晴れ 25℃/ 11℃  6  月齢5.2

5月10日 日の出 4:53 日の入り 18:49

 

今日は 暑いビックリマーク  でも湿気もなく 爽やかな暑さでした・・音譜

カメラ ずーと遠くまで 青空が続いています

カメラ 色とりどりの ツツジの花が・・・・・ブーケ2ブーケ1クローバー

メモ10日の群馬県内は高気圧に覆われ、

伊勢崎では30度と今年に入り本州で初めての真夏日を記録した。

 

今日から 愛鳥週間(5/10-16)・・・・・

 暖かい日が続いていて 鳥たちも 忙しそうです

 何という鳥か分かりませんが、電線に留まっていました。カメラ

  口に何やらくわえて 休んでいるのか?周りの様子を伺っているのか? 

            暫くこの状態で・・・・・・

  生まれたばかりの ヒナに エサを運ぶ途中でしょうか・・・・

 

 

コットン製品、持ってる?右矢印持ってない

メモ 木綿の利点

    肌触りが良い。吸水性が良い。

   水に濡れることで強度が増し洗濯に強くなる。

   吸湿性が良い。通気性が良く涼しい。厚手にすれば温かい。

メモ 木綿の欠点 

    皺になりやすい。水に濡れると地の目方向に縮む。

   乾きが遅い。長時間日光に当たると黄変する。

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大阪市中央区備後町に本部を置く日本紡績協会が1995年(平成7年)に制定。

日付は「コッ(5)トン(10)」と読む語呂合わせと、木綿(コットン)が夏物素材として使用され、5月に店頭販売の最盛期を迎えることから。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

木綿(コットン、cotton)は、繊維としては伸びにくく丈夫であり、吸湿性があって肌触りもよい。そのため、夏物素材や下着などによく使用される。主成分は、植物細胞において細胞壁や繊維を構成するセルロースである。

日本紡績協会では、日本製綿素材のイメージ・アップと需要拡大のために「ジャパン・コットン・マーク」を新設している。日本国内で製造された綿の原糸・生地、およびそれらを使用した綿製品であることを示すマークである。綿100%の製品に添付される「ピュア・コットン・マーク」と、綿50%以上の製品に添付される「コットン・ブレンド・マーク」の2種類がある。  リンク:日本紡績協会

 

 産業図案 紡績女工(1948.10.16発行)

1948年10月から 平和で日本の復興のために働く人の姿を各種の産業から選んで 新しい図案の普通切手が発行されました。

 

コットンは、木綿(もめん)のこと

  木綿と言えば・・・ この歌音譜音譜

朝倉さや音譜 ・・・・も良いね!拍手拍手

 

おまけ 

朝倉さや音譜 ひだまりの詩

朝倉さや 音譜Let it Go 

 

日本気象協会設立記念日日本気象協会設立記念日

1950年(昭和25年)のこの日、「一般財団法人 日本気象協会」(JWA)が、運輸省(現:国土交通省)所管の「財団法人 気象協会」として設立された。

 

1966年(昭和41年)に気象協会は関西気象協会、西日本気象協会と合併し、「財団法人 日本気象協会」となった。その後、国の公益法人制度改革に伴い、2009年(平成21年)10月1日に一般財団法人に移行し、「一般財団法人 日本気象協会」となった。

同協会の本社は、東京都豊島区東池袋にあるサンシャイン60の55階にある。地域拠点は5ヵ所で、北海道支社(札幌市)、東北支局(仙台市)、中部支社(名古屋市)、関西支社(大阪市)、九州支社(福岡市)となっている。気象情報の観測・予報、その情報の伝達・配布、気象知識の普及、気象関連器具の製作・販売などを行っている。  → 日本気象協会

中央気象台創立75周年記念 (1949.6.1発行)

 

メモ1875(明治8)年6月1日に、東京赤坂の溜池葵町にある内務省地理寮構内で、気象業務が開始されました。これが後に東京気象台となり、さらに中央気象台となります。気象庁の管轄は、運輸通信省→文部省→運輸省→国土交通省。

天気予報100年記念(1984.6.1発行)

