20℃/10℃
満月18:35月齢 14
5月7日(木) 4:56
18:48
2020年12月31日まで あと 237日
2021年7月23日PM8時東京オリンピック開幕式まで442日
カウントダウンサイトhttp://tokyo-olympics-2020.com/
オリンピック 7月23日に開会式、8月8日に閉会式
パラリンピック 8月24日開幕(9月5日閉幕)
今日は 朝から あの青空が戻ってきました。
雲一つない晴天 ツツジも満開です。
ですが・・・・ 人影は ありません
そして、今夜は 満月。夜
7時30分 東から
太陽のようなオレンジ色かかった満月が 昇ってきました
5月の満月を、英語で 「Flower Moon フラワームーン」
ウエザーニュースから
https://weathernews.jp/s/topics/202005/010175/
アメリカの先住民は季節を把握するために、各月に見られる満月に名前を、動物や植物、季節のイベントなど実に様々につけていました。
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バンクシー(Banksy)のニュース
2020/04/16
バンクシーも在宅勤務? 新作を公表
イギリスを拠点に活動する正体不明の芸術家バンクシーが15日、「インスタグラム」などに新作を公表。
https://www.instagram.com/banksy/?hl=ja
作品では、家の中を思わせる実物のトイレを「キャンバス」に、トイレットペーパーを散らかしたり、便座を汚したりする複数のネズミが壁などに描かれています。 また、作品の写真5枚と共に「私が自宅で働くのを妻はひどく嫌がる」とのコメントが添えられています。 イギリスメディアは、バンクシーの自宅のトイレだと伝えていて、多くの人が在宅勤務を強いられている現状を描いたとみられます。
2020/05/07
「バンクシー」が新作で称賛 医療従事者はヒーロー
バンクシーの新作は6日、イギリス南部サウサンプトンの病院の廊下に掲示され、医療従事者や患者に向けて公開されています。
作品は縦横1メートルで、ほほ笑みながら人形で遊ぶ1人の男の子。人気ヒーローのバットマンやスパイダーマンに代わって少年が掲げているのは看護師の人形です。
バンクシーは医療従事者に対して「いつもありがとう。例えモノクロだとしても少しでも、この場所が明るくなることを願っています」と書き残したということです。
この作品は今年の秋まで病院に掲示された後、オークションにかけられて落札額はすべてイギリスの国民保健サービスに寄付される予定です。
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今日は、「コナモンの日」と言うことで、久振りに
お昼は 「たこ焼き(醤油味)とお好み焼き(ミックス)」で・・・・
コナモンで思いつく食べものは?
「コナモンの日」は、コナモンを愛するメンバーで構成される民間団体「日本コナモン協会」が2003年(平成15年)に制定。リンク:日本コナモン協会
日付は「こ(5)な(7)」と読む語呂合せから。たこ焼き・お好み焼き・うどん・そば・パンなど、「粉」を使った食品「コナモン」(粉もん)の魅力をPRすることが目的。また、この日は小麦粉を使用した食品など「粉」の有用な利用方法をアピールする日として「粉の日」にもなっている。
日本コナモン協会は、生活文化研究家の熊谷真菜により、2003年5月7日に設立された。協会設立のきっかけは、友人から「なぜ大阪にたこ焼き博物館がないのでしょうか」とのメールを受け取ったことからであった。「食シーンには欠かせない存在としての偉大なるコナモン」というキーワードのもと、コナモンの魅力を「面白まじめ」に考えている団体である。コナモン文化の普及と継承を目的に活動を行っている。
この日を中心として、「コナコナ祭り」が開催される。関西を中心に、全国の約500店舗のお店で、ポスターの掲示や、人気メニューを特別価格で提供するなどのサービスが実施される。
