育って大きくなって、カサも立派!

美味しそう!!やっぱり国産が最高でーす🍄

 

 

松茸の香りも人によりてこそ

 

吉原

 

元和3(1617)年、幕府公認の遊郭として葦屋町(現在の日本橋人形町)に誕生した吉原。

明暦3(1657)年に起こった明暦の大火後、浅草寺裏の日本堤へと移転しました。

一般的に吉原といえば、浅草に移転した「新吉原」のこと。

移転前、日本橋にあったときは「元吉原」といいます。

現在吉原という地名は残っていませんが、町の区画割は昔のままです。

江戸の繁栄とともに約300年続いた吉原は、

人口約100万人という大都市・江戸のまちにおいて庶民の憧れであり、

文化の発信地でもありました。

その文化は今もなお注目され、特に女性から人気なのだとか。

 

〔江戸高名会亭尽〕新吉原衣紋坂日本堤 出典:国立国会図書館デジタルコレクション

 

浅草駅から江戸通りを言問橋方面に歩いて数分。

こちらが山谷堀(さんやぼり)です。現在は埋め立てられていますが、かつては水上路で、

江戸時代はここから新吉原遊郭入口の大門近辺まで、

猪牙舟(ちょきぶね)という舟で遊客を運んでいました。

そのため、吉原通いは“山谷通い”とも言ったそうです。

山谷堀公園には猪牙舟型のベンチがあるので、ぜひ試し乗りしてみてください。

 

山谷堀 かつては北区王子の音無川を通り、隅田川に流れる水路だった山谷堀。 

高度経済成長期には水質汚濁と悪臭が問題になったが、

現在は公園としてきれいに整備されている。

 

男性が後ろ姿ひかれた「見返り柳」

吉原大門

山谷堀から吉原方面へ歩いていくと「吉原大門」の交差点が見えてきます。

道の入り口にある柳の木が、吉原の名所として有名な見返り柳です。

吉原で遊んだお客さんがこのあたりで遊郭を振り返ったことから名付けられたといいます。
ちなみに当時は山谷堀脇の土手にありましたが、この地に移され、現在は6代目とのこと。

 

 

五十間通りを抜けて見えてきたのが、道の両脇に立っている吉原大門跡の柱です。 
江戸時代は黒塗り木造のアーチ門があったといいます。
 
明治5年(1872年)頃の吉原大門の写真
明治5年(1872年)頃とみられる吉原大門の写真 出典:Wikipedia

最盛期には約3千人もの遊女が在籍していたという吉原ですが、

遊郭の周りはお歯黒ドブと呼ばれる堀で囲まれ、

出入り口はこの吉原大門の一か所のみでした。

浮世絵にも、吉原大門や見返り柳などが描かれているので、

照らし合わせて歩いてみると面白いですよ。

「江戸自慢三十六興 新よし原仲の町の桜」
「江戸自慢三十六興 新よし原仲の町の桜」
 出典:国立国会図書館デジタルコレクション

“馬力をつける”の語源!吉原グルメ「桜鍋」

「さくら鍋 中江」

明治38(1905)年に創業された「桜なべ 中江」は、

味噌だれを使った桜鍋元祖の店。

桜肉、つまり馬肉を使った桜鍋は滋養強壮に良いとされ、

吉原には当時20軒以上もお店があったそうです。

殿方はここでまさに「馬力をつけて」吉原遊郭へ出向いたんですね。
現在の建物は関東大震災後に建てられたもので、奇跡的に戦火から逃れ、

登録有形文化財にも指定されています。

 

桜なべ 中江
住所:〒111-0021 東京都台東区日本堤1丁目9-2
アクセス:三ノ輪駅から徒歩9分
定休日:月曜日(祝日の場合は翌日が休み)
営業時間:火~金は17:00~22:00、土日祝は11:30~21:00

 

 

