阪神淡路大震災から29年目の朝


あの日、丁度伯母の通夜で

姫路に帰っていた。


最初、突き上げるような縦揺れでその次、ギシギシと柱が揺れた。


まだ暗いし寝てたけど


情報が明るみになるたびに

被害の大きさに瞠目した。



なんという事だ。



現実に戻れば


私達は新幹線で帰れない。

給与計算ができない、



あのときは家族皆がまだ生きていたな。



帰れない私達は飛行機を探した、


岡山、ダメ

四国もだめ



そうだ、

鳥取はどうだろう。


姫路から鳥取までバスが走ってる。


雪の戸倉峠を越えていく。


鉄骨を積んだ大型トレーラが

何台も峠を登れずに麓に放置?

されている。


そんな中バスは悠々と登ってゆく。


私は運転席の後ろに座って前方を見ていた。


道の境界線も名にも見えない。


でもそんな事、ものともせず、


定刻に鳥取に着いた。


凄い技術、運転手魂に感動した。


そして

雪の壁に囲まれた鳥取空港から

無事に東京に戻れた。


あの時の運転手さんの

全くぶれない運転技術は忘れられない。




運転技術といえば


尾瀬岩鞍スキー場の帰り


走り始めると同時に渋滞。


どうしようも無いと思っていたら、さすが地元のバスですね。


次々、情報が入ってくる。


途中から左折して温泉街を通り抜け、沼田の町をひた走り


めちゃ渋滞の高速を下り線をぶっ飛ばし、


ななんと新幹線の駅に到着!


す、素晴らしい!



と、感動してたら


イヤミなことを言って降りていったやつがいる。


遅くなったから指定席に間に合わんやないか、


と、怒鳴り気味に



私は唖然とした


あの運転手さんの奮闘振りがわからんのか



私は降りる時に


素晴らしい運転で感動しました、ありがとうございます。


って、言ったら

運転手さんも

分かってくれる人がいて

嬉しいです。



だって、高速道路の上りの渋滞の時のライトの行列の眩しい事。

私達は反対路線だから

そのライトを横目に

ぶっ飛ばしてくれたんですよ。


私は

どこ、走るのか

興味津々だった。


人間性出来てないやついるな


感謝こそするべきだろ、と


未だに忘れられない思い出のひとつだ。



興味津々と、いえば

八本目の槍

と、言う本の中で

加藤清正と石田三成との

話が出てくる、


その話を読んでいて

石田三成がめちゃ好きにと、いか

興味津々になっしまった。


今まで殆ど知らなかったし

関ヶ原の映画も観た。

でもそんなに興味を持たなかった。


唯一

忍城の攻撃に失敗例したあたりから


人間的でいいな


すきっ!



でも今回の本は

短いのに

めちゃくちゃ興味深い


今年は石田三成関係の所を

攻めるという気持ちになっている、


昨年は

小田原北条だったからね。


楽しみがまたふえた。