悲しみはいつきえる

  ゆうこ10

お兄ちゃんとの別れ

侑子は高知医大のベッド、正月も開け8日ごろだったか、額人と病院に侑子に会いに行ったとき。

病室に入ってすぐ、お兄ちゃんこっちへ来て、と言って。

お兄ちゃんを侑子のベッドに呼んで、ここに座ってと自分が腰を掛けて坐っているベッドの横に座らせ額人が少し間をおいて坐るとこっちに寄ってとぴったりとひっついて坐らせる。



           10-1お兄ちゃんとの別れ

額人は少し照れ気味だったが。

それから少し何やら額人とお話をしながら、しっかりと額人の左手を侑子の両手で握りまた右をにぎり繰り返す。

額人に寄り添ってお兄ちゃんの肩に自分の頭とか顔を載たり、軽くこすり付けるようなしぐさ、何回も何回も頬を載せる行為を繰り返し、繰り返ししている。

そして、両手で額人の胴に手を回し抱きついたり、腕を組んだりでまるで恋人と、する様なしぐさを何回も何回も時間をかけて、額人を愛しんでいる姿が有った。

体に触れたりしている姿は、まるで恋人だった、それも長いこと額人を放さずに額人は照れながらもその行為を受け入れていた。

私にはお兄ちゃんの温もりを自分の心の中、体の中に刻み込んでいくかのように最後のお別れをしているようにも思えた、それから3日後の1989年平成元年1月の11日侑子は、亡くなったが。



           10-2勉強 

徳島から、高知に帰ったのが63年11月の事であった。

帰って2泊ほど家で泊まり高知医大に行く。

高知医大ではベッド学習が有るので、侑子は大変喜んでいた。

養護学校から教えに来てくれるのですもちろん体調がいい時なんですが。

以前日赤でしていたように、高橋先生(仮名)が来て下さいしました。

高知に帰ってからの侑子、容態は思わしくなく、生きているのが不思議な位だとも言われた。



           10-3サンタの折り紙  

もう限界なのです。

それでも侑子は毎日、毎日を頑張っている。

私が風邪を引いて3日ほどドア越しに面会していたら。

先生がお父さんに会えたら元気が出るので中に入ってもいいと言った。

お父さんのバカと風邪ひいたことを大変心配してくれたことがありました。

折り紙が好きでベッドではよく折り紙遊びをしていた。

その中でサンタクロースの折り紙が看護師さんの目に留まり。

今年のクリスマスパーティにはこの折り紙のサンタさんに字を書いて案内状にすると言って造り方習っていった。

           

             10-4点滴  

侑子もベッドのまま会場に行き楽しんだクリスマスパーティです。

何時だったか寒い日が有って外は真っ白、外を見て雪が降っていると言った侑子。

何時か春がくるのですがうちには何時春が来るのかわからない現実は主治医がこんな状態で生きているのが不思議で明日がわからないとまで言われていた侑子。

もう後がない。