粋な手ぬぐい

手ぬぐいは生活必需品として古くから利用されてきました。

最近は、和モダンのライフスタイルグッズとして人気が高まっています。

実用品でありながら、その趣やデザインがとても素敵なところが人気の秘密のようです。 

 手ぬぐい数枚.pngのサムネイル画像

  
■手ぬぐいは江戸時代に発展
江戸時代、木綿の布が普及すると、庶民の間では木綿の着物がよく利用されるようになり、

その端切れなどからも手ぬぐいが作られました。

入浴時などに使うだけでなく、この頃から、

おしゃれな小間物として絵柄にも工夫が施されました。
物売りや職人などの被りもの、祭りや歌舞伎の衣装や被りものなどにも使われましたが、

その被り方にもいろいろなバリエーションがありました。
また、贈答品や餞別に贈ったり、名刺代わりに配ったりと手ぬぐいの用途は実に様々でした。 

 pixta_2539352_S手ぬぐい鉢巻.jpg


■手ぬぐいってどんなもの?
手ぬぐいにはどんな特徴があるのでしょうか。
特徴を知ると、使い勝手の良い理由がわかります。

 

・手ぬぐいの生地
主な生地は「総理」(「文」ともいいます)と「特岡」(「岡」ともいいます)があります。
「総理」生地とは、

手ぬぐい専用に20番手の太め糸を使いざっくりと編まれた吸水性と通気性を高めた生地です。
「特岡」生地はもともと浴衣生地で、30番手の細い糸を使い、

総理生地に比べ目が細かくパリっとした感じ。

目が細かい分、細かい柄の表現が可能といわれています。
生地の違いによって使用感も異なり、また使い込んでいくことで、

どんどん手になじみやすくなっていきます。

 

・手ぬぐいの長さ
手ぬぐいの大きさは全部同じではありません。
生地の長さの単位1反(11.3~12.5m、和服1着分)から何本の手ぬぐいを取るかで、

大きさ(長さ)が変わってきます。長さによって主に3種類に分けられます。
関西の主流は90cm、関東の主流は98cm、長尺は115cmといわれています。

長尺は舞踊で使われる長さで白地が中心。

剣道の時に頭に巻く手ぬぐいは100cmくらいが良いようです。

 

・染、プリント
昔ながらの手法は本染め(注染)で、何枚も重ねた生地の上から染料を注いで染め抜くため、

表裏が同じように染められます。
現代はプリントもあります。

スクリーンプリント機で顔料プリントするため、裏面までは色が浸透しませんが、

細かな図案もプリントできるようになりました。
手拭いは染めや顔料プリントの為、色落ちは避けられません。

使う前に水洗いをしましょう。

2 ~ 3度洗ううちに落ち着いてきて、使い込むと味のある風合いになります。

 

・端は切りっぱなし
手拭いは両端が切りっぱなしになっています。端を縫っていないので乾きが早く、衛生的。
また縫い目がないため、結んだり、切ったりして使う時にも扱いやすいです。
新品の手ぬぐいは最初のうち両端からほつれますが、何度か洗ううちに落ち着くので、

ほつれた糸の部分だけをはさみで切り揃えます。

 


 

■手ぬぐいの豆知識
・季節感を携えて
手ぬぐいに描かれた花鳥風月から、四季折々の風情が漂います。

 

 

手のひらの中に季節を携えているようで豊かな気持ちになれるのも、手ぬぐいの魅力です。
・インテリアにも最適
手ぬぐい専用の額もあり、季節ごとに飾る楽しみも。

テーブルセンターやマットとしても活用できます。
・着物の半襟(はんえり)に

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男女を問わず半襟にする方も多いです。季節の柄を取り入れたり、

粋な雰囲気を楽しんだりでき、洗濯も簡単なので嬉しいものです。

 


■旅の達人になれる!粋な手ぬぐい技
手ぬぐいの使い道は無限です。

特に旅行など荷物を増やしたくない時にも手ぬぐいがあれば何かと重宝します。

ただし、あまり垢抜けない手ぬぐいでは旅心に水を差すというもの。

粋な和モダン手ぬぐいを選んで、洒落た大人になりましょう。

 

1.手拭きに
手ぬぐいは抜群の吸水性。畳めばコンパクトだから、バッグに入れてもかさばりません。
2.洗顔・メイクに
顔を拭くのはもちろんのこと、細長く畳んでヘアバンド、

肩や胸にかけてヘアメイクやお化粧用のケープにと大活躍。
3.ペットボトルホルダーに
気がつくとペットボトルの水滴がついてバッグがびしょびしょなんてことも。

手ぬぐいにくるんでしまえば安心。

端をねじって縛って、ペットボトルホルダーにすることもできます。

また、ワインを贈答用に包んでもおしゃれです。

 

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4.食事やブレイクタイムに
ひざに広げればハンカチより実用的で見た目もおしゃれ。

