旧石器時代の狩猟採集民は、動物を狩猟し魚を捕り木の実や山菜、果実などのさまざまな野生の食料を採集して生活していた。季節的に移動する動物の狩猟や植物の採取に頼る生活を送る人々にとって、一定の場所に定住せず季節的にキャンプ地を変える遊動的な生活をすることは合理的だったのである。人々がどんな生活を送っていたか見てみよう。(歴博展示説明より)

 写真1 千葉県墨古沢環状ブロック群(約3万4千年前)

感想:この遺跡だけで1万点の石器が出ている。大きな石器工場か。多種多様な石器が出土するのはすごい

 写真2 田名向原遺跡出土石器 神奈川県田名向原遺跡

  尖頭器(石槍)、磨石など

田名向原遺跡では住居状遺構から3千点を超える石器が出土した。展示資料はこの住居状遺構からややや離れた石器集中区のもので、主体は槍先形尖頭器が、皮革加工などに用いられた可能性がある磨石などもある。(歴博展示説明より)

写真3 石器に使われた様々な石材

遺跡が集中する千葉県の下総台地周辺は、石器づくりに適した良質の石材に乏しい。房総の嶺岡産、茨城県産の石材、伊豆天城柏峠産、栃木県の高原山の黒曜石など、様々な地域から石材が持ち込まれている。(歴博展示説明より)

感想:黒曜石は石器の材料と思たが、用途別や入手のし易さや

加工適否などで選んでいるか。

写真4 遠くまで運ばれた黒曜石  長野県矢出川第一遺跡

伊豆諸島の神津島から直線距離で200km離れた中部高地の野辺山高原の遺跡に、海を越えて多数の黒曜石が持ち込まれ、消費された。細石刃をもつ集団が遊動をしていたか、集団間で石器石材の交換などが行われただろう。

写真5 黒曜石の2大原産地

 海を越えて多数の黒曜石が持ち込まれ消費された際責任を持つ集団が攻撃的な誘導をしていたか集団で石器石材の交換など行われてだろう。

感想:石器時代に神津島にどのようにして渡航したか。

   横浜の三殿台遺跡は神津島が85%、和田峠14%、箱根1%

写真6 その他の石材の流通

   安山岩や黒色頁岩、チャートなど黒曜石以外も全国から

   流通していた。先史の流通にビックリ。

次に続く以上