また、同協会には、粉をひく「石臼」がモチーフとなっている「ウッスマン」と、小麦粉の原料である麦を頭にまとった「小麦粉の精」である「コナモ」という2体のゆるいマスコットキャラクター(ゆるキャラ)がいる。
粉の日
「こ(5)な(7)」の語呂合せ。
小麦粉等、食料としての粉の有用な利用方法等をアピールする日。
博士の日
1888年(明治21年)のこの日、植物学者の伊藤圭介、数学者の菊池大麓、物理学者の山川健次郎など25人に日本初の博士号が文部省によって授与された。この時、法学博士、医学博士、工学博士、文学博士、理学博士の5種類の博士号が設けられた。
当時の博士号は論文の提出によるものではなく、教育への貢献を評価されたものだった。論文による本格的な博士が生まれたのは、それから3年後の1891年(明治24年)からである。また、当時は「博士」の上に「大博士」の学位があったが、該当者がないまま1898年(明治31年)に廃止された。
「はかせ」と「はくし」は異なり、博士(はかせ)は伝統ある大化の改新以来の官職で、学生を教育するのが役目だった。
一方、明治になって定められた学位が博士(はくし)で、英語では「Doctor」(略:Dr.)である。博士の学位には「Doctor of Philosophy」とその略である「Ph.D.」も使われる。直訳すると「哲学博士」であるが、「Philosophy」には「高等な学問」という意味もあり、日本の博士号に相当する。
植物学者・男爵の伊藤圭介(いとう けいすけ、1803年(享和3年)~1901年(明治34年))は、「雄しべ」「雌しべ」「花粉」という言葉を作ったことでも知られる。1881年(明治14年)、東京大学理学部教授に任ぜられた。1901年(明治34年)、慢性胃腸炎のため98歳で亡くなったが、死の直前に学者として初の男爵を授けられた。
数学者・男爵の菊池大麓(きくち だいろく、1855年(安政2年)~1917年(大正6年))は、蕃書調所(ばんしょしらべしょ;東京大学の前身)で英語を学び、1867年(慶応3年)と1870年(明治3年)の2度に渡りイギリスに留学した。2度目の留学ではケンブリッジ大学で数学と物理学を学び学位を取得、帰国後1877年(明治10年)、東京大学理学部教授となり、近代数学を初めて日本にもたらした。
物理学者・男爵の山川健次郎(やまかわ けんじろう、1854年(安政元年)~1931年(昭和6年))は、1879年(明治12年)に東京大学理学部において日本人として初の物理学教授となった。1901年(明治34年)、48歳の若さで東京帝国大学総長となった。その後、1911年(明治44年)に九州帝国大学の初代総長、1914年(大正3年)に京都帝国大学総長にもなっている。
1911(明治44)年2月21日、文部省が作家・夏目漱石に文学博士の称号を贈ると伝えたのに対し、漱石は「自分には肩書きは必要ない」として、博士号を辞退する旨を書いた手紙を時の文部省専門学務局長の福原鐐二郎氏に送った。
2月19日 新聞紙上に文学博士候補者5名の中に漱石の名前が
出る。
2月20日 漱石宅に「翌21日に博士号授与式に出頭せよ」との
通知。
妻の鏡子がその通知を見たのは夜10時頃。
2月21日 朝、鏡子が他家の電話を借りて漱石へ伝える。
漱石の指示で入院のことなどを文部省に電話で伝え、
帰宅すると学位記が届いていた。
漱石が辞退の手紙 を出し、合わせて証書を返送。
世界エイズ孤児デー
2002年(平成14年)にアメリカ・ニューヨークで開催された国連子ども特別総会において制定。英語表記は「World AIDS Orphans Day」。エイズ孤児問題への意識を高めることが目的。
エイズ孤児(AIDS orphan)とは、①片親あるいは両親をエイズによって失った子ども(孤児)、②HIV感染、あるいはAIDS患者の孤児、の両方の孤児を意味する。
「片親あるいは両親をエイズによって失った18歳未満の子ども」は、2012年(平成24年)の時点で全世界に1780万人いると言われている。HIV感染者・AIDS患者の約70%が、サハラ砂漠以南のアフリカ地域(サブサハラ)に居住しており、これに伴いエイズ孤児の約85%がサブサハラに集中している。