日本初の天気予報が発表されたのは1884(明治17)年6月1日。

  「全国一般風の向きは定まりなし、天気は変り易し、但し雨天勝ち」

がそのときの予報。現在は格段に予報技術は進歩したものの、やはり自然相手のことですから、なかなか難しい部分もあります。切手の図案は、天気予報初日の天気図と、気象衛星「ひまわり」。切手の発行時は2号で、この年の8月に3号が打ち上げられました。本体が円筒形のこのシリーズの最終機は「ひまわり5号」で、2003年5月に運用を終了しました。2005年からは運輸多目的衛星の「ひまわり6号」が新たな任に就いています。

 

愛鳥週間(バードウィーク)(5月10日~16日)

           

1950年(昭和25年)に環境庁(現:環境省)が制定。

         公益財団法人 日本鳥類保護連盟

愛鳥週間はもともとアメリカで始まったもので、1894年(明治27年)にペンシルバニア州オイル市の教育長バブコック(Charles Almanzo Babcock)により、5月4日が「バードデー」(Bird Day)に制定された。

日本では、1947年(昭和22年)、アメリカ人の鳥類学者オリバー・L・オースチン博士の提唱により、4月10日が「愛鳥の日」(バードデー)に制定された。しかし、この日は北の地方では積雪が残り、まだ冬鳥が多い時期のため、後に1ヶ月ずらして5月10日に変更された。その後、1950年(昭和25年)から、野鳥を愛護する週間として、5月10日から16日の1週間が環境庁により「愛鳥週間」(バードウィーク)に制定された。

野鳥の活動が活発になるこの時期に、野鳥を通してそれを取り巻く環境の自然保護の大切さを知り、広めていくことを目的としている。毎年この期間に「全国野鳥保護のつどい」が開催され、野生生物の保護に顕著な功績を残した人を「野生生物保護功労者」として表彰する式典が行われる。

 

カメラ1971年発行第25回愛鳥週間

                   カメラ1996年発行 第50回愛鳥週間

  

 

 

 

地質の日

一般社団法・人日本地質学会や産総研地質調査総合センターなど地質関係の組織・学会が2007年(平成19年)に制定。

1876年(明治9年)のこの日、アメリカの地質学者ベンジャミン・スミス・ライマンらが日本初の広域的な地質図「日本蝦夷地質要略之図」(200万分の1)を作成した。また、1878年(明治11年)のこの日、地質の調査を扱う組織として内務省地理局地質課が設置された。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

地質(geology)とは、地面より下の岩石・地層の性質・状態・種類などを指す。地質はエネルギーや鉱産資源、温泉、構造物の建設など、人間社会と深く関係しているが、地質の重要性や、地質に携わる人々の活動は、一般にはほとんど知られていない。そのため、この日は地質への理解を推進する日として、全国の博物館や大学などの研究機関によりイベントが開催される。

リンク:日本地質学会産総研地質調査総合センター

 

街区表示板の日

1962年(昭和37年)のこの日、「住居表示に関する法律」が施行された。

街区表示板とは、住居表示を実施している地域に設置されている、街区(所在地;「○○町○○丁目」など)が記載された細長いプレートのことである。主に電信柱や建物の壁面などに付けられている。「住居表示に関する法律」により、住居表示を実施している地方自治体(市区町村)において設置が義務づけられた。

街区表示板のサイズや色は、地方自治体によって異なるが、縦に細長いプレートで、市区町村で色を統一しているものが一般的である。また、ローマ字が併記されているものが多く見られるほか、地図が記載されているものもある。

 

リプトンの日

世界最大の紅茶ブランド「リプトン」(Lipton)を展開するユニリーバ・ジャパン株式会社が制定。  → リプトン

同社は紅茶の生産から販売までを手がけ、品質の高い紅茶を手軽な価格で提供している紅茶の買付けで世界シェアナンバーワンの企業である。

イギリスの紅茶ブランド「リプトン」の創業者は、スコットランド・グラスゴー生まれのトーマス・リプトン(1850~1931年)である。1871年のこの日、トーマス・リプトンは、食料品店「リプトン・マーケット」第1号店をグラスゴーでオープンさせた。また、この日はトーマス・リプトンの誕生日でもある。この日は、上質な紅茶を楽しむ日としている。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

