@1945ashizawa
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引越し

アメーバから引越し

 アメーバの1945ashizawaの更新がないので、ドーしたんだという声が寄せられる。
わたしの設定のせいなのだろうが、画像の取込がうまくゆかないのだ。そして画像のデーターを縮小する手間もめんどくさい。

そんなことから多少制限があるんですが、フェースブックへ引越ししています。 → https://www.facebook.com/mamoru.ashizawa?fref=ufi

災害避難用品

今回の地震にかかわる報道に接して、自分なりに避難グッズを見直してみました。

 

 すでに手持ちのものもありますが、100円ショップで手に入るものもあります。・・・も・いちど棚揃えしてみようかな?

 

 

災害用非常グッズ

サバイバル用品
 靴 軍手 タオル 懐中電灯 小型ラジオ 各種電池

食糧食器等
 飲料水 缶詰 カロリーメイト アルファー米 タバコ 酒類 ベビーフード
 プラスチック皿・ボウル・コップ 箸・スプーン クレラップ ビニ袋
 折畳式ポリタンク 折畳式キャリーカート

衣類等
 靴下 下着 防寒具 雨具

非常用品
 現金 小銭 銀行カード 預金通帳 印鑑  運転免許証 メモ用紙 ボールペン
 携帯電話 同充電器 デジカメ 同充電器

補助的非常用品
 ヘルメット ホイスル  カッターナイフ ライター 携帯カイロ
 カセットコンロ 同ボンベ ランタン レジャーシート 風呂敷 布ガムテープ

医療衛生用品
 常用薬 薬手帳 健康保険証
 ティッシュペーパー ウエットティッシュー マスク 絆創膏 包帯
 歯ブラシ・歯磨き 石鹸・シャンプー 衛生用品 育児用品

迎賓館赤坂離宮

この4月より一般公開する迎賓館・赤坂離宮。
 いままで度々ここを訪れているが、2009年に国宝指定されているので、改めて紹介してみたい。


施設概要
敷地面積:11万7000平方メートル 元紀州藩の屋敷跡
設計:片山東熊
建築様式:ネオ・バロック様式(ベルサイユ宮殿・ルーブル宮殿・バッキンガム宮殿を参考にした)

沿革
1909年(明42年)竣工、東宮御所として開所、以後皇室の赤坂離宮として使用
1923-28年(大12-昭3)昭和天皇がお住まい
1945-46年(昭20-21)今上天皇が皇太子時代にお住まい
1848年(昭23)皇室から国へ移管
1948–61年(昭23-36)国立国会図書館
1948–60年(昭23-35)法務庁法制意見長官
1948–70年(昭23-45)裁判官訴追委員会
1948–70年(昭23-45)裁判官弾劾裁判所
1948–61年(昭23-36)法務庁訟務局
1948–60年(昭23-35)法務庁法制局
1956-60年(昭31-35)内閣憲法調査会
1961–65年(昭36-40)東京オリンピック組織委員会
1961–64年(昭36-39)臨時行政調査会
1968-74年(昭43-49)迎賓館としての改修工事
設計指導・村野藤吾、施工は清水建設・大林組・鹿島建設・大成建設・竹中工務店の共同企業体。工事費97億円・家具等製作費7億円・計104億円
1974年(昭49)改修工事竣工、迎賓館として使用開始、以後国賓・公賓の応接・宿泊施設として使用
2006-08年(平18-20年)再び大規模な改修工事
2009年(平21)12月、国宝に指定

主要施設
正門
正面玄関ホール
彩鸞の間(さいらんのま)約160㎡

花鳥の間(かちょうのま)約330㎡
朝日の間(あさひのま)約200㎡
羽衣の間(はごろものま)約330㎡

東の間(ひがしのま)
二階大ホール
中央階段(ちゅうおうかいだん)
主庭


→ http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg9742.html

src="http://stat.ameba.jp/user_images/20160322/12/1945ashizawa/08/e0/j/t02200165_0640048013598879741.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0" />








墓参り

https://www.facebook.com/mamoru.ashizawa/posts/627742494039513?notif_t=like

ここにタイトルを入力してください

 名古屋市営地下鉄名城線の砂田橋駅構内にて付近の高校に通学する女子高生が、こともあろうに線路に降りてしまった。高校生は電車が進入する前に再びホームによじ登り悲惨な鉄道事故には至らなかったがそのシーンを友人が撮影、SNSに投稿したため多くの人が知ることになり、問題が顕在化した。当然のこと名古屋市交通局と愛知県警はその行為を問題視し、検挙するかを検討しているという。