ランチョンマットやテーブルクロスにすれば素敵なお弁当タイムに。
5.おしゃれアイテムに
スカーフ、ビスチェ、ベルト、バンダナ代わりに使えます。

素敵な柄ならオシャレ度アップ。少ない荷物でコーディネイトの幅が広がります。
6.寒さ対策に
冷房の効き過ぎや朝夕の冷え対策に、スカーフ感覚で首に巻くと快適です。

イヤーカバー、マスクとして凍えそうなところもカバー。
7.暑さ対策に
首に巻いて襟足をガードしたり、帽子代わりにかぶったり、

ドライブ中の腕や肩をカバーしたり。汗を吸収するので一石二鳥です。
8.おしぼりに
濡らしてビニール袋に入れて持ち歩くと便利。手洗いして干せばすぐ乾くので衛生的です。
9.浴用タオルに
泡立ち豊かで肌触りも良く、体を洗うのにピッタリです。

もちろん、体も拭けて旅の雰囲気アップ間違いなし。乾きが早いので本当に楽です。

 

 手ぬぐいと桶.png


10.立ち寄り温泉やレジャーに
手ぬぐいがあれば立ち寄り温泉にも即対応。タオルとしてだけでなく、

髪を濡らしたくない時のヘアキャップにもなります。
ビーチ、川遊び、足湯などでも大活躍。タオル地だと砂が入りこんで大変ですが、

目が細かい手ぬぐいなら砂がさらっと落ちて便利です。スイカ割りの目隠しにも最高。
11.荷物整理に
小分けした衣類をまとめて包んでおくと旅支度が簡単。

現地で使って、帰りはまた荷物整理に使えば効率的です。

現地で増えた手荷物を、ひとまとめにくくると持ち運びに便利。
12.手土産に
新品を持参し、現地でお世話になった方へプレゼント。

外国では特に喜ばれます。出番がなければ自分で使えば良いのです。
13.いざというときに
発熱したらおでこを冷やす、悪寒がしたらカイロを包んで巻きつける。

切り裂いて包帯に、骨折したときは添え木をして三角巾に。災害時のマスクにもなります。
また、急な雨にも広げると大きいので頭からかぶったり、濡らしたくない書類を包んだり、

バッグの中身を覆うこともできます。

 

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こんなに便利でおしゃれな手ぬぐい。ティッシュの箱を包んでも素敵です。

ぜひ皆さんも色々な使い方を楽しんでみてください!

 

『女殺油地獄』(おんなころし あぶらのじごく)

近松門左衛門作の人形浄瑠璃。世話物。三段。

享保6年(1721年)に人形浄瑠璃で初演。

人気の近松作品ということで歌舞伎でも上演されたが、

当時の評判は芳しくなく、上演が途絶えていた。

実在の事件を翻案したというのが定説だが、

その事件自体の全容は未詳である。

映画1992年版

1992年5月23日公開。フジテレビジョン、京都映画製作、松竹配給。

 