エイズで両親が亡くなった後、祖父母に引き取られ育てられるケースが多くあるが、祖父母が高齢のために働けず、子どもが働いて家族を支えていくことを強いられてしまうことも少なくない。また、地域住民などから差別を受けたり、労働を強いられることで教育を受けられないケースもある。エイズ孤児は、健康、医療、教育、精神的負担など、様々な面で困難に直面している。
アフリカのエイズ孤児を支える国際協力NGO「PLAS(プラス)」では、この複雑で手の行き届きにくいエイズ孤児問題の解決に向けて活動している。
「生計向上支援事業」と「ライフプランニング支援事業」を柱として、現地のパートナー団体とともに地域と人に根差したプロジェクトを展開し、エイズ孤児が自らの未来を前向きに切り拓ける社会の実現を目指している。
12月1日は「世界エイズデー」(World AIDS Day)。
ココナッツの日
東京都新宿区西新宿に本社を置き、果実のプロとして知られ、さまざまな清涼飲料水を製造・販売するキリン・トロピカーナ株式会社が制定。
日付は「ココ(5)ナ(7)ッツ」と読む語呂合わせから。海外では定番のココナッツウォーターを中心にココナッツの普及・促進が目的。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
ココナッツは、ヤシ科のココヤシの果実で、高い栄養価と豊富なミネラル分で近年注目を集めている。
トロピカーナ(Tropicana)は、アメリカ・フロリダ州にあるトロピカーナプロダクツ(Tropicana Products)社が生産しているジュースのブランドである。キリンビバレッジとの合弁会社であるキリン・トロピカーナがライセンス生産を行っている。
トロピカーナの「ココナッツウォーター」は、研究に研究を重ねて、日本人の味覚に合うオリジナルレシピになっている。果汁16%、人口甘味料不使用でクセのないやさしい甘みであり、果実のミネラルを補給することができる。2017年(平成29年)7月4日から期間限定で発売された。
ブラックモンブランの日
佐賀県小城市に本社を置き、アイスクリームやチョコレート菓子などを製造・販売する竹下製菓株式会社が制定。
日付は「ブラックモンブラン」が初めて発売された1969年(昭和44年)5月7日から。2019年(令和元年)に発売50周年となる同社の看板商品の「ブラックモンブラン」。こだわりのバニラアイスにチョコレートとザクザク食感のクランチがコーティングされた九州で大人気のこのアイスクリームを全国に広めることが目的。記念日は2019年に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
健吉忌
文芸評論家・山本健吉(やまもと けんきち)の1988年(昭和63年)の忌日。
1907年(明治40年)4月26日、長崎市長崎市磨屋町に生まれる。父は文芸評論家・小説家の石橋忍月(にんげつ)。健吉の本名は石橋貞吉(ていきち)。慶應義塾大学国文科を卒業。
大学時代に折口信夫の講義を聴き深く傾倒。1939年(昭和14年)、吉田健一、中村光夫らと文芸誌『批評』を創刊。同誌で評論を発表し、1943年(昭和18年)に第一評論集『私小説作家論』としてまとめる。
いくつかの新聞社、出版社で編集の仕事に携わるが、文筆活動に専念。『現代俳句』など俳句関係の業績を世に送り、古典文学評論の領域に分け入る。代表的な評論に『古典と現代文学』(1955年)、『芭蕉 その鑑賞と批評』(1955~56年)、『柿本人麻呂』(1962年)、『詩の自覚の歴史』(1979年)などがある。
1967~78年、明治大学教授。1969年(昭和44年)、日本芸術院会員に就任。1972年(昭和47年)より日本文藝家協会理事長、のち会長となる。1983年(昭和58年)、文化勲章を受章。
急性呼吸不全のため東京都渋谷区代々木の榊原記念病院で死去。81歳。墓は父の出身地・福岡県八女市の無量寿院にある。1995年(平成7年)、八女市に遺品を集めた「山本健吉・夢中落花文庫」が開設された