 ところで地下鉄特有の給電方式=第3軌条集電式だが、これについて意外と知られていないのだ。

 通常の鉄道では空中架線集電式といって、車両の上つまり架線からパンタグラフを通じてプラス側の電気を取り入れてモーターを回す方式をとるが、地下鉄の場合は工事を小規模にするためトンネルを細く低くする場合がある。


 そのためレールの脇にもう1本の電源専用レールを敷き、そこからバーを渡して給電を得る第3軌条集電式をとるわけだ。この方式をとる路線は結構あり、名古屋市営地下鉄東山線・名城線・名港線(直流600V)、東京の営団地下鉄銀座線・丸ノ内線(直流600V)、大阪市営地下鉄御堂筋線など(直流750V)、横浜市営地下鉄ブルーライン(直流750V)など各地で採用されている。

 600V~700Vといえば、接触して感電すれば即死するほどの高電圧。おそらく女子高校生らはこれらの知識が全く無く、電車が来ないからということで安易な気持ちで悪ふざけしたようだ。

 よく見ればこの第3軌条には碍子が付いており、たまたま感電事故を防ぐため名古屋地下鉄東山線・名城線砂田橋駅の構内では安全カバーで覆われていて、今回は感電事故に至らなかったが、知らないということは恐ろしいことである。(無論、線路に立ち入ることは危険極まりない行為である)

???

アメブロの写真投稿がうまくいかないので、フェイスブックに投稿しました。

→ https://www.facebook.com/mamoru.ashizawa?fref=ufi

三浦の松輪で地魚料理を食う

 天気が良いので国道134号線を一路南下し、三浦半島の南端東側の江奈湾にあるエナ・ビレッジ「松輪」に向かう。


 行程は40km程度で1時間半の道のりで、途中に葉山御用邸前を通過。おりしも天皇・皇后両陛下ご滞在中ということで、正門には警察官が警備中。


 やがて目的地の漁港についたが、船は40隻程度で半分は遊漁船、残りが漁船のようだ。


 さて、地魚料理「松輪」は江奈漁港の中にあり、ブルーの建物なのですぐに分かる。手前には駐車場~といってもただの広っぱだが、スペースは広く、満車になることはなさそう。

 店は2階にあって漁協直営で、本職の調理師の他は漁師のおかみさんが手伝っているようだ。


 さて、何を食べようかな。・・・通常メニューの他に、おすすめが黒板にあり、その日の漁獲によって内容が多少変わるらしい。


 寒いので外には出なかったが、テラスがあって、陽気のよい季節には外での食事も悪くない。沖のかなたには伊豆大島が見える、まさにオーシャンビュー。


 いろいろな昼定食が選べるので、今日は\1,850円の刺身盛り合わせを取った次第。メニューには3点盛り合わせとあったが、出てきた料理は5点盛り。内容の説明があり、メバチマグロ、するめいか、メダイ、メヌケ(アコウダイの一種)、それにシメサバ。

 シメサバが付いてきたが、あまり酢が利いておらず、なるほどという旨さ。ご飯は丼ではなく茶碗に盛ってあり、たくさんの刺身で、わたしでさえ余ってしまうほど。ちなみに、わさびも生の本わさび。みそ汁の具は当地特産の三浦大根。

 この漁港では定置網ではなく一本釣りが得意で、潮の流れが速いので身が締まって、秋から初冬の松輪のサバは脂がのって絶品というが、それは関サバにも負けない旨さがあるという。


 食後に裏手に広がる荒磯に出てみると、波打ち際には海藻~ホンダワラだろうか、澄んだ水の中に揺らいでいた。



http://sea.ap.teacup.com/matsuwa/  
火曜定休

高山のラーメン

 今が一番寒い時期だが、寒いからこそ温かい食べものが旅人を迎えてくれるというもの。


 飛騨 高山。いまは岐阜県に属しているが岐阜市などの美濃とは文化といい方言といい、まったく違った飛騨はまさに山の中。山また山が隔てた雪深いところだ。


 交通の便は悪く、列車なら富山から岐阜へ延びる高山本線、またはクルマなら飛騨川に沿った国道41号線で行くか、松本から158号線で安房峠のトンネルをくぐって行くことになる。むろん空路なぞ無い。


 それでもやっとの思いでたどり着くとホッとするが、この古い町では美味い物が温かく待ち受けている。そのひとつが鍛冶橋のたもとは二四三屋のみたらし団子。


 飛騨牛のステーキもよい。


 酒はご当地の飛騨正宗。


締めは、知る人ぞ知る高山ラーメン、朝日町(一番街)の中華そば「つづみ」(℡0577-32-0299)がお勧めだ。むかし仕事で毎月この街の得意先を訪れていたが、午後にもかかわらずわざわざ出前でごちそうになったもので、細めの縮れ麺、スープは醤油系のあっさり味は申し分ない。