リプトン

1895年(明治28年)、リプトン紅茶はイギリス王室御用達となった。日本にリプトン紅茶が初めて輸入されたのは1906年(明治39年)で、黄色い缶に入った紅茶であった。その後、1961年(昭和36年)に日本でティーバックの製造が開始され、翌1962年(昭和37年)から発売され、本格的な紅茶を家庭で気軽に楽しめるということで人気が広まっていった。

2002年(平成14年)、紅茶のおいしさを最大限に引き出すピラミッド型ティーバッグが日本でも採用された。2006年(平成18年)、日本にリプトン紅茶が来航して100周年を迎えた。現在では、ティーバッグのほか、紙パック、缶、ペットボトル、チルドカップなど、幅広い商品ラインナップが展開されている。

 

ファイトの日

東京都豊島区高田に本社を置き、製薬会社であり、ロングセラーの栄養ドリンク「リポビタンD」を製造・発売する大正製薬株式会社が制定。

日付は5と10で「リポビタンD」の合い言葉「ファイト!一発!」の「ファイト」と読む語呂合わせから。1962年(昭和37年)に日本で初めてのドリンク剤「リポビタンD」が発売されてから2012年(平成24年)で50周年を迎えることを機に記念日とした。「リポビタンD」を飲んで疲労を回復し、元気になってもらおうという願いが込められている。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

 

 

メイトーの日

東京都中央区日本橋小網町に本社を置き、牛乳・プリン・アイスクリーム・ヨーグルト・チーズなどの乳製品で知られる協同乳業株式会社が制定。

日付は5月(May=メイ)と10日(トー)を組み合わせて「メイトー」と読む語呂合わせから。同社の商品ブランドである「メイトー」をさらにアピールすることが目的。消費者に向けた活動として、この日を中心にアイスの無料サンプリングイベントなどが実施される。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

メイトーの商品

同社のシンボルマークは、自然を豊かに育くむ「光」や「太陽」のイメージによって生きる喜びや活力を表現すると同時に「花」や「生き生きとした植物」が連想されることにより、自然の恵み、企業の活力・生命力を力強く表現している。

メイトーのシンボルマーク

また、1953年(昭和28年)の創業以来受け継がれている「自然を大切にする」「信頼と安心」「ていねいな商品づくり」の精神を生かし、人々の健康で楽しい暮らしに貢献する企業姿勢を表わしている。

 

コンクリート住宅の日

東京都板橋区高島平に事務局を置き、特殊FRP型枠を使用して精度の高い鉄筋コンクリート住宅を建築するRC-Zシステムを手がける「RC-Z家の会共同組合」が制定。

日付は「コ(5)ンクリート(10)」と読む語呂合わせから。地震や火災に強く、長期間使えるコンクリート住宅の性能やデザインの良さをアピールすることが目的。記念日は2010年(平成22年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

メモ「RC」は英語の「Reinforced-Concrete」の略で、日本語では「(鉄筋で)補強されたコンクリート」という意味である。鉄筋コンクリートを用いた建築の構造または工法のことを「鉄筋コンクリート構造」といい、「RC構造」または「RC造」と略される。

鉄筋コンクリートは、フランスの庭師ジョゼフ・モニエ(1823~1906年)が考案したとされ、パリの再開発に貢献した。また、20世紀に世界で実用化され、日本では関東大震災の経験から広く使用されるようになった。

RC-Zシステムは、FRP(Fiber-Reinforced Plastics:繊維強化プラスチック)製型枠が基幹となっており、材料の無駄、人員の無駄、工程の無駄を省き、建築費を削減する考えを主眼においたシステムである。施工現場からベニヤ材や木材の使用を大幅に減らし、さらに産業廃棄物などのゴミ排出量の減量に成功した、地球環境にやさしい工法である。リンクRC-Z家の会共同組合

 

ダンテの日

大阪府大阪市福島区に本社を置く株式会社カウカウフードシステムが、同社にとってかけがえのない存在であり、代表取締役会長のマダム信子氏の兄の典男氏に感謝の気持ちを込めて制定。

記念日名は典男(ノリオ)を逆さにした男典を「ダンテ」と読むことから。日付は典男氏の誕生日である1948年(昭和23年)5月10日に由来する。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

株式会社カウカウフードシステムは、自社ブランドの「マダムシンコ」で販売する「バウムクーヘン」「マダムブリュレ」「とんがりシュー」などの新感覚スイーツが絶大な人気を誇る。