お吉がかつて河内屋の奉公人で乳母代わりに与兵衛を育てたことになっていたり、

小菊が油屋の元締の一人娘であったり、

お吉が小菊に嫉妬して与兵衛と肉体関係を持つなど、

設定もストーリーも原作から大幅に改変されている。

監督は『三匹の侍』、『鬼龍院花子の生涯』、『極道の妻たち』、『吉原炎上』

など数々の名作を生み出した鬼才・五社英雄。

今作品は癌を患っていた五社が病室と撮影現場の行き来のなか完成させた作品である。

五社は公開後の8月30日に死去。この作品が生前最後の作品となった。

脚本は『赤ひげ』、『乱』などの黒澤明監督作品や

『鬼畜』、『震える舌』など野村芳太郎監督作品でも脚本を担当した井手雅人。

井手が亡くなる前に五社へ書き残した最後の脚本であり、

井手にとっても生前最後の作品であった。

あらすじ

大阪天満の油屋、河内屋徳兵衛は番頭あがりで遠慮がちであった。

それを良いことに、義理の息子である与兵衛は増長し、

店の有り金を持出しては新町の遊女に入れあげる放蕩者であった。

母親のお沢と徳兵衛は懲らしめのために与兵衛を勘当したものの、

小遣い銭に事欠いては不憫であるとして、

同じ町内の油屋、豊島屋の女房お吉の手から密かに銭を与えていた。

それでも遊ぶ金に困った与兵衛は、

金貸し綿屋小兵衛から義父の偽判を用いて一貫匁の金を借り受ける。

借金を返すあてなど持っていない与兵衛は、

日限に責められてお吉に急場を逃れるための無心をするが断られる。

二進も三進も行かなくなった与兵衛はついにお吉を惨殺。

店の掛け金を奪う。

何喰わぬ顔でお吉の三十五日の供養に列席していた与兵衛だが、

天井でネズミが暴れ、殺しの現場で与兵衛がお吉の血潮を拭った古証文を落とす。

それには動かぬ証拠として与兵衛の署名があり、

悪事が露見した与兵衛は直ちに召し取られた。

初段。野崎観音。難波北の新地の遊女・小菊は侍客に連れられ、船の野崎参りである。

本天満町の油屋豊島屋の女房・お吉は筋向かいの同業ののら息子、河内屋与兵衛に意見する。

与兵衛は遊び仲間の三人連れで、小菊の客の会津侍にケンカをふっかけ、

高槻藩の小姓頭が殿の代参の路次にであって、その小袖に泥を跳ね上げ、

徒士頭の叔父・山本森右衛門に押さえられ助かる。

二段。河内屋。徳兵衛は元の番頭であって、旧主の死後頼まれての入り婿であるから、

与兵衛はとかく遠慮がちな徳兵衛をバカにする。

与兵衛の兄・太兵衛は弟を放逐するように母にすすめる。

与兵衛は金を貸さない義父を足蹴にするが、母もあきれて遂に家から追い出す。

三段。豊島屋。5月4日夜、亭主は掛けを集めて一旦帰ってまた出掛けるが、

その留守に徳兵衛と女房は別々に訪ねてきて、与兵衛に小遣いを貢ごうとお吉に頼み込む。

物陰でこれを知った与兵衛はその小遣いでは不足だとして、

金を貸せとゆすり、お吉に断られるなり、遂にお吉を店先で惨殺する。

新町・北の新地。与兵衛は、新町から新地へと遊び回る。

叔父・森右衛門は意見のためにその後を追う。

豊島屋。お吉の三十五日の弔いに、与兵衛は証拠が揃って召し捕られる。

河内屋与兵衛
本編の主人公。大坂元天満町に大店を構える油屋「河内屋」の次男。
放蕩の限りをつくし、遊廓に義父・徳兵衛の名前でツケを抱えている問題児。
女郎を巡って喧嘩をしたはずみで通りがかりの侍に泥を浴びせ、
彼に仕える伯父を浪人させ、心を砕く義父や母、
更には病身の義妹にまで暴力を振るった挙句に勘当される。
徘徊中に父母の愛情を知って涙するが、却って思いつめて性急に借金を返そうとし、
お吉を襲って強盗殺人に及ぶ。その後は開き直って遊び呆けていたが、
すぐに犯行が露見し、あえなく千日前の刑場に引き立てられていった。
豊島屋お吉
河内屋の向かいにある同業者「豊島屋」の内儀。
人格者で容姿も美しい出来た妻だが、
その隙を与兵衛に襲われ殺されてしまう。27歳。
河内屋徳兵衛
与兵衛の義父で河内屋現店主。
元々は与兵衛の実父である先代徳兵衛に仕えていた番頭で、
その死後に襲名して店と遺族を守り抜く。
先代を崇拝に近い形で尊敬しており、
その生き写しの子である与兵衛も甘やかして育てるが、
そのために与兵衛の増長を招く。
実母にまで暴力を振るう与兵衛に堪忍袋の緒が切れて勘当するが、
それでも心配になって与兵衛が出入りしていた豊島屋に赴き、
与兵衛に渡してくれるよう金を預けに行った。
河内屋お沢
先代河内屋の内儀で、若くして2人の息子を抱えた未亡人となり、
店と子供を守るため徳兵衛と再婚した。
義父を軽んじて増長の限りを尽くす与兵衛に愛想を尽かし、
一度は打ちすえて勘当を言い渡すが、やはり息子が心配な余り、
金と端午の節句のちまきを豊島屋に預けに行った。
河内屋太兵衛
先代とお沢の2人の遺児のうちの長男で、与兵衛の兄。
支店を一任される優秀な男だが、
店の身代をも傾けようとする与兵衛の放蕩ぶりに呆れ果てており、
徳兵衛に早く与兵衛を勘当してしまうように忠告し続けている。
 