 この寒い時期、いちど行ってみてはどうだろうか。

http://tabelog.com/gifu/A2104/A210401/21000790/

近代水道をふりかえる

 横浜に近代水道が開設されたのが明治20年、1887年のことである。発展途上で当時の人口はわずか11万6千人、しかしこれから日本の産業革命・貿易を期待する新興都市であった。



 この街の近代水道は英国から招聘した陸軍工兵将校のヘンリー・スペンサー・パーマーー(画像・前列中央、H,S,Henry Spencer Palmer、1838~1893)大佐であった。いわゆるお雇い外人技師であったが、のちに「近代水道の父」と称さえられるほど横浜のほか大阪・神戸・函館・東京の各所にも水道の開設を指導した。


 その後の横浜町は市に昇格し人口が急増、当初の浄水場は野毛山(1887年)にあったが、川井(1901年)、西谷(1915年)、鶴ヶ峰(1960年)、小雀(1965年)と次々に開設し、ライフラインの充実も相まって、大阪市をしのぐ370万人の国内第2位の大都会と成長したのだった。


 そんなことに興味もあり、この大都会の水瓶の一つとしての西谷浄水場に隣接する「横浜水道記念館」を訪れた。実は訪問はこれが2回目、10年ぶりであった。


 丘の上にある記念館は開設当時の建物を模しており、10年前の昔のままで、てっぺんに展望室があって浄水場はもちろん、標高100m近くあるので、そこからは「みなとみらい」が一望できる。


 以前はなかったが見晴図があり、それに沿って新横浜の円筒形ビル(新横浜プリンスホテル)の左手には「東京スカイツリー」やさらに左には「東京タワー」まで遠望できるではないか。

 それはともかく昭和初期の庶民の水にまつわる生活を思い出すと、いまでは思いもよらない主婦の労苦があったのだ。


 それは多くの庶民の家庭には自家水道が普及されておらず、毎朝数戸で使用する共同井戸での水汲みから始まった。やがて近代水道が広まると、井戸に代わり共同の水道供給が広まった。


 これは初期の共同水栓で、使用は各戸にはあらかじめ鍵が配付され、使用料は月決めで均等に支払うシステムだった。


 携えた手桶に水を満たすと台所へ戻って水瓶に水を満たす。瓶には木蓋があり、柄杓(ひしゃく)ですくって調理や食器洗いに使う。

 個別の水道が普及したのは都市部では昭和10年代からで、郊外ではもっと後のことだった。

 ・・・拙文は多分に見聞きした部分もあるが、そのような水の有難み・大切さを思いながら見学した次第でありました。

移動コスト、クルマが鉄道に逆転


 つい1年ほど前まで、漁師は漁に出ると油代が高いのでなかなか採算が取れないと泣いていた。

 小型漁船が消費する軽油の価格相場は知らぬが、われわれが消費するガソリン価格も間違いなく下落している。


 写真は私がクルマを買い替えた2014年7月のガソリン価格は@160円/リットル。それが今週では@97円/リットルに下落した。これは当時の4割減にもなる。


 わたしの車の燃費はおよそ18.11Km/リットルなので、仮に東京から静岡までの180.2Kmを走行すると現在のガソリン代はおよそ965円ほど。東名高速を利用して通行料金4,220円を加算しても合計5,185円なので、これは助かる。乗る人数によって若干燃費は増えるにせよ、これは間違いなく安い。


 それでは東京・静岡間をJRの鉄道で移動すると、180.2Kmの普通運賃は3,350円、それに新幹線の利用料金3,000円を加えると一人当たり合計6,350円也。すなわちクルマに比べて1,165円も割高だ。

 クルマを仮に4人のグループで利用すれば、一人当たりわずか1,296円で済むわけだから、これは間違いなく経済的。


 これは国内物流の主流を占めるトラック輸送も同じ。また物流ではないが、燃料価格の下落という面では農産物の温室栽培も同じこと。

 閑話休題。年明けから株式相場の下落が続くが、それは中国経済の成長率鈍化、それにより対中貿易が停滞。また原油価格の下落で産油国の経済が立ち行かなくなり、まわりまわって先進国経済も成長率鈍化するとの説がささやかれている。

 同志社大の浜矩子女史など、すでに10年以上にわたって日本経済への悲観論をのべている経済学者がいるが、いまのところ当たったためしがない。それより原油安が一般市民生活や国内産業・企業の業績にどんな恩恵を受けるかを考えるポジ的発想が待たれるのである。
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