バウムクーヘン

マダムシンコでは徹底した素材へのこだわりと熟練された職人の技により、素朴な甘みに満ちた「バウムクーヘン」を作り上げている。生地の素材は、新鮮な卵とカナダ産のメープルシュガー、そしてニュージーランド産バターとハチミツ。これらを惜しげもなくタップリと入れることで、しっかりとしたコクと風味が際立つ食べ応えある一品に仕上げている。  リンクマダムシンコ

 

五島の日

日本列島の西に位置する長崎県五島列島の五島市と新上五島町が共同で制定。

日付は「ご(5)とう(10)」(五島)と読む語呂合わせから。五島列島の中の北部に位置する新上五島町(通称:上五島)と、南部に位置する五島市(通称:下五島)が連携をして、五島列島の知名度の向上を図り、その魅力を大いにPRするきっかけの日にすることが目的。記念日は2013年(平成25年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

この日を中心として、東京の日本橋長崎館において物産展や試飲会が行われるほか、JR博多駅イベントスペースにて「510(ごとう)列島まつり」が開催されるなど、各地で五島列島をPRするイベントが実施される。

五島の日

五島列島は、九州の最西端、長崎港から西に100kmに位置し、大小あわせて140あまりの島々が連なる列島である。人口は約7万人で、自然海浜や海蝕崖、火山景観など複雑で変化に富んだ地形で、ほぼ全域が「西海国立公園」に指定されるなど豊かな自然景観を有している。

島々には多くのカトリック教会が点在し、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として2018年(平成30年)にユネスコ世界遺産に登録された。漁業が重要な産業であり、海産物が名物である。

そのほか、五島うどん、サツマイモを混ぜこんだ餅「かんころもち」、上質なことで知られる椿油などが有名である。五島うどんは椿油を練りこむ手延べ製法で、椿油の微かな香りと伸びにくいのが特徴である。出汁には醤油や当地で獲れるアゴ(トビウオ)が使われる。リンク五島市新上五島町

 

黄金糖の日

大阪府大阪市住吉区に本社を置き、宝石のようにキラキラと輝く四角柱の形の美味しい飴として有名な「黄金糖」(おうごんとう)を製造・販売する株式会社黄金糖が制定。

日付は5月10日を「05(黄金)10(糖)」と読む語呂合わせから。創業以来、香料・着色料を一切使わない製法を守り続けてきた「黄金糖」の自然な味と香り、金色の輝きをさらに多くの人に知ってもらうことが目的。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

黄金糖

メモ黄金糖の始まりは、1919年(大正8年)。初代・瀬戸口伊勢松が、砂糖と水飴だけでつくった金色の飴「金銀糖」を宮崎県都城で売り出したことにさかのぼる。その後、1923年(大正12年)、大阪府堺市において瀬戸口商店として創業した際、名前を「黄金糖」に改め、形も現在のような四角柱になった。

色料・香料など食品添加物を一切使わず、砂糖と水飴だけでつくったやさしい甘さとなめらかな口あたりが特徴である。透明感のある美しい金色と甘い香りは、砂糖がカラメル化することで自然に生まれたもの。創業以来変わらない素朴な味わいを楽しむことができる。  リンク黄金糖

 

コメドの日

大阪府大阪市北区に本社を置き、皮膚科学に特化した製薬会社のマルホ株式会社が制定。

日付は「コ(5)メド(10)」と読む語呂合わせと、「コ(5)メド・一(1)緒に・治そう(0にしよう)」の意味を込めて5月10日に。「コメド(comedo)」とは「面皰(めんぽう)」の英語名で、ニキビになる前の毛穴が詰まった状態のこと。ニキビの前段階の「コメド」の認知度を高めてニキビの早期治療を促すことが目的。記念日は2017年(平成29年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

 

金鳥「コンバット」の日

大阪府大阪市西区に本社を置き、KINCHOブランドで知られる家庭用殺虫剤や防虫剤などを製造・販売する大日本除虫菊株式会社が制定。

日付は「コ(5)ンバット(10)」と読む語呂合わせと、商品のキャッチフレーズである「巣ごと(510)丸ごと(510)ゴキブリ退治」と読む語呂合わせから。5月上旬から活発化するゴキブリを、同社のゴキブリ駆除用ベイト剤の金鳥「コンバット」で対策をしてもらうことが目的。記念日は2019年(平成31年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