小菊
与兵衛の馴染みの女郎。
彼女を連れて会津のお大尽が野崎参りに出かけたのを知った与兵衛が、
嫌がらせに途中の道で待ち伏せたのが事の発端のきっかけである。
彼女に入れあげている与兵衛は、200匁のツケ払いを父の徳兵衛名義でしている。

キャスト

  • 豊島屋お吉:樋口可南子
  • 河内屋与兵衛:堤真一
  • 小倉屋小菊:藤谷美和子
  • 河内屋徳兵衛:井川比佐志
  • 豊島屋七左衛門:岸部一徳
  • 小倉屋市兵衛:長門裕之
  • 油搾親方・茂助:石橋蓮司
  • 河内屋太兵衛:辰巳琢郎
  • 河内屋おさわ:佐々木すみ江
  • 河内屋おかち:山口弘美
  • 小倉屋お品:奈月ひろ子
  • 小倉屋手代・嘉平:うじきつよし
  • 飴売り:松嶋尚美・松嶋里華

 

演出

お吉を殺す場面で、もみ合う内に油壺が倒れてしまったため、

逃げ惑うては転び、追いかけては転び、油まみれになりながらの殺害となる。

歌舞伎では本物の油の代わりにフノリを使うことで臨場感を高める。

一方、文楽は実際の人間では出来ないほど人形を滑らせることで油を演出する。

 

五感で楽しむ和菓子

和菓子は五感で楽しむものといわれています。

見た目の美しさ(視覚)、食べておいしく(味覚)、

手触りや切るときに感じる感触や口に含んだ時の舌触り(触覚)などですが、

特に臭覚と聴覚に訴えるものには、和菓子独特のものがあります。

 

 和菓子四種.png

 


■臭覚に訴える和菓子
和菓子の香りは米、小豆、芋、ニッキ、生姜、ハッカなど、

天然素材による「ほのかな香り」です。

平安の昔から、衣にたき込めた香の匂いで闇夜でもその人を判別できたり、

香りを「香道」という道に極めてしまったように、

日本人は香りにも鋭い感性を持っていました。

和菓子を天然のほのかな香りで味わうことができるのも、

日本人ならではの感性でしょう。

 


■和菓子を聴く
聴覚に訴えるお菓子の音といえば、

おせんべいのバリっという音などを思い浮かべますが、

和菓子の場合はこれを「菓銘」に求めています。
「菓銘」とはお菓子の名前。

花鳥風月、和歌、俳句、歴史、郷土などに基づいて名付けられますが、

菓銘を聴くことによって、その和菓子の深みや余韻を味わうのです。

例えば、カエデをかたどった和菓子は見た目で「紅葉の季節だ」とわかるので、

その名前が「紅葉」では無粋というもの。

この和菓子が「竜田姫」という菓銘なら、

秋の女神が染めた葉が風にのって舞い降りてきたように思えます。

 

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さらに粋な職人は、カエデの形にはこだわらず、

黄緑から橙色にかけて移ろう色を表現して「照葉」という菓銘にする。

それだけで。照り輝く紅葉の情景が浮かんでくるようでなければいけない、

とさえいわれます。
また、粋な客人は和菓子の姿を見ただけで菓銘がわかるとか。

この世界も大変奥が深いようです。

 


■知っておきたい和菓子の食べ方
和菓子を見て、聴いて、嗅いで、口に入れてその味や食感を楽しむためにも、

和菓子のスマートな食べ方を知っておきたいもの。

お茶席などでも慌てることなく、落ち着いて味わうことができます。

 

【菓子楊枝】

和菓子と楊枝.png


和菓子はフォークではなく、菓子楊枝でいただきたいもの。

代表的なのはクロモジの枝をスティック状に削った「黒文字」で、

フォークのように切ったり、刺したりして使います。
他にも、青竹、銀、塗り物などの菓子楊枝があり、

季節や器によって使い分けると楽しいものです。

 

【串団子の食べ方】

 

串団子.png


菓子楊枝を使って串から団子を抜き、

菓子楊枝または串で1個ずつ刺していただきます。
菓子楊枝を添えていない場合は「そのままお召し上がりください」

という意味ですが、懐紙などを口元に添えていただきましょう。

 


柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」は、正岡子規が奈良で柿を食べたとき、

ちょうど法隆寺の鐘が鳴り、静かな秋の情景を写生的に切り取った俳句です。

”柿を味わう一瞬と、遠くの鐘の音”が重なる情景を表しています。

 

 法隆寺に立ち寄ったあと、茶店で一服して柿を食べると法隆寺の鐘が鳴り、

その響きに秋を感じて詠んだ一句なのだそう。

 秋の訪れを表わす見事な俳句だなぁと思います。

 

明治の俳人・正岡子規の代表作

(慶応3年1867年10月14日生)

 

正岡子規の生まれた慶応3年という年は、

坂本龍馬や中岡慎太郎が暗殺された年なんですね。

 

正岡子規は、21歳の頃から結核を患(わずら)い最後は、

結核から、結核菌が脊髄を侵す「脊髄カリエス」という難病にかかって、

わずか34歳で亡くなっております。

結核というのは、肺だけではなく、他の臓器や骨や関節にも発症するんですね。

 

だから、来年またこの柿が食べれる保証はどこにもない。

法隆寺の鐘の音を聞きながら、最後の晩餐じゃないけれど、

この柿はこの世の見おさめ、食べおさめ

「祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響あり…」

あの「平家物語」のように世の無常を

感じていたのかもしれません。

この句が世に発表されたのは、

明治28年(1895年)『海南新聞』

11月8日号なんだそうですが、

実はこの句は、正岡子規のオリジナルではなくって、

オマージュではないかと言われております。

※因みにオマージュというのは、芸術や文学で、尊敬する作家や作品に影響を

受け、似たような作品を創作すること。

 

じゃあ誰の作品を真似たのかというと

「鐘つけば 銀杏散るなり 建長寺」

法隆寺でなくって、鎌倉の建長寺

柿じゃなくって、銀杏…

これは、正岡子規の親友で、

お札にもなったあの文豪・夏目漱石の句なんだそうです。

明治27~28年、結核で日清戦争から

故郷・松山へ帰郷した、ちょうどその頃、

松山中学の英語の教師として赴任していた夏目漱石。

正岡子規は、その夏目漱石の下宿に転がり込んでいた時期がありまして、

そこで、漱石の句を見て、

柿の名産地である奈良県を連想して、

奈良を代表する名刹・法隆寺を当てはめたのが

後の世に大ヒットはというか、子規の代表作となったわけです。

 

TOKIO

空を飛ぶ 街が飛ぶ雲を突きぬけ 星になる

火を吹いて 闇を裂きスーパー・シティーが 舞いあがる

 TOKIO TOKIOがふたりを抱いたままTOKIO TOKIOが空を飛ぶ

 

 TOKIO優しい女が眠る街 TOKIO TOKIOが空を飛ぶ

OKIO TOKIOが二人を抱いたまま

TOKIO TOKIOが空を飛ぶ

 

TOKIO やさしい女が眠る街

TOKIO TOKIOは夜に飛ぶ

 

TOKIO TOKIOが二人を抱いたまま

TOKIO TOKIOが星になる

 

autumn is the best season for reading

「読書の秋」とよく言われるが、その由来は...

 中国の唐時代の詩人 韓愈の漢詩に「燈火稍く親しむ可く」という一節があり、

ここから秋が読書にふさわしい季節として、

「秋燈」や「燈火親しむ」といった表現が使われるように。

 これが「読書の秋」の由来のひとつ。

 means “autumn is the season for reading”. In Japan,

 autumn is traditionally seen as a good time to enjoy books, ...

autumn reading

ようやく夜の灯に親しんで、書物を広げられる)という詩に由来するといわれています。

 この詩を明治の文豪夏目漱石が1908年に発表した小説『三四郎』のなかで引用したことで、

秋は読書をするイメージが一気に日本中に広まり、

「読書の秋」という言葉が定着した、という説が有力です。

 

街に出れば...

二人の恋は終ったのね許してさえくれない貴方

サヨナラと顔も見ないで去って行った男の心

楽しい夢のようなあの頃を思い出せば

サン・トワ・マミー悲しくて目の前が暗くなるサン・トワ・マミー 

 

Sans toi ma mie

町に出れば 男が誘い ただ意味なくつきまとうけど

このあたしが ゆきつくとこは あなたの胸 ほかにないのよ

サントワマミー 風のように青空を さまよう恋

サントワマミー 寂しくて 

目の前が暗くなる サントワマミー・・・