コンバットの日

 

こいのわの日  広島県が制定。

日付は「こ(5)い(1)のわ(0)」と読む語呂合わせから。同県では出会い・結婚支援事業「こいのわPROJECT」を進めており、社会全体で若者の結婚を応援する機運を高めることが目的。記念日は2019年(平成31年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

こいのわPROJECT

出生数の減少・人口構造の変化など人口減少を取り巻く状況は、社会全体において差し迫って重要な問題である。婚姻数も減少しており、結婚ばなれの大きな理由として「出会いがない」ことが挙げられる。こうした状況を打破すべく、同県は「こいのわPROJECT」を始動させた。

「こいのわPROJECT」の合言葉は「みんなでおせっかい」。結婚願望がありながらも「出会いがない」人たちに、出会いからデート、プロポーズ、結婚まで、それぞれのステージで「おせっかい」する。

同県が運営するサイト「ひろしま出会いサポートセンター」(ひろサポ)では、結婚を希望する人が出会いのチャンスに恵まれるよう、暮らしの中の様々なシーンで縁をつないでいる。地域で縁をつなぐ活動や、県内各地で様々なイベントを行い、若者の出会いを応援している。  リンクこいのわPROJECT

 

ミリオンゴッドの日

東京都江東区有明に本社を置き、パチンコ・パチスロ台やその周辺機器の製造・販売などを行う株式会社ユニバーサルエンターテインメントが制定。

日付は「ゴッ(5)ド(10)」と読む語呂合わせから。同社のパチスロ「ミリオンゴッド」をはじめとする歴代ミリオンゴッドシリーズの総称「GOD(ゴッド)」をPRすることが目的。液晶上で奇数orV図柄が揃うと当たりとなり、プレミアム扱いのGOD図柄が揃えば神(ゴッド)が降臨することで知られる。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。

ミリオンゴッド・アナザーゴッドポセイドン

 

四迷忌

明治時代の小説家・翻訳家である二葉亭四迷(ふたばてい しめい)の1909年(明治42年)の忌日。

二葉亭四迷

1864年4月4日(元治元年2月28日)、江戸市ヶ谷合羽坂の尾張藩上屋敷に生まれる。本名は長谷川辰之助(はせがわ たつのすけ)。父・尾張藩士・長谷川吉数は鷹狩り供役を勤める。

専修学校(現:専修大学)卒業。東京外国語学校(現:東京外国語大学)露語科中退。坪内逍遙と交わり、1886年(明治19年)に評論『小説総論』を発表。また、彼の勧めで言文一致体のリアリズム小説『浮雲』第一編(1887年)を発表、近代小説の先駆をなす。

筆名の「二葉亭四迷」は、『浮雲』に対する卑下、特に坪内逍遥の名を借りて出版したことに対して、自身を「くたばって仕舞(め)え」と罵ったことに由来する。

続いて『浮雲』第二編(1888年)、第三編(1889年)と書き進んで、近代口語文体を完成させるが、まもなく文学に疑問を感じ、『浮雲』を中絶したまま内閣官報局の仕事に転じる(1889~97年)。

その後、母校・東京外国語学校の教授を経て、満州に渡る(1902~03年)などするが、その間にロシアの小説家イワン・ツルゲーネフ、ニコライ・ゴーゴリらの作品を翻訳する。また、小説では20年ぶりに『其面影(そのおもかげ)』(1906年)、『平凡』(1907年)を書き、的確な心理描写などに実力を発揮する。

1908年(明治41年)、朝日新聞サンクトペテルブルグ特派員となり、ロシア赴任。翌年帰国の途上、肺炎の悪化によりベンガル湾上の船中で死去。45歳。シンガポールで火葬がなされ、遺骨が新橋に到着。墓は東京都豊島区駒込の染井霊園にあり、シンガポールの日本人墓地にも墓がある。

ツルゲーネフを訳した『あひゞき』『めぐりあひ』(1888年)は最初の芸術的翻訳として知られる。田山花袋、国木田独歩、島崎藤村など自然主義作家へ大きな影響を与えた